魔王の斧(2)
――めんどくさいからコスモにやらせっよかな~。別にいいよね~。
「フィセラァァ――――!」
自分の名前が森にこだまする。
その名を叫んだ者が誰かは明白だった。
アゾクである。
「あ゛?」
怒りはない。ただテンションは限りなく低かった。
「このアゾクと戦え!」
――こいつ自分のこと名前で呼ぶんだ。ガキか?
「ゴブリン族の王として、大森林の魔王として!」
――前にも魔王だって言ってたよな?やっぱり……魔王を舐めてるな?
フィセラはため息を吐きながら眉間を抑える。
それによって顔に影がかかる。
影から覗く瞳は真紅に塗られ、彼女の感情を表した。
「確かこうだったな?……」
アゾクは何かを呟くと、両手を広げてフィセラに言う。
「大将同士だ!そうだろう!?さぁ、決着をつけよう!」
フィセラはポキポキと左手の骨を鳴らす。
斧を持っていない方の手だ。
「大将?てめぇと私じゃ、格が違うだろうが!」
空いた左で魔法を発動させようとした瞬間、アゾクの行動によってそれを止められた。
「ア゛ア゛アア、アァァァァ!!」
突然叫び出したのだ。
フィセラを見ていない。あさっての方向をみて、ただ叫んでいる。
「アアアァァ――!」
肺の空気が無くなると、また息を吸い叫ぶ。
「ア゛ァァァァァァァ!!!!」
「え?なに?流石にヤバいんだけど」
フィセラでさえ、ゴブリンのこの奇行には引いていた。
だが、戦闘態勢を解いた訳ではない。
右後方からの微かな足音を聞き逃さなかった。
斜に構えて視線だけを送る。
――ドラゴンもどき?まだ残ってたのね。結局これか……大将とか言っておいてこいつらも戦われるなら、ん?
「…………血だ」
フィセラがドラゴンもどきと呼ぶ地底竜の動きは緩慢で、息はとても荒い。
戦闘を前に興奮しているかとフィセラは思ったが、それは違うようだ。
口から垂れているのは涎ではない。
もともと発火性のある特殊な胃液を吐くことはあるが、それとも違う。
真っ赤な血だ。
よく見ると目からも血が出ている。
元から赤みのある体でわからなかったが、鼻や目、口から血が垂れ地面を赤に染めていた。
――何?毒?それはないか。考えられるのはアゾクが何かしてるっとことだけ……声での攻撃?でも私には効いてない、いや、私にだけ効いてない!
その証拠にアゾクの背後にいたゴブリンたちも次々と血を吹き出して倒れ始めている。
――攻撃じゃないな。だとしたら……。
フィセラは、これは自分に向けた攻撃ではないと感じ取った。だとしても、アゾクご自分の味方を攻撃するのもおかしい。
注意深く観察してみる。
「アゾクの声。倒れる竜、ゴブリン。血…………あれは、蛇?」
見つけたのは真っ赤な蛇、ではない。
地面を蛇のように一筋に流れる血である。
地底竜から流れ出たものだ。
傾斜はない。
風もない。
なのに動いている。
正確には引き寄せられている。
その先にいるアゾクへ向かって。
フィセラは目を細めて、血でできた「蛇」を追った。
それはすぐにアゾクの足元は辿り着き、消えた。
彼の体内に入っていったのだ。
それは彼の背後に倒れたゴブリンから流れる何百という蛇も同じなようだった。
――いやいや、物理的におかしいでしょ!普通ならパンクする血の量だけど……。
「これがファンタジーか」
フィセラは小さく呪文を口にする。
<最上位鑑定>
アゾクの周りには赤いオーラ。その中に隠れるよう浮かび上がる数字。
それこそがアゾクのレベルだ。
「70か。それなりね、うん?71?見間違えた?いや、72、73……上がってるなぁ」
――4、5、7、8、80…………89。ここまでか。
アゾクの頭上には確かに89という数字がある。
「ふーん、へー。まぁまぁ……」
フィセラは手で口元を覆うが、上がった口角を隠しきれていない。
「…………おもしろい!」
全てのゴブリンが地に伏した。
立つのはアゾクただ独り。されど、未だ彼は全てのゴブリンの王であった。
「…………ハァァ」
重く湿った吐息が森の気温を下げた。
「我が同胞よ、我が眷属よ、我が血族よ!しかとその目に焼き付けよ!このアゾクを!」
