魔王の斧(3)
振り上げられた斧は一番上まで昇っていくと、そこでピタッと止まる。
そして、次の瞬間には残像を残しながら振り下ろされた。
アゾクはフィセラに取られた槍を掴んで、力をこめる。
だが、押すことも、引き抜くことも出来ない。
そうしている内に斧がアゾクをたたき割る、と思われたが、彼は迷うことなく槍から手を放して攻撃を回避した。
薄皮一枚をかすらせながら、かろうじて斧を避けたのだ。
アゾクの身体能力は格段に上がっているが、素手でこのフィセラと戦えるほど強くはなっていない。
彼は自分の実力をそう評価していた。
つまり、自分の槍をこのまま手放すことは出来ないということだ。
フィセラは右手に斧、左手に槍を持った。
このまま両手に武器を持って戦うのもいいだろう。
相手から奪った武器で攻撃するのは、相手の心を削る効果がある。
だが、フィセラの目にアゾクの槍は魅力的に映らなかった。
――こんな弱いの要らね。
フィセラはポイッとアゾクの槍を投げ捨てようとする。
もちろん、アゾクのいる方向とは反対の方にだ。
槍が手から離れる瞬間、アゾクが距離を詰手を伸ばし柄に手をかけた。
せっかく手に入れた槍、と言う思いは無い。そのまま渡してしまってもいいのだが、それは少し癪だ。
フィセラは少し力を入れて槍を引っ張る。
「返せ!これは我がものだ!」
アゾクがフィセラを後退させようと蹴りつけた、だが。
くっ!重い!硬い!
なんだこいつは?
渾身の蹴りはフィセラには効かず、逆に自分へと帰って来た。
自分の蹴りの勢いそのまま、アゾクは無様に後ろへ転がってしまう。
だが、目的は果たしていた。
体が飛ぶほどの衝撃を使って槍を取り返すことが出来たのだ。
「あ~らら。取られちゃったし、蹴られちゃった」
フィセラは言葉とは裏腹に、悔しい素振りなどせず、パンパンと蹴られた箇所を手で払っている。
汚れは無い。それに元から真っ黒な装備では土がついたぐらい目立たない。
だが、攻撃された。
そのダメージの確認だったが、無いに等しかった。
「動きだけはいいね。それじゃ続けようか」
アゾクの槍はゴブリン製らしく、彼らが扱えるように小ぶりである。
1000年以上前に存在したゴブリンの王・アゾクの時代からの武器だ。
詳しい素材を知るゴブリンは現在になってもう誰もいないが、不思議とゴブリンの手に良くなじむ物となっている。
その持ち主がゴブリン王、さらに魔王、さらにはアゾクの名までもを名乗るならなおさらだ。
音より速い槍さばきを可能にしているのは、その「アイテム」の効果故であった。
対してフィセラが持つ「ガラスの心、鋼鉄の心臓」は重く硬い、鈍重武器だ。
その武器を持って、アゾクと同程度の速度で扱えるフィセラの方が、彼には異常に見えるだろう。
アゾクは真横から薙ぐように、フィセラも同様に反対側から斧を振る。
互いに防御を考えていない。
そうして、刃は何にも遮られることなく肉体に近づいていく。
刃が肌に触れるすんでのところで、両者は相手の武器を止めるために自らの武器の向きを変える。
アゾクの汚らしい槍を止めるため、フィセラによる自分を両断できる斧を防ぐため、だ。
そうして幾度かの打ち合いを行うと、時折アゾクは距離を取って斧を避ける。
ほんの少しだが、速度はフィセラが勝っていた。
槍と大斧の応酬で、槍が間に合わくなるという異常な戦いだ。
アゾクは巨大な斧が自分の頭蓋に触れようという瞬間、ギリギリで頭を後ろに下げる。
その勢いのまま後退。
2歩4歩、6歩は距離を開ける。
ハァハァと聞こえるほどに呼吸は荒く、肩で息をしている。
体を休めた瞬間にドッと汗が流れて来る。
その中には赤い色のものが混じっていた。
彼の槍はフィセラに一歩届かないが、フィセラの刃は薄皮を3枚、4枚以上も削っていたのだ。
