11 カメラアイ
「―― 以上にございます、閣下」
二枚の書類に記された報告のすべてを<一瞥>しただけで、最後まで諳んじてしまったフェリクス。
「し、信じられぬ……」
絶句するように手元の書類を見つめ続けるジギスムント。
「やはり神の……子?」
ジギスムントに体を引っ付け、いっしょに書類を覗き込んでいたマクシミリアンも驚愕の体。
「いえいえ……多少稀ではございますが 私と同様の能力を持つ者は、他にも数名程度はおるはずです、この時代にも」
「こ、この神が如き才を持つ者が……他に、も?」
虚脱し、信じられぬといった顔でフェリクスを見つめるジギスムント。
「私が前世で生きた時代には、たしか1億名にひとり程度の割合でいると言われておりました。今の時代の人口を前世における15世紀あたりと仮定するなら、私を含め、この世界にも4~5名程度は………あっ」言い終える寸前で、また口をすべらせてしまっていることに気づいたフェリクス。
「貴君には少々変わった未来の記憶なるものがあるのやもしれぬという話なら 昨晩、父上の方からすでにお聞かせいただいている」だから安心せよ、と言わんばかりのマクシミリアンの視線。
「……まだ、他の者には伏せておこうとは言っておったが、こやつは嫡子であるがゆえ……な。許せ、フェリクス」これまでのような命令口調ではなく、少しへり下った態度で許しを請うジギスムント。
「……そこは閣下のご判断にお任せするところ。なんら問題はございませぬ。ただ、それよりもその書類の件……差し出がましくはございますが、急ぎご対応なさらなくとも宜しいので?」
「え、あ……何であったか……たしかベルンハイムの馬鹿息子が我が領内で起こしたという……」慌てて書類を読み返すジギスムント。
その行為により、また一字一句違わなかったフェリクスの記憶力に震えを覚えるジギスムント。先ほどは、まったく頭に内容が入ってこない状態にあったことにも照れながら
「と、ともかく、今後はお主の申すことは全面的に信じ、最大限の礼を持って接するがゆえ、このシュヴァツヴァルト辺境伯家との付き合い、末永くよろしく頼むぞ、フェリクス!」
後ろ髪を引かれながらも、そう言い残し、足早に部屋を後にするジギスムント。
「誠に宜しく申し上げます」頭を下げるマクシミリアン。
その態度に恐縮するフェリクスを相手に、さらに
「つきましてはこの後、この私めにもその未来の知識とやらの一端をご享受させてはいただけぬものでしょうか。可能であれば、まだ父上にもお話になられていない分野のものなどであれば、さらに喜ばしいのですが」
マクシミリアンは、抜け目のない男でもあった。
◇
昼食、庭園前のテラスでの風景。
着席しているのは、アレクサンドラ、ヒルデガルト、テオドール、マクシミリアン、そしてフェリクスの5名であった。妾のベアトリクスと庶子ジークフリートは、別で昼食を摂っているという。
フェリクスを真ん中に座らせ、マクシミリアンとテオドールが両隣に椅子を寄せ、着座。その光景にアレクサンドラとヒルデガルトは大いに驚きを見せた。
「いったいどうしたというの、この子たち? いつの間にそんなにフェリクスと仲良くなったというの?」驚き半分で笑うアレクサンドラ。
「テオはともかく、マックス兄様まで何なのそれ?」
ヒルデガルトはその不可解な光景に、露骨に怪訝な表情を浮かべる。
「フェリクス殿は我が家に、いや、この帝国にもたらされた神の福音であらせられるぞ」思いっきりフェリクスの秘密を匂わせるような不穏当な発言をする長子マクシミリアン。
「あ、兄上はフェリクスの持つ秘密が何なのか、すでにお聞きになられたとでもいうのですか!」<ドン!>とテーブルに両手を置き、腰を浮かせ、マクシミリアンを睨みつけたかと思うと、今度はフェリクスを恨めしそうに見つめるテオドール。
「いずれ父上のお口からもお語られになられることではあろうが、今後、場合によっては、私はフェリクス殿に忠誠を誓っても良いとさえ考えている」フェリクスも含め、一同を困惑させるマクシミリアンの宣言。
(ジギスムント様といい、この家の男たちは隠しごとが全く出来ない性格か何かなのか……いや、すぐに口を滑らせるという意味では、私自身も同様か?)
苦笑いしながら、そう独り言ちするフェリクスであった。
(イケメン息子ふたりとヒルダの母 美貌のアレクサンドラさん 31歳)
補足)
ここまでで登場した人物たちの見た目は、実際にはもう少し薄汚れている。というのも、この時代に該当する実際の中世ヨーロッパ。黒死病などの伝染病の大流行の後、入浴の習慣がほとんど廃れ、身体はたまに拭く程度という時代であった。
これは当時のパリ大学だかの発表により「疫病は皮膚から侵入してくる」という説が広く流布された結果によるもの。身体を洗うとその「保護膜」が無くなってしまう。だから身体はどうしても気持ちが悪い場合を除き、あまり洗うべきではない、などという迷信的な考えが世間一般にまで浸透していたせいなのだとか。
もちろん、フェリクスはこの点についても、ジギスムントと話し合っており、シュヴァルツヴァルト領内ではこの後、入浴習慣の奨励が始まる。幸い、シュヴァルツヴァルト領内には温泉地も。特にバーデン=バーデンなどでは、現在でも有名な温泉保養地があったりもするので、ご安心ください。みんなキレイになります。




