魔王の斧
フィセラは着地と同時にアイテムポーチから出した漆黒の大斧<ガラスの心、鋼鉄の心臓>を肩にかける。
視線の先はやはりゴブリン王・アゾクだ。
――コスモの言っていた通り、死んではいないか。それは想定内だけど……。
「ワラワラと出て来る、出て来る。ゴキブリかって!」
モンスターたちが出て来るのはゴブリンの巣があった方角だ。
コスモの粘液から逃げたのではなく、最初からジャイアント達の包囲には加わっていない者達だろう。
惨劇にあったのではなく、それを目撃した者達だ。
黒い濁流に掴まれるだけで溶けていく同種族たちを見てしまったのでは、彼らの顔の生気が薄いのは仕方ない。
まだかろうじて、邪悪なゴブリンと言う醜悪顔を保てているのはアゾクだけだった。
「あの黒い塊は動かない。どうしてだ?今森を飲み込んだのはなぜだ?アレはフィセラか?ようやく出て来たか。だが、我が同胞たちはもうほとんどいない。なぜだ!何が?…………」
困惑や怒り。
まとめきれない感情にアゾクの頭は破裂しそうだった。
だから、まずは目の前にいる、悩みであり怒りの元を絶つために動く。
「殺せぇぇ!!」
純粋で簡単な言葉を地底竜たちはすぐに理解して走り出す。
全部で5体。
残ったのはアゾクが乗る1体のみ。
フィセラの目にはそう見えているはずだ。
「カァァ!!」
アゾクを背後に向かって叫んだ。
それを聞いたのは、モンスターたちのさらに後ろ、アゾクからでもほとんどん見えない陰にいる地底竜たちである。
言葉の無い命令であるが、<血の従属>に縛られている魔獣たちはアゾクの意思を正確に感じ取った。
2体の地底竜がさらに奥へと隠れ、フィセラやジャイアントたちに気づかれないように森を回っていく。
「最後の息はこの魔王アゾクが止めてやる」
アゾクはゴブリン王の証でもある槍を持って、フィセラの動きを待った。
「そうそう、そうやって大物だけ倒すなら恰好が付くからね。どんどん来なよ!」
言葉と顔はすでに戦闘態勢だが、体はまだだ。
斧を肩にかけたままで、一向に構えようとしなかった。
300。
風を切りながら地底竜が迫る。
戦闘を行くのは3体。
200。
一直線にフィセラへと向かう。
邪魔だった木が無くなり、そのスピードはとてつもない。
瞬きの間に、5歩は進んでいるだろう。
100。
フィセラはまだ斧を構えない。防御姿勢さえ取らない。
対して地底竜たちは牙を大気に晒した。
腹の底から来る火によって牙は熱を帯びている。
30。20。10。
5。
2。
一番前を走っていた地底竜が口を大きく広げた。
フィセラ一人ならすっぽりと飲み込まれてしまいそうな口だ。
その牙とフィセラ距離は、1メートル。
次の瞬間、衝撃が森を揺らした。
地底竜たちでは感知できないほどの「瞬間」で、フィセラは漆黒の大斧を竜の顔面に叩きこんだのである。
斧の勢いはその程度では止まらず、刃を地底竜ごと地面にめり込ませたのだ。
首を切断された地底竜。その後ろをぴったりとついていた他の2匹はその光景を視界に入れているが、脳がまだ働かなかった。
仲間が絶命したことにまだ気づいていなかった。
そのため、既に出されていた命令、殺せ、というアゾクの言葉に従ってすぐ目の前のフィセラに牙をむく。
フィセラは地面まで届いた斧を引き抜くと同時に、右側に迫った竜の首を下から両断。
反対側に来ていた竜に気づいていたが、右の相手をするために向きを変えてしまった。
背後に竜の気配を感じる。
だが、そんなもので相手を正確に感じ取れるほどフィセラは「戦士」ではない。
振り上げた斧刃の側面に映った小さな光。地底竜の赤い瞳である。
斧を振りかぶるほどの余裕は無さそうだ。
刃の反射を頼りに背後へと空いた手を伸ばし、ちょうどそこにあった何かをつかむ。
そして、そのままそれを地面に押さえつけた。
ようやく顔を向けて、斧を振り上げる。
フィセラが掴んだのは地底竜の鼻先だ。
しかも、親指は牙に触れている。
だが、左腕には篭手がある。それも100レベルのだ。たかが牙など恐れることは無い。
もとより、牙を気にするほど暴れさせるつもりも無い。
斧を大上段まで上げる。
狙いはさきの2体と同じ。
首だ。
フィセラはまるで、まな板の鯉の首を落とすように、漆黒の刃を振り下ろした。
ゆっくりと立ち上がり姿勢を整える。
「フゥゥ…………疲れた」
時間にして、1秒を少し超えるかというほどの一瞬の出来事。
アゾクやアルゴル、ナラレほどのレベルの者達なら眼だけは、何が起こったのか、を理解できる時間だ。
――近接武器使うからなるべき引き寄せようと思ったけど、引き寄せすぎたな。危なかったー!
