牢で泣く女
東廠にも簡易的な牢がある。
一時的な処置で罪人を預かる場所であり、東廠の地下にあった。
天佑の案内で俺たちは地下牢へと階段を降りた。
剥き出しの土壁が陰気で、地下水でも漏れているのだろうか。
ポツンポツンという水音が常に聞こえてくる。
地下牢は二つあったが、奥は空で手前の牢に明明がやつれた姿で、床に敷かれた藁の上にすわっていた。
「明明」
声をかけると彼女はビクッと身体を震わせた。ずっと泣き続けたのか、白目が赤く充血しており、心の怯えを隠しきれない。
車裂きの刑の描写で、ちと脅しすぎたか。
数時間前に会ったばかりだというのに、ずっと昔だったような気がする。
俺は背後のふたりを見た。イケメンふたりは、興味深そうに俺と明明を交互に見ている。
「なあ、おまえたち、席を外してくれ」
「それはできません」と、天佑が即座に否定した。
「魅婉さま、たとえ彼女がひ弱に見えたにしても、いや、魅婉さまに比べれば全くひ弱には見えませんが。その手で仙月を首を絞めて殺したと言っているのです。安全ではありません」
「そうです。危険です、魅婉さま」と、暁明まで言っている。
まったくこの二人ときたら、こういう時に限ってチームワークがいい。
「だからだ。おまえたちのように、最初から疑ってかかっては誰も話さない。それに、俺は女だ」
くっそ、自分で自分を女と肯定してしまった。
確かに弱い筋肉しかない姫さまであることに、徐々に慣れてきている。これは、非常にまずいし腹立たしい。
「いいか、俺は女だよ。だからこそ、明明も話しやすい。な、そうだろ? 明明」
彼女はさらに怯えた目をしている。
俺の言葉に説得力が全くないようだ。ここは、俺と相談すべきだろう、違うか?
彼女をなだめるためにウインクしてみたが、まったく応じてこない。なんとなく虚しく感じるのは、なぜなんだろうか。
「ま、いい。ともかく、ふたりにしてくれ。牢番、鍵を開けろ」
牢番は天佑に確認した。
天佑が軽くうなずいたので、牢番はがちゃがちゃと耳障りな音をあげ鍵を開く。その音に明明はビクッビクッと反応した。
俺は内部に入ると、扉を閉じた。
「牢番、鍵をかけろ」
「魅婉さま、危険です」といったのは、天佑ではなく暁明だった。
「ふん、大丈夫だよ。これでも強い。天佑、頼む。あとで報告するから、ふたりっきりにしてくれ」
「どうしたものですか」
「なあ、悩んでる時間はないぞ。猶予は三日だ。気づいてないようだが、この件は時間勝負なんだよ」
ふたりはお互いの顔を見合い、それから、俺に視線を移した。
「わかりました。魅婉さま」
「しかし……」
「暁明、ここは姫さまに任せてみよう」
天佑の言葉に暁明は不服そうな顔を浮かべたが引き下がった。彼らが牢から遠ざかってはじめて、俺は明明に向き合った。
牢の環境は最悪だ。
藁が敷かれた床からは糞尿の匂いが漂ってくるし、地下だから窓もない。今日が晴天でよかった。たぶん、雨が降れば湿気でさらに嫌な匂いがしたことだろう。
「ここの居心地は最悪だな、明明」
「は、はい」
「さて、聞こうか。いま、俺たちはふたりだ。俺を襲うか? ああは言ったが、俺は弱いぞ。見てみろ、この二の腕の筋肉を……、ぷよぷよだ。人を殴ったら、こっちが傷つくほど、ほれ、この手の拳も柔らかい。どうだ、襲ってみるか?」
明明はびっくりして俺の顔を見た。それから、ゆっくりと首を振った。彼女の身体から緊張が抜けていく。
「さて、じゃあ話そうか?」
俺の声はかわいい。
一周回って自虐ネタになっているこの声。さらにトーンをあげて可愛く話しかけてみた。
明明は反応しない。
俺はできるだけ囁くような声にした。誰が盗み聞きしているかわからないからだが、彼女を脅かさないためでもあった。
明明は両手の拳を膝の上でかたく結び、白くなるまで握りしめている。
「実際に、おまえが殺したのか? あるいは、誰かを庇っているのか?」
「わ、わたしは……」
「首を絞めたと言いたいのか?」
明明はおずおずとうなずいた。
「そうは言うが、おまえの立場で、よく人に知られず桜徽殿に忍び込めたな。必ず、もうひとりいたはずだ。違うか?」
「いえ、ひとりで、ご、ございます」
森上莞は犯行現場にいなければならない。それが自らを神になぞらえる奴の性癖だ。
現代ならオンラインで映像を送ることも可能だろうが、しかし、この世界では無理だ。
そもそも奴は現場主義的なところがあった。
「俺は三日の猶予を勝ち得たんだ。だが、その後は刑部に引き渡される。そうなると、どういう結果が待っているかわかるな。こわくないのか」
「こ、こわいです」
「じゃあ、質問を変えよう。おまえに親兄弟はいるのか。自分より大切な人がいるのか」
明明は首を振った。
「わ、わたしは、わたしは孤児です」
では、誰かに人質を取られて、こんな告白をしたわけではないのだ。森上は、どう操ったのだ。
馬酔木舎と、犯行現場である桜徽殿は隣同士に位置している。
渡り廊下を隔てた仙月の部屋は反対側で距離はあった。
明明の寝所は、仙月とは違い下級使用人が使う女官部屋。そこで雑魚寝しており、それは桜徽殿を通りすぎた向こう側にある。
女官部屋から視認できる場所に、仙月の部屋はあった。
「脅されたか? それとも、操られたのか?」
俺は彼女の耳もとに囁いた。
ずっと興奮したままアドレナリンを放出しているのだろう。女の身体から、汗が発酵した嫌な体臭がした。
恐怖、怒り、不安、さまざまなネガティブな感情に満ちているにちがいない。
「脅された?」
「そうだ、おまえが仙月を殺す、根本的な理由がないんだ」
「それは……、あの女は、わたしが敬愛する花楓さまを、バカにしていたからです」
「どういうことだ」
「花楓さまは、身寄りのないわたしを引き取って女官にしてくださいました。それは大恩のあるお方です」
明明は花楓が入内するとき、実家から連れてきた使用人だったという。幼いころから、ずっと仕えてきた明明にとって、花楓だけが愛する身寄りであり家族というわけだ。
この世界の庶民は貧しい。
使用人として働けなければ生きることもできなかったのだろう。
「仙月は、それは、それは酷い女です。吐き気がする、殺されて当然です」
(つづき)




