31 爵位
さて、フェリクスがノイシュット子爵領を訪れた最大の理由であったアルブレヒトからの「直々に話したいことがある」の内容。それはやはり「爵位の生前贈与」に関するものであった。
この秋、ノイシュタット子爵アルブレヒトは、48歳という年齢にあり、シュヴァルツヴァルト辺境伯ジギスムントとは、ちょうど10ほど離れた年齢であった。
現代の読者の感覚からすれば、48歳という年齢はまだまだ若く感じるかもしれないが、この時代の成人の平均寿命を考えれば、十分に「晩年」とも言える年齢であった。ゆえにアルブレヒトからの提案は、極々自然なことではあったが、フェリクスはそれに対し、一旦保留の態度を示した。
「 ―― 申し訳ございません、義父上。
今はまだ、やっておかなければならぬ仕事が山積みの状態でして、この上、子爵領の管理までもは正直、私の手に手に余ります」
「いや、その点に関しては家令のハインリッヒもおるし、儂もまだまだ手伝えることもあるだろう。儂が言っておるのは<子爵>という爵位を自らが持つことによる今後の対外交渉の体面の話のことよ。いつまでも<子爵家の公子>と名乗っておる程度では権限上、困る場面もあろう」
優しい目線でフェリクスを見つめ、そういうアルブレヒト。
「な、なるほど……」
アルブレヒトが、それまでに見せたことのなかった柔和な表情であることに、少々戸惑いながら応えるフェリクス。
これまでアルブレヒトにとって、フェリクスはまさに<鬼子>のような存在で、正直扱いに困る面も多々であった。しかし、昨晩のバーゼル大司教領への誤解に対する狼狽ぶりを見る限り、「まだまだ子供よ」と感じる部分もあったため、自分にもフェリクスを手助けできる余地が残されていると、その態度を軟化させていたのであった。
「子爵領内における統治に関しては、今しばらくはこれまで通りであるから安心しておけ。それよりも昨晩話しておった大幅な方針転換の方が忙しかろう。だが、あまり根を詰めすぎるでないぞ。心が疲弊しておる時は、その判断も誤りがちになるゆえな」
「はっ、ありがたきお言葉、深く心に刻み込ませていただきます」
左手を軽く上げ、「もう下がってよい」という合図を送るアルブレヒト。フェリクスの退出を確認し、窓の外の景色に目を遣り、さまざまな哀愁と寂寞を感じるアルブレヒトであった。
◇
「なんだ、お前もついて来るつもりか、バルデ」辺境伯家が手配した馬車の前で、フェリクスを待っていたテオドールは、バルデがフェリクスと共に現れたことに対し、からかい半分でそう問いかけた。
「ああ、ここの特別室よりもシュヴァルツヴァルトの方が、より多くの<フェリクス・コレクション>があると聞かされたからな。悪いが同乗させてもらうぞ」
「「なっ……(無礼な)!」」
思わず声を上げたのは、辺境伯家の馬車を操縦する馭者と警備の従士であった。
「ああ、それはかまわぬ……が、ちゃんとうちの家族たちの前でも、お前さんの演目をやってもらえるのだろうな、バルデよ?」
「ああ、それはギャラ次第でもあるが、まずはこのフェリクス様の許可を取ってくれよ。なんせ、この俺様はフェリクスの専属放浪楽士様になったのだからな」
「専属なのに放浪とは、いったいどういう意味だ、バルデよ?」鼻で笑い、上目遣いで挑発するフェリクス。
「いちいち、ひとの言葉尻を捕まえるな。そのように度量の小さい主では、誰からの忠誠心も得られんぞ、小フェリクス」
「はっ、どうやらバルデの懐柔にも成功したようだな、フェリクス」フェリクスの復調ぶりに、安堵の笑みを浮かべるテオドール。
「さあな、ともかくバルデは、この俺の専属楽士となった。だから今後、この男の生殺与奪の権限も俺次第と言ったところだな」
「はっ、そう悪ぶるなって、フェリクス君。君と僕との仲ではないか」フェリクスに上から肩を組むバルデ。
その光景に唖然とする辺境伯家の馭者と従士。
「では、そろそろ帰るとしようか。シュヴァルツブルクへ」肩を組まれたまま、テオドールにそう告げるフェリクス。
「おいおい、待っていたのはこっちだぞ。なんだ、その言い草は?」呆れた顔をしながら、フェリクスとバルデを先に馬車へと促すテオドール。乗り込むふたりの背後から、両者の尻に一発ずつパンチをお見舞いする。
フェリクスはそれに笑い、バルデはさらにテオドールの頭を撫で、その手を必死に振り払うテオドール。その光景に辺境伯家の馭者と従士は「この楽士はいったいどのような魔法を使ったのだ?」と目を丸くしたまま、しばし呆然と馬車の前で立ち尽くしていた。




