03.発覚した婚約者
エリオス様にエスコートしてもらってから、二週間が経った。
社交界デビューを終えたということは、成人はまだだけど一人の女性とみなされるということでもある。
つまり、子ども扱いされなくなるはず、なんだけど。
「……」
けど私は王宮に与えられた自室で勉強をしながら、窓の外を見ていた。
空は青くて明るいけど、私の心はどこか晴れない。
エリオス様は、今年で二十二歳になった。私との年齢差は、相変わらず七つあるままで。
とっくの昔に第一王子が立太子として承認されているためか、第二王子であるエリオス様に婚約者の話は出てこない。
けど……
「モテるわよね……」
ファーストダンスが済むと、ダンスはエスコート役以外の人と踊らなければいけなくなる。社交を広げる機会とされているから、当然なんだけど。
あの後エリオス様は、多くの令嬢に囲まれていた。
そうなるとわかっていたのに。エリオス様は嫌な顔ひとつせずに、令嬢たちに微笑みを振りまいていて。
私だけの笑顔じゃない。当たり前のことだったのに、どうして自分が特別だなんて思ってしまったんだろう。
エリオス様が、急に遠く感じられた。
「エリオス様……いつか、誰かと結婚するの……?」
小さな頃から大好きな大好きな、お兄さん。
私のことを妹のようにかわいがってくれていたのに。
毎日会いたいってわがままも、エスコート役も、私の願いならすべて叶えてくれた。
もしエリオス様が誰かと結婚したら、もう私なんか見向きもされなくなっちゃう……!
「ふ、ふえぇええ……っ」
情けない嗚咽が漏れて、私は無理やり唇を噛むと声を殺す。
結婚なんてしないで、なんて。
ずっと私のお兄さんでいて、なんて。
さすがの私も、そんなわがままは言えない。
きっとエリオス様を困らせるから。
初めて嫌な顔を向けられるかもしれないと思うと、怖くて言えるわけがない。
心臓に爪を立てられたように苦しくて。
だけど、今のままいられないこともわかってる。
いつかエリオス様も、誰かと結婚して──
「……それ、私じゃだめかな……」
ふと思い至って、いつの間にか俯いていた顔を上げた。
変と言われてはいるけど、これでも私は公爵令嬢。十分に第二王子であるエリオス様と釣り合う家柄だもの。お父様に感謝だわ。
私はエリオス様が大好きだし、結婚できる。ううん、結婚したい。
ずっとずっと、エリオス様のそばにいたい。あの柔らかく優しい眼差しを、見続けていたい!
「結婚、してもらおう……っ!」
私は立ち上がると部屋を出た。
了承が出るとは限らない。どんな願いも叶えてくれたエリオス様でも、こればっかりは王家の意向もあるし、いつものように簡単に『いいよ』とは言ってくれないだろうけど。
でも、自分の気持ちを伝えるのよ……!
私は小さい頃からお兄さんが大好きで……
今ではエリオス様が大大大好きで、生涯一緒にいたいんだってことを!
廊下に出てエリオス様の部屋へと急いでいると、途中のホールにエリオス様の姿がちらりと見えた。
「エリ……」
声をかけようとして、私は言葉を引っ込ませる。
エリオス様は、令嬢らしき人物に……豪華なエメラルドの首飾りをつけてあげていた。
「ありがとう。これ欲しかったのよね」
「気に入ってもらえたならよかったよ。誕生日おめでとう」
エリオス様が……女性への誕生日プレゼントに、首飾りを……。
だけど私は女性を見て納得した。相手は美しい大人の女性。そんな相手にぬいぐるみをプレゼントなんて、するわけがない。
「で、婚約者との結婚はどうするの?」
「僕は、ちゃんと結婚したいと考えてるよ」
「本当に?」
「本当だ」
「じゃあ、楽しみに待ってるわね!」
彼女は嬉しそうにエメラルドのネックレスを煌めかせながら言った。
ああ、なんだ……。
エリオス様には、将来を誓い合う相手がいたのね。
絵に描いたようなお似合いの美男美女。
仲も良さそうで、結婚を誓い合った相手。
エリオス様に婚約者がいただなんて、ちっとも知らなかった。
……違う。私が知ろうともしなかったんだわ。
泣いちゃ、だめ……っ
私は奥歯をぎゅっと噛み締めて涙を堪える。
もしかしたら、私がいるせいで結婚できなかったのかもしれない。
こんな変な娘につきまとわれたせいで。
思えば、エリオス様は帰りたければいつでも公爵家に帰っていいって言ってた。
あれ、暗に帰れって言われてたんだ。
全然気づかなかったわ! 私のバカ!
