32 訃報
ノイシュタットからシュヴァルツブルクまでの移動は、馬車にして半日ほどの距離であった。
陽が傾き始めた頃、ようやく見えてきたシュヴァルツブルク市の外壁。
これまでにも何度も目にしてきた光景ではあったが、何か妙な胸のざわつきを覚えるフェリクス。
「うーん、なんか嫌な空気を感じるな、街の方から」
そうつぶやいたのはフェリクスではなく、バルデであった。
「そうか、夕暮れがひとの心を惑わせているだけではないのか?」
長時間の馬車移動に疲れを見せていたテオドールが、興味なさ気にそう答えた。
◇
「おお、これはフェリクス殿にテオドール様!そして貴方は……」
そう問いかけたのは、門前で検問を行っていた警備兵のひとりであった。
「気にするな、俺はただの放浪……いや、フェリクス専属の吟遊詩人バルデである」
「……ああ、そんなことよりもフェリクス殿。この度はその……お悔み申し上げます」
「ん、お悔み……とは、いったいどういう意味だ?」
一瞬、いきなり胸騒ぎが爆発しそうになったが、平静を装うフェリクス。
「お父上…いえ、元父上のテオ様も昼過ぎにはお戻りになられ……」
「い、いったい誰が亡くなったというのだ!早く答えよ!」
「貴方様の母方の祖母、クララ様にございます!」
◇
テオドールは馬車を乗り換え、城へと向かうことにし、フェリクスはバルデと共に、クララの住む家へと馬車を急がせた。
よくよく考えれば、フェリクスは一度もクララの住んでいる家を訪ねたことがなかった。いつも彼女の方からフェリクスたちの元を訪れ、温かい愛情を与えてくれてきた。だが、フェリクスは今の今まで、彼女の実際の暮らしぶりを知らなかった。
クララは、主人でフェリクスの祖父にもあたるゲルトとのふたり暮らし。そして彼女らの面倒は、ハンナの兄で長男のクルトが見ていると聞いていた。
フェリクスは使者を介し、「クララ宛て」で定期的に仕送りを渡していた。その額は、夫婦が働かなくても何不自由なく暮らしていけるほどの額であった。しかし、ゲルトの家の玄関を入ると、フェリクスはひどい眩暈を覚えることとなった。
「―― んっ、フェリクス!?どうやってこのことを知ったんだ?いつシュヴァルツブルクに帰って来た?」驚いたように、そう問うたのはフェリクスの実の父・テオであった。そしてフェリクスの視線の先に気づき「ああ……これでも昼過ぎからずっと片付けてんだが、なかなか……な」と答えた。
窓を開けっぱなしにしていても、立ち込める粗悪なアルコールの臭気。そして、崩れたまま放置されている壁の穴や、散乱物の数々。フェリクスは額に手をやり、溜息にもならないやるせなさを覚えていた。
「……ん、フェリクスだと?元はといえば、お前のせいで……」
部屋の奥。おそらくクララの遺体が横たわる床の前で、椅子に座ったまま、俯いていた老人がふり返って、そう言った。その顔は、フェリクスの記憶の頃からよりも、はるかに老いては見えたが、祖父ゲルトのそれであった。
◇
事の顛末はこうである。
フェリクスがクララ宛で送っていた多額の仕送りはすべて、祖父ゲルトと長男クルトの賭博と酒代に消えていた。そしてクララは栄養失調の状態で風邪を引き、そのままあっさりと死んでしまったというのであった。
元々、少しふっくらとしていたクララの姿を覚えていたフェリクスにとって、いま目の前にあるクララの遺体は、あまりにも変わり果てた姿であり、絶句するほかなかった。
ゲルトとクルトの主張は、フェリクスが「自分たち宛て」に送って来る高額の仕送りが、自分たちを狂わせ、このような事態に陥ってしまった元凶である、といったものであった。
「……ろくでもない祖父と伯父だな」
そう小さくつぶやいたのは、なぜかフェリクスにそのままいっしょに付いてきたバルデであった。
「なにをっ!」
「うるさいっ!」
怒りを見せようとしたクルトに対し、すかさずビンタを入れる元母のハンナ。
「父さんとお兄ちゃんの馬鹿さ加減が招いた母さんの死でしょ!私だって、ここ数か月、母さんと会わずに……そうよ、私だって母さんの死の共犯で……ああ……」泣き出すハンナ。
「そ、それでもお前には、ちゃんと俺たちの残りの借金の肩代わりと当面の生活費は払ってもらうからな、フェリクス!」酒を飲んでいるのか、まともな思考回路とは言えないセリフを平然と吐き出すクルト。
「もう、いい加減にしておけよ、義兄さん」
ハンナのビンタが飛ぶよりも早く、クルトの顔面を殴りつけたのはテオであった。
「すまないな、フェリクス。恥ずかしいところを見せてしまって……これはすべて俺の責任でもある話だ。許せ……」
「いえ、父さんのせいでは……」
その後の言葉を色々と考えてはみたものの、やはり適当な言葉が見つからず、黙り込むしかないフェリクスであった。




