12 名代
昼食から三刻ほどの時が経つ頃、また「今夜も泊って行って欲しい」と、ジギスムントからの要請がフェリクスにあった。だが、これ以上の滞在はジギスムントの今週の政務にも、支障が出ることも明白。
一度、家族にも自分の口から現状と「これから」についてを伝えておく必要もある。フェリクスは一旦帰宅し、また次の太陽の日(日曜日)に参内するということで、マクシミリアンと話を詰めた。
この時代の市民の夜は、非常に早い。
<ニ相睡眠>と呼ばれる睡眠方式が一般的で、夜は早く(前世における)21時前後には一旦寝る。真夜中に1~2時間ほど起き、各々の活動(夫婦は愛を確かめたり)を終えると、また二度目の睡眠に入り、日の出とともに朝を迎える。これがニ相睡眠と呼ばれる、電気が普及する時代までの一般的な睡眠方式であった。
フェリクスは夕食後の帰宅を勧められたが、それも固辞し、夕刻までには家族の待つ家に帰ることにした。
◇
「帰宅用の馬車が、ご準備出来ました」と執事から告げられ、それまで、ずっといっしょに話し続けてきたマクシミリアンと共に馬車へと向かうフェリクス。
城門前では、すでにジギスムントとテオドールが待ち構えていた。
「本当に帰ってしまうのか、フェリクス?」
まるで今生の別れでもあるかのように、大げさに落胆した表情を見せるジギスムント。
「また次の太陽日には必ず戻ってまいりますゆえ、此度はご容赦ください。一度わが家族にも現況とこれからについてを伝えておく必要がありますゆえ」
苦笑いしながら、諭すように応えるフェリクス。
「これはフェリクスに子爵家を継がせる予定である旨と、その代わりにお主の父であるテオを騎士に昇進させることなどを記しておいた書状だ。私の名代として後ろに控える使者に持たせるがゆえ、帰宅後に家族に ―― 」
「お待ちください、父上。名代でございましたらこの私、マクシミリアンめにお任せを」ジギスムントの言葉を途中で遮り、名乗りを上げるマクシミリアン。
「ず、ずるいよ、兄上。名代であればこの僕が!」
慌てて、テオドールも立候補する。
「ふっ、お前のような幼子が名代では、フェリクス殿のご家族も困惑なされてしまうではないか」テオドールの名乗りを鼻で笑うマクシミリアン。
「お前らはフェリクスに付いて行きたいだけであろう……。行って良いものであるなら、この儂が自ら出向きたいくらいであるのに……」
使者となる予定だった男や、馬車の御者、遠巻きに眺めていた警備兵たちなどが、初めて目にするような辺境伯一家の姿に、一様に目を丸くさせていた。
◇
「ただいまー」
「おおっ、やっと帰ってきたか、我らがフェリクス!」
まだ帰宅には早い時間帯ではあったが、すでにフェリクスの帰りを今か今かと待ち構えていた父のテオ。
「遅かったじゃない、フェリクス。どうしてひと晩泊るなんてことになったの? 本当に心配したのよ」普遍的な母親の愛情で、フェリクスを迎えるハンナ。
祖母のクララは、ニッコリと「おかえり」とだけ告げ、兄のハインツは、微妙な表情で弟のフェリクスを見つめている。
「―― で、首尾はどうなんだ。従士にはしてもらえそうなのか?」フェリクスの両肩を掴み、鼻息を荒くするテオ。
「 おほんっ!あー、その件につきましては私の方から」玄関先から中を覗き込み、そう告げるマクシミリアン。
「あ、貴方様は……!」
明らかに高位の身なり。見覚えのある尊顔に凍りつくテオ。
「私の名はマクシミリアン・フォン・シュヴァルツヴァルト。この一帯を領地とする辺境伯家の子倅にございます」
「マ、マ、マクシミリアン様……私がお仕えする辺境伯家の……お、お世継ぎ様にございませぬか!?」まだ遠巻きにしか その顔を見たことがなかったが、言われてみれば、本人で間違いないと硬直するテオ。家族も同様である。
「この度、私が訪問させていただいたのは、ご子息の将来と ご家族さまの今後についてを我が父ジギスムントの名代として、お伝えさせていただくためにございます」マクシミリアンはマクシミリアンで、まるで躁状態のように、ニコニコと芝居がかった名代役を演じている。
貴公子マクシミリアンが、庶民である自分たちに対し、ずっと敬語を使ってくる。そのことに、得も言えぬ恐怖を覚えながらも、固唾を飲んで次の言葉を待つテオ一家。
マクシミリアンは告げた。
子爵家の世継ぎとして、フェリクスを養子縁組させるという提案(という名の決定)を。そしてその補償として、テオの騎士爵への昇進の辞令とをであった。
(望外の昇進の辞令にシンジラレナーイ!な、お気持ちの父のテオさん 29歳)
補足)
この時代の夜の話。
夜に明かりを灯すろうそく。当時はけっこう高価な贅沢品という扱い。材料には、獣脂を使っており、使用時の匂いもかなりきつい物であったという。そのため、教会や王宮などでは蜜蝋を使った、より高価なろうそくが使用されており、こちらは匂いも軽い物であった。
ろうそくの代用品となるような照明器具は、他にもあったようだが、どれも非常に光量が少なく、アクティブに過ごせるほど、部屋を明るくしてくれるようなものではなかったようだ。
食事も一般的に、夜よりも昼が豪華。
それは貴族にしても同じで、やはり「明るさ」が理由。電気が普及するまでの社会では、昼食こそがその日のメイン。夕食が豪華になったのは、人類史でも、まだまだほんの最近の話と言える。
日が暮れる直前まで働き、夜明け前には起きて、また労働へと向かう。夜は明かりも少なく、ほとんど娯楽もない。現代人からすれば恐ろしい話。絶対無理(苦笑)。




