17 ジギスムントの独白
城の四階部分にあたる執務室の窓から、手持ち望遠鏡を覗き込むジギスムント。焦点さえ合わせれば、城門前であくびをしている警備兵、城下町の風景、そして森の中に隠した専門技術者の町までもが鮮明に、まるで手を伸ばせば触れる場所にあるものかのように見える。
(これぞ、まさに神の視点)
ジギスムントは、政務の合間、合間で望遠鏡を覗き込む、覗き魔となっていた。
フェリクスが、このシュヴァルツヴァルトにもたらした革命の数々。その中でも、この手持ち望遠鏡は、特にジギスムントのお気に入りとなっていた。
城下の光景を眺めながら、ジギスムントは いつしか、ここ数年で起こった「怒涛の変革」の日々の追想を始めた。
◇
―― フェリクスを得てからの、この五年。
我が領地は空前絶後の発展を今なお続けている。
もしあの時、あやつに声をかけていなければ……想像するだけで恐ろしい話だ。
はじめは知能の発達が異常に早い、少々特殊な子供程度に考えていた。「早熟の天才」というやつは稀にではあるが、いるにはいる。果たしてテオドールの従士として、帝都留学に付いて行かせるだけの価値があるのかどうか。それを押し測るための面談のつもりであったのが……。
思えば、そのどうということのない判断のひとつが、このシュヴァルツヴァルト全域の運命をも変える大きな決断となってしまった。
従士としての適性は、それなりにありそうであった。だが「前世の話」なるものを始めたあたりで、儂は少々がっかりもした。「並行世界」なる理解不能な概念まで持ち出された時は、迷子にもなりかけた。
(稀に見る賢さではあるが、賢いがゆえの「重度の妄想癖」があるのやもしれぬな、この少年には……)儂はそんな考えをぐっと飲み込み、もうしばらく泳がせることにした。
するとすぐに潮目が変わった。フェリクスの前世では<常識>であったという衛生学と栄養学の話を始めたあたりからのことである。
儂は兄と弟、そしてひとりの妹を全員若くして、亡くしている。各自、別々の死因ではあったが三名ともが「病死」。誰ひとりとして二十歳までもを生きることが叶わなかった。儂が成人するまでの間に、母も失った。先代である父も、辺境伯位を儂に譲った翌年には、やはり亡くなられた。
(このままでは曾祖父の代から続くシュヴァルツヴァルト辺境伯家の直系の血筋が断絶してしまうではないか!)
儂は、我が一家にのしかかった短命の呪いに、怒りと恐怖を覚えていた。
フェリクスの前世では常識であったという衛生学と栄養学の話。その衝撃的な内容に、儂は平静を装ったが内心、気が気ではなかった。話す内容のひとつひとつが、あたかも、それまでに家族に降りかかった死の呪いの原因のすべてを、儂に教えてくれているようであったからだ。
蒙を啓かれた気分であった。
それまでにも少なからずは持っていた「教会の教え」に対する不信感が「確信」へと変わったのも、正にこの瞬間であった。
そこから儂は、ひとまずフェリクスを全面的に信じてみることにした。たとえ、その判断が間違いであったとしても、彼がもたらした<答え>は、儂が求めていた答え以上の信憑性と納得とを有していたからだ。
翌日には、すぐにこの判断が正しかったことが証明された。フェリクスが持つ<カメラアイ>の披露によって。
カメラアイは、まさに神からフェリクスに与えられし、贈物であった。フェリクスから聞いた前世での生い立ちと才能との相性。その能力を生かせぬまま死に、そしてこの時代にフェリクスが転生してきたことの意味。儂は、そこに<神の介在>を感じずにいられなかった ―― ヨハネス教がいうところの神とは、また別の神であろう存在の意思を。
儂は、フェリクスの前世の知識を用いた様々な改革や開発に、私財を投げ打って着手することにした。最初の二年の間で、それまで潤沢にあった資産のほとんどを消費してしまい、焦りもした。だが三年目には、遂に単年度収支が黒字へと転換。五年目となった昨年は、それまでに投下した資金のすべてを回収することに成功。その上で、さらに黒字を生むという快挙を得ることとなった。
この好循環は今年に入り、さらに勢いを増している。シュヴァルツヴァルトの隆盛ぶりは、すでに帝国諸侯たちの間でも、大きく知られるところとなっている。
農政改革によってもたらされた豊富な食料と供給ライン。衛生学と栄養学の周知により、大幅に改善した市民たちの健康状態。糞尿処理などの徹底により、美しく生まれ変わった街並み。様々な発明品や知識が生み出した文明の飛躍。そこに群がる各国の商人たち。そして生産が追い付かないほどの特需、特需、特需……。
一昨年から、他領からの流民たちが後を絶たない状況ともなってきている。
当初、民に逃げ込まれ、賠償を求めてきた近隣の小領主たちに対し、儂は断固として突っぱねるつもりでいた。しかし、フェリクスはやつらに対し、一定の賠償金を支払った上で平和的恭順を持ちかけることを提案してきた。おまけに農耕分野における新技術と用具等の低価格での提供などの追加条件も付けて。
当然、これを嬉々として受け入れた小領主たちではあったが、やつらの多くは農政改革をやり切るだけの資金も能力もなかった。すぐに空転し始め、続々とやつらの私財が底を見せ始める頃合いを見て、今度は領地を接収する代わりに、失敗した小領主たちには名誉職を与え、毎年それなりの俸給を与えるよう、フェリクスは進言してきた。
結果、我々は一定の初期投資が済んだ彼らの領地を手に入れ、またその手腕を見た、少数ではあるが改革に成功した小領主たちからも、忠誠に近い信頼を得ることに成功した。
今や彼らの口々からは、儂を<選帝侯>に推す声まで上がり始めている。
フェリクスの鬼才は、ほんとうに留まるところを知らぬ。フェリクスは、その名の通り、まさに天が、このシュヴァルツヴァルトにもたらした「幸運」の使者であったというわけである。
反省)
ジギスムントの独白の口調が、後半に行くほど、味が消えてしまっているな、これ……いずれ折を見て手直しですね。
余談)
あと挿入画像は「望遠鏡から見えるインジュニアシュタット」を作りたかったが、AI先生が巧く作ってくれないので、これも後回しか。