その時、アゾクの瞳が揺れた。
まるで体の内から別の「目」が溢れ出しそうな動きだ。
「魔王アゾクに!ひれ伏せ……フィセラ!」
同時刻。大森林の上空。
誰の目にも届かない「空中」に、5つの影があった。
「魔王だと……!」
「あのゴミが!その称号は貴様が名乗っていいもんじゃねぇぞ!」
「落ち着くのだ。あまり前に出ると落ちてしまうぞ」
魔王という言葉に過敏に反応している。
主人の戦いを見守る(あるいは覗き見をする)ために来た超越者達。
そしてフィセラの背後の森の中。
ほとんどのジャイアントが黙っている中、ある戦士2人が話をしていた。
「もう一度聞くぞ。アレは何なんだ?」
「俺にもわからない」
「チッ。じゃ何をしてきたんだ?アレに何を差し出した?私たちの命か?」
「なぜそんなに怯えているんだ?彼女たちは邪悪なものではない。俺にはそう見えた」
「善悪の話じゃねぇよ!私が言ってるのは、アレが私たちと「同じ」生き物なのか聞いてんだ!」
「………………違うんだろうな。……」
その返事を聞いた女戦士が、武器を2本持った男の胸ぐらを掴んだ。
「望んだのは「ゴブリンに蹂躙されるよりもいい未来」じゃない。確かな「良い未来」だ!アレは、それをくれるのか?」
2人の様子を黙って見守る巨大な夜色のスライム。
会話の内容は忠誠を忘れた者たちがするようなものだが、彼に怒りはなかった。
逆にこう考えていた。
存分に葛藤するといい。悩むといい。怒るがいい。
何を思おうと主人の決定が揺らぐことはありえない。
彼はそれを知っているのだ。
多くの者の目があるが空き地には二人のみ。
どれだけ見合おうとも、はじまりの合図がなることは無い。
静寂の中、フィセラはまだ動かないでいた。
鑑定スキルを使ったままだ。
――うーん。このレベル差なら、もっと詳しいスキルとかが出てきてもいいんだけど、出ないな。
「つまり完全に私が知らないスキル?……めんどくせぇなぁ。だが!それがいい!」
苦労をしそうな相手にフィセラは喜んでいた。
いつに無く不敵な笑みを浮かべている。
アゾクにもまだ動きは無い。
こちらの事情はフィセラとは違う。
体が動かせなかったのだ。
百を軽く超えて、千に届くほどのゴブリンやモンスターたちの血を取り込んだアゾク。
その血は、彼らの命、魂と言っていいものだ。
アゾクの体と意識は当然、彼のものである。
それでも、指先1つ動かすために脳から発せられた信号は、何百という血と意識の螺旋を通過していく。
それによって、彼は体を動かさないでいた。
だが、彼は知っている。血を、意識を操る方法を。
簡単なことだ。
「この……アゾクに……従え!貴様らの……王に!従えええ!」
次の瞬間、アゾクの姿を風となった。
猛烈な速度で接近するアゾクを前にフィセラは笑っていた。
「ハハハハッ。いいねぇ、パワーアップってやつだ?でもそういうのは1回やり合ってからじゃなきゃ、意味がないよ!」
フィセラは斧を四方八方に振り回す。
巻き起こる風は、それだけで災害級だ。
アゾクはそんなものに臆することはない。
フィセラにもそのような意図はない。
ならば激突は一瞬である。
間合いの内側に両者が入った。
金属のぶつかる音が一度。飛び散る火花は4つ。
戦いを見守るジャイアント族の目で追える速度を超えた応酬である。
<血脈・王の槍>
アゾクがスキルを使って槍刃に血を纏わせる。
付着しただけで相手を従わせる血だ。
5度目の槍の振りは、今までのものより速く強力であった。
これをフィセラが止められないとは思っていない。
それでも、アゾクの槍とフィセラの斧がぶつかれば、血が飛ぶ散る。
フィセラの心臓をめがけて槍を突き刺す。
必ずフィセラはこれを止める。
アゾクは4度のぶつかり合いでそれを確信した。
だが、フィセラは逆だ。
「はあ~~」
ため息交じりに、斧から左手を話す。
武器を振ることもしない。
ただ、片手でアゾクの槍を止めてしまったのだ。
「パワーアップは途中でするんだよ。そうしないと、弱いままで死ぬことになる」
フィセラは槍を掴んだまま、もう片方の手に握られた斧を高く振り上げた。
「……こうやってね」