アゾクは胸にできた横一直線の浅い傷跡を手で押さえて、滑らした。
ヌメリとした嫌な感触が肌に伝わり、つい顔をしかめてしまう。
荒い息遣いのアゾクに対して、フィセラは冷めた体のままだ。
「第2形態はまだ?まあ、あればの話だけど……」
――面白い能力かと思ったけど、ただ身体能力強化か。つまんない。
フィセラの思考を遮るようにアゾクが質問を投げた。
「貴様はどこから来た?」
だが、それをまともに受けることはしない。
そもそも、簡単に答えられる問いでもない。
「そういうおしゃべりは、刃のぶつかり合いと一緒にするもんだよ!」
今度はフィセラの方から向かって行った。
アゾクの限界速度を超えた応酬を繰り広げながら、フィセラは問答を続けた。
「私はこことは違う世界から来た。お前じゃ想像もできない世界からね」
体を動かすことで汗と共に血も空中に舞っている。
それがフィセラの方へ飛んでくれれば最高だが、そんな都合のいいことは起きない。
彼女の振る大斧の風圧が軽い血を寄せ付けないでいた。
「世界?何の話だ?貴様は人間ではないのか?」
「正確には種族は人間じゃないけど……同じようなもんよ」
――シェイプシフターとして、今は人間の姿に変身してるしね。
「なぜここに来た?」
「ああ!それについてはね…………こっちが聞きたいくらいだよ!」
斧の回避をしようと動いたアゾクの隙をついて、フィセラが蹴りをいれた。
軽く速い。
見た目はそうであるが、蹴りを受けたアゾクの感じる衝撃は想像を遥かに超えるものだ。
内臓の全てが破裂したかのような痛みに、胴を失ったと錯覚するほどだ。
10メートル以上を飛ばされて、地面を転げまわる。
その時、ギュルギュルと腹が鳴った。
潰れた(いくつかの)内臓、折れた骨(10を超えるだろう)を急速に直している音である。
自動的に彼の体内で「血の交換」を行っているのだ。
フィセラは、驚くほどの量の吐血をするアゾクを静かに眺めている。
追撃は行わない。
――イマイチ、能力のイメージができないな。周りのゴブリン、多種族のモンスター、あのドラゴンもどき。ただ従わせてるだけなら、問題ないけど……、明らかに操っていた。
――まぁ、普通のテイマー(魔獣使い)ならあんなことは出来ない。契約で能力値が上がることはあるけど、それは微量だったはず。「合体」や「吸収」も出来るには出来るけど、それは魔獣側にそのスキルが無くちゃダメだし…………闇属性のテイマーって感じかな。
――それに馬鹿だ。テイマーの強みを全部捨ててる。まず、独りで多対一を作れること。そして、自分は安全圏に下がっていられること。……私は下がるのあんま好きじゃないけど、まぁそれはいいや。強みを捨てたら、弱いだけだよ。
「とにかく、もう終わらせるか」
「終わらせる?貴様にできるのか?フィセラァァ!!」
「うるさ!」
アゾクが走り出した。
フィセラは落ち着いて斧を握り、上段へ運ぶ。
構えたままにするには、互いの距離は離れている。
だが、彼女はアゾクが間合いに来るまで待つ気はなかった。正確には、既に間合いだ。
<波紋・上昇>
地面に斧を叩きつける。それも、静かに、音も無く。
衝撃のほとんどない振り下ろし。
それに見覚えのあるアゾクは、即座に身を翻して地面から離れる。
「舐めんな、オートターゲットだよ!」
正確なタイミングで避けなくては回避の難しい攻撃だ。アゾクはその罠にまんまとハマってしまった。
避けた瞬間、次の動作ができない時を狙って魔力の刃が彼を裂く。
「ア゛ア゛アアァァ」
森に響く叫び声。
「チッ、掠めただけか」
このスキルは(回避されなければ)胴体の中心に向かって刃が生み出される。
