37 新規事業
「―― お主にもまだ子供らしい未熟な部分が残されていたというわけか。ふふふ……」複数の感情をないまぜにした面持ちで左手を顎に添え、しばし虚空を見つめる宰相リーシュカ。
「大変申し訳ございませぬ……お返しする言葉もありませぬ。不才、若輩の身ゆえ、宰相閣下の深慮遠謀たる立ち回りを理解せず、かつては非礼な態度・言葉をも弄してしまいました。重ね重ねお詫び申し上げます」深々と頭を下げるフェリクス。
「……まあ、それは構わぬ。ドレステンとザーリュブリュッケンとは少し距離を置いていたおかげで、最近では彼らの方から様々な面での譲歩の提案も出始めて来てもおる。関係を修復するのであれば、何の問題もあるまい。それよりもこれは……ひとつ貸しと考えても構わぬのかな、お主に対し?」ニヤリと笑うリーシュカ。
「は、はい……私の権限でお返し出来るような範囲のことでしたら……」
嫌な予感がしながら、そう応じるしかないフェリクス。
「よし、ならばやはりエステルとの婚約あたりが良かろう」
膝を打ち、にこやかに二人を見つめるミロスラフ。
「それはいささか……」
勝手に口を挿む王弟に苦笑し、しかし首を横に振るリーシュカ。リーシュカとしては、エステルという<カード>をまだ子爵に成り立てでしかないフェリクスに使うという選択は、私心を抜きにすれば、やはり肯定できるようなアイデアではなかった。「真正面から辺境伯家を敵に回すような行動は、得策とは言えますまい」
「なんだ、お前はもうジギスムントの愛娘とフェリクスとの婚姻の画策を耳にしておったのか」これまでよりも、腹の内を見せるようになった宰相の言葉に合わせ、忌憚のない質問を投げ返すようになったミロスラフ。
「いえ、それは初耳にございます。そうであるのか、フェリクス?」
「は、はい、なんと申しましょうか……ジギスムント様の選帝侯への就任が適いました際には……とのご提案をジギスムント様よりご頂戴いたしており……」これはまだ内々の<極秘の話>であるはずであったが、ミロスラフとの先刻の廊下でのやりとりを踏まえ、否定も出来ない状況。しどろもどろに正直に答えるしかない、不甲斐のない自身を恥じるフェリクス。
「はっはっはっ、今日のお主はコロコロと表情を露わにし、実に面白い。年相応で愛いではないか」すっかりとフェリクスの祖父のような応対をするようになったリーシュカに、目を丸くするミロスラフであった。
◇
「―― なんだと、金貸しを始めたいだと?」
呆れた顔でフェリクスを見つめるミロスラフ。
教会派閥に対する判断の誤謬の詫びの後、各々が持つ宗教観や、今後の展望などについてを話し合う中、フェリクスがノイシュタットの新規事業についての話を切り出したのである。
「いえいえ、あくまでも健全な経済活動を促進するため、商人たちなどが安心して利用の出来る<両替業務等>の公営化を目的とした銀行の開設にございます」いつもの調子を取り戻しつつあるフェリクスの屁理屈である。
「とはいえ、融資等も行うつもりであろう……で、我らには何の協力を仰ぐつもりだ、フェリクスよ?」即座に意図を汲み取り、本題を促すリーシュカ。
「はい、もちろん融資や貸付なども行うことになるかとは思います。ただ、商人や事業主たちへの貸し付けに関しては何の問題もないのですが、ひとつご協力を仰ぎたいのは<有力貴族>に対し、貸し付けを行う際にでございます」
「ほお、それは我々にとって、どのような旨味のある話なのだ?」フェリクスの狙いを正確に読み取り、狐の算段を始めるリーシュカ。
「何なのだ、お前ら。ふたりだけで通じ合っているような会話はやめて、私にも分かるように説明せぬか」自分だけが蚊帳の外であることに軽い不快感を示すミロスラフ。
「で、我々の取り分はどのくらいに考えておるのだ?」ミロスラフを無視し、話を進めるリーシュカ。
「王弟殿下、私が帝国にお願いしたいのは、貴族への貸し付けの際に<裏付け>として、ジギスムント様のお名前だけでなく、帝国のお名前もこちら側の後見人のような枠でお貸し頂きたいという話にございます」
「ん、どういう意味だ……ああ……なるほど。相手に踏み倒されぬよう、お前の背後には辺境伯だけでなく、皇帝陛下もおるのだぞ、ということにしたいわけか……ほぉ」ようやく事を理解したミロスラフ。「で、<我々の取り分>とはどういう意味だ、リーシュカよ?」
一知半解に過ぎるミロスラフの言葉に、思わず自らの額を軽く叩き、さするリーシュカ。
「帝国のお名前を使わせていただく際の<使用料>について、宰相閣下は私に問うているのでございます」ミロスラフの裏のなさに自分に似たものを勝手に感じ、思わず微笑するフェリクス。
「ほぉ、それくらいのことでお前の新規事業からマージンをもらえるというわけか、我々は。で、一度の使用あたりにいくら払うつもりなのだ?実際に相手が踏み倒しでもした際などには、我々に何を求めるつもりだ?」
「この場合、使用料は固定の金額ではなく、ノイシュタットが得る利息に対する歩合とすべきでしょう。一割くらいが妥当かと」フェリクスの返事を待たずに、勝手に答えるリーシュカ。
「お、お待ちください。一割はさすがに法外に過ぎます。それでは貸し付けの業務自体が立ち行きませぬ。相手の踏み倒し等に関しては、当方の責任とし、帝国には何も求めませぬ。私が求めるのは、あくまでも帝国の名、ご威光のみであり、それに対する使用料としてと、お考えいただければ……」こういう交渉事には、まったく自信のないフェリクスではあったが、ここで引き下がるわけにはいかない。
「<名前のみ>とはいえ、貸し付けを行った貴族が実際に踏み倒そうとする場合、それは帝国の名に対する不敬も必然的に発生するであろう。結果、我々も何らかの形では動かねばならぬことになるのだから、同じ話であろう?」的を射たミロスラフの指摘。そしてそれに頷くリーシュカであった。




