19 病室
ミロフラフからのお願いとは「一度王宮に顔を出して欲しい」というものであった。兄で皇帝でもあるボヘミア王ヴィクトールの娘エステル。まだ7歳ではあるが病気がちで健康状態を一度診て欲しいという。
「……私は医者ではございませんよ?」
そう答えるフェリクスに対し、ミロスラフは
「君の方が宮廷医などよりも よほど科学的であろう?」と返した。
かくしてフェリクスは「司書への口添え」程度とは割に合わない要求に、応えることとなった。
◇
「まずは部屋の空気の入れ替えを毎日きちんと行い、こまめにシーツ等の交換も行ってください。瀉血は二度と行わぬよう。日中は表に出来るだけ出て、少しだけでも日光を浴びる習慣を。動けるようになれば適度な運動も。食事に関しては―― 」メモを取る侍従に向かい、語り続けるフェリクス。
エステルの状態は明確で、不健康な暮らしぶりからくる体力と気力の低下であった。一度、風邪を引いてからというもの、なかなか戻らぬ体力とそれに伴う引きこもり生活により、更なる体力の低下という悪循環がエステルを苦しめていた。栄養面でのバランスの悪さも風邪を重篤化させ、後遺症を長引かせている原因となったが、この時代では栄養という概念そのものを知る者が少なかった。
「辺境伯家の連中のように、我が娘にも庶民が食すような食物を勧めるつもりか、坊主?」フェリクスにそう問うのは、エステルの父であるボヘミア王にして、皇帝のヴィクトールそのひとであった。
「古来より東方には、食を以て薬と為すという考え方がございます。食事は食い合わせにより、毒にも薬にもなります。偏った食事、特に肉食ばかりがもたらす弊害などに関しましては、それらをまとめた書籍が貴族学院高等部の図書室に寄贈されておりますゆえ、一度ご確認いただければと」
「ほお、東方の知識と来たか。教会の教えと反するような話ではあるが……辺境伯家の連中の健康状態を見る限り、あながち間違った考えでもないようだな。特にジギスムントの妻と娘の、ここ数年の異常なまでの美しさの磨かれぶりときたら…… ―― 」愛娘エステルの悲しげな目線が、自分に向けられていることに気づき、言葉を止めるヴィクトール。
「エ、エステル、お前もフェリクスのいう食事メニューを摂るようになれば、辺境伯家の美女たちにも負けぬ美貌を得ることとなろう。しっかりと健康を取り戻そうではないか」ベッドで半身を起こして座らされているエステルの頭に手を置き、半分以上の作り笑いで誤魔化すヴィクトール。
「これからの季節、外は少々お寒うございます。寒い中、外気を浴びることでも得る健康はございますが、日中は日常的に明るい場所にいられるよう、簡単な温室などをこの王宮にも造ってみてはいかがでしょうか?」
「なんだその<温室>なるものは。教えよ、フェリクス」フェリクスを王宮に連れてきた張本人ミロスラフが口を開く。
「枠組み以外は天井も壁も透明なガラスのみで作られた部屋のことにございます。空気を密閉しておけば、太陽光により温められた室内にいたまま、屋外にも近しい気分で日の光を楽しむことが可能となりましょう」
「と、透明なガラスで作られた部屋だと。いったいいくらかかるというのだ!?」ミロスラフの言葉に、フェリクスを除く、部屋にいた全ての人間が息を飲んだ。
「透明なガラスの量産は、すでにシュヴァルツヴァルトでも可能となってきております。従来よりも高品質で安価に……いえ、王女おひとりがお楽しみになられる程度の 比較的小規模な温室の枚数分だけでもよろしければ、私の方からジギスムント閣下に、帝室への献上を具申することも可能かと」本来、自分の裁量だけでも問題なく動かせる量の話ではあったが、敢えてジギスムントの名を出したフェリクス。
「そ……それは誠か?」唖然とした表情でフェリクスを見つめるヴィクトール。ミロスラフも含め、皆が同様の反応を示し、どよめく。
「シュヴァルツブルクの城にもすでに温室があり、辺境伯家の方々も大変お気に入りのご様子。きっとエステル様にも気に入っていただけるものとなるかと」
「……噂には聞いてはいたが、シュヴァルツヴァルトの隆盛ぶりは、まさに絶頂のようであるな」肩を落とし、つぶやくミロスラフ。
「ぼ、フェリクスよ……お主には やはり、もう少し話に付き合ってもらう必要があるようだ。悪いが別室の方にも来てもらうぞ」悩ましげに眉根を人差し指で撫でながら、誘うヴィクトール。
「かしこまりました、陛下」
おそらくは、ここからが今回の王宮への招待の本題。そう予測していたフェリクスは、即答し、腹をくくった。
自分には何の気もかけず、そのまま部屋を出ていくヴィクトール、ミロスラフ、フェリクスの三名の背中を口を半開きにしながら、寂しげに、じっと見つめ続けるエステルであった。
新年、明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します(定型文)。




