01 誕生
目がくらむほどの強烈な光。
その上、呼吸が上手く出来ない。
やわらかく、大きな手に抱えられ、いきなり尻を強く引っ叩かれる。思わず「ギャッ!」と悲鳴が出た。
産道を通過する際に、押し潰された肺が、悲鳴とともに少しだけ拡張する。が、まだまだ呼吸が苦しい(※1)。胸郭の開放を意識し、必死に何度も声を振り絞り、ようやく肺が正常な形へと整い始める。涙で視界がさらに、ぼやけた。
「よし、元気な男の子だね」
私を抱きかかえる、産婆と思しき女の、ふくよかな声。
「男か。なら今日からお前の名前は、フェリクスだ」
おそらくは父親か、祖父あたりの声だろうが、ぼやけたままの視界で、顔の判別はできない。赤子の視力がハッキリとしはじめるのは、生後2~3ケ月ほどが経過してからのことだという。
「よく頑張ったな、ハンナ。お前は大丈夫か?」
「ええ……びっくりするくらい、すんなりと出てきてくれたから……ふたり目だからなのかしら……ねぇ、私にも早くフェリクスの顔を見せて」
「ねぇねぇ、このあかちゃんが、ぼくのおとうとなの?」
何を言っているのかは分からないが、言葉の響きから察するに、やはり訛りのきついドイツ語あたりに聴こえる。だとすれば、私にとっては完全に門外漢の言語だ。習得には、それなりの時間を要することになるだろう。
小さな男の子の声は……ひょっとすると兄であろうか?
前世では弟と妹がひとりずついたが、兄だとすれば、初めての存在。今後どう接していくかな?
「ところで、ハンナ。悪いが、もし大丈夫そうなら……俺は職場に戻ってもかまわないか?」
「えっ、ええ……大丈夫だけど……そんなに忙しいの、テオ?」
「ああ、悪い。今度の演習の準備やら何やらで、今日は北門の警備の数がどうしても足りてなくてな。無理を言って休ませてもらってたんだ」
「パパ、おしごとにいっちゃうの?」
「ああ、俺の代わりにママとフェリクスのことを頼むぞ、ハインツ。お義母さん、それでは、そういうことなので申し訳ありませんが、この後もよろしくお願いします」
テオと呼ばれていた父親らしき男が、足早に部屋から立ち去っていく音が聴こえた。
「悪いわね、フェリクス。お父さんも従士に召し上げていただいたばかりで、大変なの。分かってあげてね」
やさしく頭をなでてくる女に、愛想笑いを返し、私はまた纏わりつく睡魔に身を委ねることにした。
【登場人物の名前の由来、意味】
フェリクス 「幸運」
テオ ※テオドールの愛称「神の贈り物」
ハンナ 「親切」「優雅」
ハインツ ※ハインリッヒの愛称「家の主」
「義母さん」と呼ばれた産婆は、ハンナの母、祖母のクララのことである。
(※1)胎内にいる頃、赤ん坊は母親のへその緒を経由し、血液中から酸素を得ている。誕生と同時に胸腹式呼吸へと移行する。この際、産道を通過する時に胸部が圧迫され、一時的に肺が押しつぶされるケースがある。オギャー!の元気な鳴き声は、肺にちゃんと空気が入り、正常に肺呼吸が始まったという合図ともなる。