本当に私は、小さい頃からなにも変わってなかった。
ちょっとは成長したって自分では思ってたのに。
このままエリオス様の好意に甘えて、ずっと王宮に居座るわけにはいかないわ。
私は一度ぎゅっと目を瞑って気持ちを整えると、しっかりと前を見据えて二人の元へと歩み始める。
「フィオーナ?」
「あら、この子が変かわ……んんっ、噂の彼女ね」
「初めてご挨拶申し上げます。私、公爵家ブランシェットの一人娘、フィオーナ・ブランシェットと申します」
「まぁ、なんてかわいらしい! エリオスがペットのように溺愛しちゃうの、わかるわぁ〜!」
「リーリア!」
リーリアと呼ばれた女性は、「あら、失言」と言いながら口を押さえた。
私はエリオス様にとって、ペット、だったんだ。
勝手にお兄さんって呼んで、妹とくらいは認識されてると思ってたけど。
妹ですら、おこがましかった。もうこれ以上の迷惑はかけられない。
「エリオス様……私、公爵家へ帰ろうと思います」
「え……? ああ、そうだね。社交界デビューも済ましたし、立ち居振る舞いも素晴らしかったよ。もうここで学ぶ必要はない。いい頃合いかもしれないね」
私の言うことを、否定せずすべて受け入れてくれるエリオス様。
引き止められることもなかった。当然の話だけど……
泣いちゃだめってわかってるのに、どうして……っ
「……フィオ?」
私の目から、涙が溢れ落ちてくる。
一滴だけじゃない、何度も何度も。
「ごめんなさい……笑ってさよなら言おうと思ったのに……っ」
「さよならって、大袈裟だな。また会いに行くよ」
「でも、もう会わない方がいいの」
だって、好きになってしまったから。
兄へ向ける気持ちとは違う感情で、心が燃えるように激しく好きになってしまったから。
私の言葉は、いつも穏やかなエリオス様の顔を、ほんの少し歪ませていた。
「……僕は、会いたい」
そして絞り出すように出された言葉に愕然とする。
私の提案を、エリオス様が受け入れないことはなかった。どんな無茶なわがままも聞き入れてくれたのに。
会えばまた、私はエリオス様にわがままを言ってしまう。
町に出たいと。
大衆食堂でご飯を食べようと。
孤児院の子どもたちと遊ぼうと。
馬に乗りたいと。
泳ぎたいと。
畑仕事を手伝おうと。
鉱山を見てみたいと。
そして魚釣りをしようと──
数々の叶えられてきたわがまま。
婚約者がいると知った今、こんなわがままに付き合わさせるわけにはいかないから。もう会わない方がいいと言ったのに、どうしてこんな時に限って受け入れてくれないの?
どこか悲しく見えたエリオス様の顔は、いつものように柔和な笑顔に戻った。
「ごめん、つい。デビュタントボールでいい人でも見つけたのかな? なら確かに、もう会わない方がいいね」
私の心臓は、氷にでも貫かれたのかもしれない。
エリオス様の優しい表情が、なぜか胸に刺さって仕方なくて。
だけど嘘はつきたくなくて、私は首を振った。
「いい人なんていない。エリオス様以上に素敵な人なんて、この世にいないもの」
「……フィオ?」
不思議そうに私を見るエリオス様。私はぼやけた視界を拭い去ると、まっすぐに琥珀色の瞳に目を向けた。
「今までお世話になりました。そちらの婚約者の方と、どうぞお幸せに」
偉い、私。笑って言えた。
大好きな大好きなエリオス様だからこそ、幸せになってほしい。
一生そばにいたかったけど。
そんなのは子どもの見る夢で、不可能だってわかってるから。
私はその場を離れようと、踵を返した。