フィセラは誰にも気づかれない冷や汗を拭った。
「さて、残りは2体。いや、あれも入れれば3体か」
後方を走っていた地底竜2体。
それと、アゾクを背に乗せたまま動こうとしない1体。
「ステータスで叩くだけで、いけそうだけど。さすがにね。何かスキルを使いたいけど」
斧の柄は指でトントンと叩く。
「…………う~ん、一振りでいけるかな?」
2体の地底竜は動けなかった。
だが、左の1体が隣の竜に頭突きをし始める。
お前が先に行け、ということなのだろう。
恐る恐ると言った様子だったが1歩踏み出すと、もう怯えた獣ではなかった。
急加速を行ってフィセラに迫る。
それを見てフィセラは笑みを浮かべた。
「いい子だ!」
さっきは待ちに徹していたが、今度は自分から前進していく。
竜以上の速度で距離を詰めていった。
<波紋・上昇>
戦士スキルを発動させた状態で斧を振りかぶる。
「発動するといいけ、っど!」
ゴオゥッと音を立てながら斧が振り下ろされた。
今度は両手でしっかりと柄を握っている。そこから生まれる威力は絶大、のはずだが、衝撃がほとんどない。
斧の下では頭に刃をめり込ませた竜が絶命しており、地面までそれは届いている。
斧が地面を割り、土埃を巻き上げてもいい光景だ。
だが、それらの代わりに斧から広がったのは「波」であった。
視覚では感知できない魔力の波がすぐ近くの地底竜、さらアゾクの下まで届いた。
フィセラは、広がった魔力が近くの地底竜に集まるのを感知する。
それが完全に収縮する前に、2つ目のスキルを唱えた。
「ターゲットは……<ダブル>!」
その瞬間、魔力の収縮は2つとなる。
1つ目は近くの地底竜の真下、2つ目はアゾクを乗せた地底竜の下だ。
斧から放たれた衝撃は、地面を伝わる波へと変わり、さらに敵の真下から昇るように生み出される刃となる。
ザンッ!
魔力の刃がフィセラの斧に代わり、竜を断ち切る。
<ガラスの心、鋼鉄の心臓>では出せない研がれた鋭い刃の音だ。
「なんだ!?どうしたのだ?」
アゾクは地面に放り出された。
なぜいきなり倒れ込んだのか、と竜を見る。
胴体が切れている。
ちょうど等分にするように、真っ2つなのだ。
「…………クソがぁぁぁ!!」
アゾクは吠えた。
負け犬の慟哭ではない。
見る者、聞いた者、すべてを震えさせる怒号だ。
「ア゛ーー!!」
なぜかこちらも咆哮を上げている。
フィセラは頭を抱えて悔しがっていた。
「一緒にやられてくれればよかったのに!」
――地面の上に立ってないと<トリプル>にもできないから、賭けだったけど。
ガックリと肩を落とす。
――ゴブリンじゃワクワクしないなぁ。