相手が生きて叫んでいるということは、効果は正しく発動しなかったということだ。
たとえ、刃がアゾクの両脚の切断をしようとも、それは失敗なのである。
今まではアゾクが動きを止めれば、フィセラも同じく静観していたが、今度は違う。
次の一手を間髪入れずに発動させる。
<グラウンドクライ>
斧の刃のある方を下に向けて構え、そのまま先端を地面に叩きつけた。
まるで斧で地団駄を踏んでいるようだ。
すぐに、その程度では起こり得ないレベルの揺れが2人の周囲に発生する。
足を失い、うつ伏せになっていたアゾク。
体を起こそうと両手を地面についた瞬間、揺れと共に地面が割れ、その隙間に両手が挟まってしまう。
奇跡と言っていいほどに見事に挟まった腕はびくともしない。
フィセラは重戦士としては珍しい行動阻害スキルを使ったのだ。
捕縛されたアゾクに向けて第3のスキルを決める。
<断・海>
戦士系統全般を見ても、かなり上位に位置するスキルである。
体と斧をクルリと1回転させて、遠心力をつけ、袈裟斬りのように斜めに斧を振るった。
フィセラは最初のスキルを使った時から、アゾクに近づいてはいない。
当然、断海で振るった斧も彼に届く距離ではない。
だが、このスキルに距離など関係ない。
海を割る斬撃がこの程度の距離で届かない訳がないのだ。
斧の刃がなぞった軌跡は糸のように細く、そこにおぞましさは無い。
ただ静かに、世界にまっすぐな線を引くだけだった。
アゾクは今までとは違う感覚を覚えた。
この攻撃にはフィセラによる殺気は無い。
感じたのは結果。
自分が死ぬ、という結末だけだった。
「オオオオォォ!!」
大地に挟まれた腕は抜けない。
ならば千切るだけだ。
「オ゛オオオォォーー!!」
ブチブチという、まだ生きている肉を引きちぎる音が鳴る。
フィセラが斧を振り終わる瞬間、アゾクは即座に両腕を千切ることを諦めて、右腕に力を集中させた。
パツンッという最後の肉糸の千切れる音と共に、アゾクはすぐに斧が放った線上から逃げる。
だが、やはりそう簡単ではない。
自ら千切った右腕をさらに刻むように、フィセラの斬撃がアゾクに当たる。
あえて残していた右肘は無慈悲に宙を舞い、攻撃による切断面は胸にまで達していた。
――え~!?これも避けられたの?自信無くすなぁ〜。
フィセラは少し悲しそうな顔をした後、アゾクを指さした。
「というか……それで生きてるのも大概おかしいけどね」
指の先にいるのは、またも地を這うことになったアゾク。
フィセラの言うとおり、人であれば生きていられないほどの傷を負っている。
両足の切断、右腕の欠損(肩よりも深いところからなくなっている)だ。
「けっこう殺す気でやってたんだよ~。相手が悪いんだと思うんだよね。それにこういう真っ向からの戦闘は好みじゃないし」
独り言をつぶやき始めるフィセラ。
それでも戦闘中だ。
彼女の冷徹な目はアゾクから離れていなかった。
アゾクはうめき声を出しながら、地面にうずくまっている。
だが、それは許されないことだ。
彼の肉となり、骨となり、血となった同胞たちがそれを許さないのだ。
彼の中にいる者たちが彼を立ち上がらせる。
「右腕」が体を起こし、「両足」がしっかりと地面を掴んだ。
欠損した部位がいつのまにか元に戻っていた。
「回復……いや、超再生か!」
――今の速度で再生されるはめんどくさいぞ。あの速度だったら、体力値も目に見えて回復していってるパターンだし。……連続か、1発か。
再生能力のある相手には絶え間なく攻撃を浴びせ続ける。
もしくは、回復など無視した一撃必殺がある。
「私がやるのは決まってるか」
アゾクをどう倒すか、どのスキルを使うかも決めた。
フィセラは左手に視線を落とす。
そこにあるのは火種の燻る籠手。
――オーケー、いけそうね。