28 オデュッセイア
酷過ぎる二日目の公演を終えた後、フェリクスはバルデと約束通り、話し合いの場を持つこととなった。子爵が大変怒っているということもバルデに伝え、翌日の公演はちゃんと集中してやれ、と念を押すためにも。
「それは俺が悪かったが……」
バルデからすれば、領館の特別室に収蔵されているオーパーツのようなインキュナブラたちの存在理由が、今も気になって仕方がなかった。しかし、子爵に追い出されてしまっては、これ以上、その叡智に触れることも、秘密を知る機会をも潰えてしまう。渋々謝罪するほかなかったが「そんなことはどうでもいいから、さっさとアレらの秘密の正体を教えろ」という心の声も、しっかりと口からそのまま無意識に漏れ出していた。
「それに関しては、君が真に信頼に足る人間かどうかが分かってからではあるが……」
「あるが、なんだ?」
「とりあえずは、私の紐付きの楽士になるつもりはないか、バルデよ?」
「この俺様をお前個人の紐付きに、だと?」
(―― 悪い話ではない)とバルデは感じながらも、生来の独立独歩の風来坊気質を自認する男でもある彼のこと。すぐさま胸中の悪い虫が騒ぎ出し「悪いが俺は一か所に定住するってのがどうにも出来ない性分でな」といった強がりなセリフが、バルデの意思に反し、勝手に彼の口から飛び出した。
「別に私も完全に君を縛り付けようとまでは考えていない。とりあえずはここの図書を読み飽きるまでの時間くらいは、ここに逗留するつもりだろ?」
「ああ、それは願ったりだが」
「読み飽きて、また放浪したくなったら、いつでも連絡が付くようにこちら側の従士を連絡係としてふたりほど連れて行ってもらいたい」
「……なんだ、この俺に見張りを付けるつもりか? 勘弁しろよ」
「その代わりと言ってはなんだが、君が旅に出ている間の毎夜の宿泊費と飲み代程度は、連絡係に持たせるとしよう」
「んっ、それはまことか? 悪い話ではない……が、そうまでしてこの俺に首輪を付けたい意味はなんだ?」
「な~に、私が君を私の楽士として使いたいと考える時に、ある程度すぐに呼び出せるくらいの関係性は、君とは作っておきたいと言ったところかな」
「……さすがにそれは、道楽に過ぎないか?この俺はそれほど安い男じゃないぞ?そもそも君に私を満足させるだけの給金を……いや、問題なく払えるか、君であれば……」無意識の内に自分の言葉遣いが変わっていることに、まだ気付かないバルデであった。
◇
収穫祭の最終日。
朝から上機嫌なバルデは「今夜は取っておきの演目をお前さんにも見せてやろう」とニヤニヤとしながらフェリクスに告げ、また特別室へと籠った。
(まさかバルデのやつ、私が書いた<前世の世界の物語>を勝手に演目としてやるつもりじゃあるまいな?)
釘を刺しておくべきかと考えながらも、彼の名演による<かつていた世界における傑作>、その鑑賞機会という誘惑に負け、フェリクスは「まあ、どうなっても目をつむることにするか」と、領館を後にした。
◇
「今夜のバルデは本当にもう大丈夫なのか?」
特設席でフェリクスに問う子爵アルブレヒト。
「はい、おそらくは」
「たしかに初日の公演は素晴らしかったが、あの性格はどうにかならんのか?」テオドールも半ば呆れたような顔でフェリクスに問う。
「君は意外に彼のような性格を嫌いというわけでもあるまい」
「ははっ、まあな。だが、今夜も昨晩のようなヘマをするようなら、さすがに考えものだぞ。魔法使いのお前のことだから、やつのことも巧く手懐けることに成功したとでも信じたいところではあるが」子爵の内心を汲み取り、それを代弁するかように、フェリクスにではなく、むしろ子爵に向かって聴こえるように、そう語るテオドール。
「魔法使いとはいったいなんだ、テオドール。フェリクスがまるで異端者であるかのような表現は控えよ」テオドールを嗜めるアルブレヒト。
◇
「あー、昨晩は大変お見苦しい公演をお見せしてしまい、集まった観客の皆様には大変失礼をした。その代わりと言ってはなんだが、今夜は我が友人の放浪楽士が創った、この世界とは「また別の世界」の最高の物語『オデュッセイア』の一説を皆様には、ご覧いただこう」
「オデュセイアだと!?」思わず席から立ち上がるフェリクス。
「なんだその、オデュセイアというのは? 聞かぬ名だが」
フェリクスが書いた物語は、全て読破しているテオドールが知らない、フェリクスがまだ書き起こしてすらいないホメロスの叙事詩『オデュッセイア』。
その名がバルデの口から上ったことに、一番混乱していたのは、他でもないフェリクス自身であった。




