10 世界地図
翌朝、起床と同時に、ジギスムントの執務室に呼び出されたフェリクス。
「本日は政務も立て込んでおるゆえ、あまり時間もないのだが、お主の方から儂に何か聞いておきたいことはないのか?」
「もし閣下がお持ちであるなら、この世界の地図をお見せいただきたく」
「地図というのは世界地図のことか。それとも このシュヴァルツブルク周辺を記した地図のことか?」
「お許しいただけるのでしたら、その両方を」
「よかろう、ではついて参れ」
◇
会議などで使われているらしい城内の一室。
奥の壁には4枚の地図が掛けられていた。
フェリクスにとっては、この世界で見る初めての地図であった。
「―― 左から、我が領内の地図、帝国領内の地図、我らが内海(=地中海)を中心とした周辺諸国の地図、そしてこの世界の全てを描いた世界地図だ」
ひとつひとつの地図を手かざし、説明するジギスムント。
「これらはいったい………いつの時代のものでございますか?」ひとつひとつを真剣に眺めながら、ジギスムントに訊ねるフェリクス。
「無論、どれも最新版だ。特にこの<世界地図>なるものは航海狂いとしても有名な、かのペドロ王の下で仕えていた一級航海士の手によるもの。今夏になり、ようやく手に入ったものである」ペドロ王の名を出すタイミングで、前世におけるポルトガルの位置を2度ほど、ひとさし指で軽く叩いたジギスムント。
「……なるほど。アメリカ大陸などはまだ発見されてないようだが、やはりここは<地球>で間違いはない……か」フェリクスは、小声で独り言をつぶやいただけのつもりであったが、ジギスムントはそれを聞き逃さなかった。
「なんだ、そのアメリカ大陸なるものは!」
今にも噛みつきそうな見開かれた瞳で、フェリクスを凝視するジギスムント。
―― しまった!と思ったフェリクスではあったが、時すでに遅しである。
◇
「いやいやいや、なぜ何も見ずにここまで精緻な地図をお主は描けるというのだ、フェリクス!!」
けっきょく午前中に予定していた政務を全てキャンセルし、前世の記憶であるという<精密過ぎる地図>を描くフェリクスの横で、何度も質問を繰り返しながら、慄き続けるジギスムント。
気づけば、長男であるマクシミリアンもいつのまにか室内に入ってきており、最初にフェリクスが描いたアメリカ大陸やオーストラリア大陸などを含む<21世紀版の世界地図>を真剣に覗き込んでいる。
(超絶イケメンのマクシミリアンくん 14歳の素顔)
「本当は……神の子か何かなのではないのか、貴君は?」地図からはいっさい目を離さず、真顔でフェリクスに問うマクシミリアン。
「いえいえ……私は一度見たものは、ほぼ完全に記憶しておくことが出来るという、少々変わった記憶能力を持っているだけに過ぎませぬ……」どう対応するのが正解かが分からず、手を休めず、地図を描き続けながら答えるフェリクス。
「一度見ただけのものを……ほぼ完全に…だと?」
さらに呆気にとられるジギスムント。
「もちろん、ただの記憶にございますので、たまに思い返したりするといった作業なども致しませねば、時間と共に薄れてはいきますが……」ある程度、適当に描いておけば良かったものを、度重なる自身の迂闊さに呆れながら、やはり手は止めずに答えるフェリクス。
「す、少し待て、フェリクス。たしか学術的なラティウム語はまだであると聞いておるが、帝国語であれば、ある程度は読め書きも出来ると言っておったな。ならば、この書類の内容を今すぐに覚え、暗唱してみせよ!」
先刻、政務官のひとりであるらしき人物が置いていった「至急を要する」という、まだ手つかずであった二枚の書類。それらをフェリクスに差し出すジギスムント。
「……分かりました」
事も無げに書類を受け取り、両手に1枚ずつを持ち、一瞥すると、またすぐにジギスムントにそれらを差し返すフェリクス。
「では始めましょうか?」
「おいおい、何を言っておるのだ、フェリクス!
いまほんの数秒見ただけではないか?
まだ一行ほども読み切れてはおるまい?
ま、まさか……この一瞬で全ての内容を覚えたとでもいうつもりか?」
「内容に関しましては、まだ何ひとつ覚えてはおりませぬが、読み上げるだけでしたら何ら問題はございませぬ。閣下はこの書類をお持ちになり、これから私が読み上げる言葉と書面との違いを一語一句ご確認くださいませ。では ―― 」そう言い、ジギスムントに至急の書類を押し付け、タイトルから読み上げ始めるフェリクスであった。
ペドロ王のモデルは、言わずもがなのエンリケ航海王子。学生時代、(無敵艦隊も絡め)名前の印象から勝手にスペイン人だと思い込んでいたが、ポルトガル人だったんだね、この人。
エンリケは英語だとヘンリー。フランス語だとアンリか。
ああ、欧州の名前はややこしい。




