18 大学図書館
「―― いや、だから今月から飛び級でこの大学に編入してきたって言ってるじゃないですか、何度も」
「冗談はよし給え。君のような年端もいかぬ少年がこの帝国の最高学府に合格するわけがなかろう。寝言は寝ながら述べるものであって、陽が昇っているうちから口にするものではないぞ」
「新年度の学籍名簿にちゃんと私の名もあるはずだから一度、事務局に確認してください」
「私が席を立った隙に、この王立図書館でいったい何をするつもりだ。たとえ君が良家の子息であろうとも、いたずらも場合によっては極刑もありうるのだから止めておけ」
話の全く通じない司書との不毛なやりとりに、辟易としてきたフェリクス。これまでは、ずっと貴族と富裕層の子息のみが通う一貫校であったため、彼の異常なまでの飛び級の事実も、比較的すんなりと受け入れられてきた。だが、この夏、編入を許された欧州最初の大学、王立ヴラディミア大学においては少々勝手が違った。
学内のどこを歩いていても「おい、そこの少年、こんなところでいったい何をしているんだい?」と声をかけられ、講義室にでも入ろうものなら、入室のたびにクスクスと笑い声が起こる。この大学の生徒の大半は、一般市民から選りすぐられてきた者たちで、貴族家からの生徒は数えるほどしかいない。ゆえにフェリクスような少年の存在を知る者はほとんどなく、「貴族家の令息のお忍び社会見学」程度にしか、フェリクスの存在を認識する者がいなかった。
(ずっとこのような調子だと、先が思いやられるな……)
図書館の高い天井を見上げ、深く天に息を吹きかけるフェリクス。
すると背後から不意の声がかかった。
「どうした、そこの少年。助け舟が必要かな?」
ふり返ると、少し離れた距離に四名の男が立っており、その先頭に立つにこやかな男が、フェリクスに声をかけてきたようである。
「はっ、お初にお目にかかります、殿下。
私はシュヴァルツヴァルト辺境伯家の寄子、ノイシュタット子爵家のフェリクスと申します。この夏、この大学に編入を許されたばかりの若輩者にございますが、この見た目からか、学内のどこに行っても ここの生徒であるとはなかなかに認識してもらえず、非常に困り果てている次第で……」
「ほぉ、さすがは神童と名高き少年。ひと目でこの私を王族と見抜くか。華美な服装をしているつもりもないのだが……ついでだから、私の名も当ててみせてはくれはせぬか?」人懐っこい微笑でフェリクスにそう返す、殿下と呼ばれた男。
「ボヘミア王にしてこの帝国の至尊、皇帝ヴィクトール陛下の弟君、ミロスラフ殿下であらせられると推察致します」
「「おお~」」取り巻きの内、ニ名が感嘆の声を漏らす。
「……なぜ分かった?」ミロスラフが、フェリクスに問う。
「まず、お付きの方々も含め、質素な学生風を装ってはおられますが、皆、上質な素材を使った品の良い衣服をお召しになられておられます。また殿下のマントの襟元のボタンに施された獅子の図柄は、このボヘミアの王族にしか使うことが許されていない、王冠を戴く金獅子の紋章。そこで、そのお年頃とこの場所での邂逅の意味とを考えれば、世に聞きこえし、賢弟ミロスラフ殿下でまず間違いはないかと」
「ほぉ……その距離からこの小さな記章の王冠までもがしっかりと見えておるのか。目が早いうえに、視力も相当良いようだな。で、この場所でのというのは いったいなんだ。私がこの大学に通っているということは、まだこの王国内でも少数の者しか知らぬ情報であるはずだが?」
「殿下の学術方面における異才ぶりと、その行政手腕に関しましては、シュヴァルツヴァルト領内でも大変注目を集めておられますゆえ」
「はっはっはっ、天下のシュヴァルツヴァルトの神童からそのようなことを言われては、己の未熟を恥じ入るのみよ。シュヴァルツヴァルトのここ数年の恐ろしいまでの隆盛ぶりには、やはり君が一枚噛んでいるのか、フェリクス殿?」
「まさか、全ては辺境伯であらせられるジギスムント閣下のご英断の結果にございます」
「……食えぬ少年だな、君も。子供なら子供らしく、もう少し素直に腹の内を見せてくれても良いものを……ああ、それよりも先に図書の閲覧の話を片付けておくか。司書殿、ここまでの話はちゃんと聞こえていたな?」今度は司書に向かって問いかける王弟ミロスラフ。
「はっ、はい……お聞かせいただいておりました」恐縮し、答える司書。
「ならば、フェリクスの今後のこの図書館利用の件、他の職員たちへの周知の方も宜しく頼むぞ」そう言い、フェリクスに、にこりと目配せを送るミロスラフ。
「とまあ、これで、この図書館の利用の件に関してはもう大丈夫だ。そこで代わりにと言ってはなんだが、今度は少しばかり、私の願い事も聞いてもらえると非常に助かるのだが、フェリクス殿?」
―― しまった!と少し身体を硬直させるフェリクス。
「わ、私に可能な範囲でございましたら……」
いったいどんな無理難題を言われるのか、心の中で頭を抱えるフェリクスであった。
(ボヘミア王の弟でこっそり大学生のミロスラフさん 19歳)




