26 バルデ
バルデのパフォーマンスは、まさに圧巻のひとことであった。
前の二組(単独とふたり組)の演目もそれなりに素晴らしく、観客を大いに楽しませたが、バルデはその空気すらをも一瞬で吹き飛ばした。
観客は、時に呼吸をするのも忘れ、時に歓声や怒号を飛ばし、手拍子に涙とジェットコースターような熱狂を、バルデたったひとりのパフォーマンスによって引き起こされた。
わずか三弦から掻き鳴らされている音色とは思えぬ、聴く者を幻惑させる演奏。数多の声色を使い、舞台が登場人物たちで埋め尽くされているかの如く錯覚させる、彼の憑依的な演技力は、まさに「当代随一」の名に恥じぬものであった。
鳴りやまぬ拍手と歓声。
だがバルデは、舞台の中心でひとり不満げな表情で、遠くフェリクスたちの座る特設席を見つめ、大きな声で、こう言った ――
「何か私の演目にご不満な点でもございましたか、子爵家の方々よ!」
(当代随一と名高い魅惑の放浪楽士バルデ)
―― 静まり返る客席。
ノイシュタット子爵アルブレヒトは、従士のひとりに耳打ちし、後で町の領館へとバルデを招くよう指示をした。
◇
「―― で、お話というのは いったい何でございましょうか。この後すぐに町娘のひとりとの約束がございますので、出来れば手短にお願いしたい」足を組み、椅子にふんぞり返るバルデ。
「なっ!」雇用主を馬鹿にされたと苛立ちを見せる、領館に居合わせた数名の従者と従士たち。
子爵アルベルトは左手を上げ、皆を黙らせ「……用があるのはこの私ではない。そこに座るフェリクスの方だ。しかし、まあ、その態度……さすがに少々度が過ぎるのではないのか、バルデとやら」
「それは申し訳ございません、子爵。私は生来の無作法者にございまして」悪びれもせず、挑発的な態度をやめないバルデ。「で、そこにいる坊やは、いったい私に何の用だ?」
「はっはっはっ、私もあまりひとのことは言えませんが、アナタもよくこれまで無事に生きてこれたものですね、楽士バルデ」足を組み、ふんぞり返ってバルデと同様のポーズをとり、わざとバルデを挑発するような態度で返すフェリクス。
「……それが神童フェリクスとやらの本性か?」左耳の上部を触りながら、まだ姿勢を改めないバルデ。
「さて、どうでしょう?」
「で、俺と話したいことってのはいったい何だ?」
「まずは先ほどの演目について」
「そう、それだ、それっ! なぜ、お前たち特設席に座っていた連中だけが、あのような表情をして、俺の舞台を見ていたというのだ?よく出来た話だっただろ?何かお前たち田舎貴族の気に障るような部分でもあったのか?」ようやく腹の内を見せたかのように、本物の感情を露わにするバルデ。
「いや、そもそもあれは、だな……」フェリクスの後ろでずっと黙っていたテオドールが、ぼそりとつぶやく。
「おお、俺の最高傑作のひとつ『水上の貿易商』の演目のどこに不満があったってんだ、そこの坊主!」
「はっ、この俺にまでそのような口を聞くか、放浪楽士風情が。ああ、良いだろう。教えてやろう。あれはフェリクスが匿名で書いた『ヴェニスの商人』のただの盗作、いや劣化版ともいえる、お粗末な内容の演目だったではないか!」
「はっ?……なんだ、その……『ヴェニスの商人』てのは? それにフェリクスが書いた……だと?」予想外の答えに一気にトーンダウンし、混乱を見せるバルデ。
「おい、テオドール。あれは私が考えたものではないと何度も ―― 」
「じゃ、じゃあ、誰が考えた話だというのだ!この俺の『水上の貿易商』を超える商人の……いや、そもそもヴェニスってのはどこの話だ? ウェネティアの連中が作った港町の俗名か何かか?」
「おそらくはそれで間違いはないでしょうが、あれはこの世界の話ではなく、架空の世界の話で」
「……架空の世界?……で、けっきょく誰が書いたんだ、その物語を? 俺は『水上の貿易商』の物語を作るのに丸一年もの取材期間を費やしたのだぞ。天才のこの俺が!」
一瞬、全員が無言となり、永遠に近い数秒の沈黙の時が流れる。
「……うーん、どうでしょう。まずはアナタの人柄をいろいろと知ってから、作者の正体を教えるかどうかを考えることにでもしましょうか」頭を掻きながら、そう答えるフェリクス。
この意外な判断に、少し驚いた表情を見せるテオドールと子爵。(このような者に本当に お前の秘密を教えても大丈夫なのか?)といった面持ちである。
「もったいぶりやがって。早く教えればいいものを」
「その代わり『ヴェニスの商人』のインキュナブラ(=活版印刷で作られた初期の本)は、お見せしましょう。ラティウム語版と帝国語版がありますが……アナタは文字を読めますか? ぜひとも読んだ感想を聞かせていただきたいところなのですが……」
「舐めるなよ。ラティウム語と帝国語、どちらのものでも全く問題はない。なんなら中東の言語で版だって構わないぞ。それにインキュナブラだと?非常に読みやすいって噂の例の活版印刷とやらを採用した本のことか?」
固まる一同。
演目の素養の高さから、ラティウム語と帝国語の両方を読める可能性は、皆がある程度は想定していたことであったが、中東の言葉まで理解するとなると、知識階級の中でも上位の教養の高さが備わっていることを意味する。
なぜ、そのような男が<放浪楽士>などをしているのか?
フェリクスは、また脳内計算を高速で始めるのであった。
……取って出し投稿は大変ですね。
ほぼ、無修正(!)の状態で投稿しております。
そしてまた、みんなよく好き勝手にしゃべる(苦笑)。




