夜明け
地上で渦巻く星空。
星屑を喰らう濁流。
この光景を言い表す言葉は幾つでもあるだろう。
だが、絶望の後に残った景色の名前は1つだけだ。
「無」
今までそこにあったあらゆる生命が姿を消していた。
大森林に虚空の如く空いた穴だ。
ジャイアント族だけを残したそれは、まるで森の大きな瞳のようである。
その瞳が見る先は、唯一空を飛ぶドラゴン。
フィセラはそのドラゴンの背で、森の瞳と視線を合わせるように眼下を睨んでいた。
――コスモが縮小しはじめた。全部、飲み込んだってことか。
フィセラはコスモの縮小を機と見て、シルバーに命じる。
「私を下に降ろして。皆んなには見えないところにね」
シルバーは言われた通りに動く。
皆んな、つまりジャイアント族に気づかれないよう、慎重に降下する。
降ろした場所は、いまだ巨大なコスモの陰だ。
「周りを見ていて。何かあったら言うんだよ。ムーも待っててね」
フィセラは飛びあがろうとするシルバーとムーンに手を振りながら言葉をかけた。
わかった、と言うムーンたちを見送ると、次は目の前の星空色の塊に声をかける。
「ご苦労様、コスモ。生贄用の死体は集まった?」
(フィセラ様。勿体なきお言葉、ありがとうございます)
普段通りの<念話>による返事が頭に届いた。
縮小化スキルの完全解除によって喪失した言語機能は戻っているようだ。
さらなる巨大化の為とはいえ、喋りもしなくなっては目も当てられないところだった。
――この世界に来て思ったけど、普通の会話よりも念話の方が凄くない?
アンフルNPCとの会話は音声で行われていた。
声色にベースはあるが、設定はもちろん出来る。
対して、音声での会話ができないキャラはテロップを使っていた。
あの時代では、かなり遅れた会話方法だ。
――でも今じゃ念話か…………他のNPCの特殊スキルの動きがどうなるのか検証しないとな。
まだ異世界の変化になれないフィセラをよそにコスモは報告を続ける。
(生贄召喚のための素材はある程度集まりましたが、十二分にではありません。いつ補給が出来るか分かりませんので、もう少し集める必要があると思います)
――十二分て、私は十分でいいと思うんだけど。
熱意ある部下のやる気に、少し苦笑いだ。
「でも、全部飲み込んじゃったんでしょ?まだ残ってるの?」
レベルの高いスライムには標準装備である「体内空間」。
コスモほどの大きさになると、その空間も果てが無いほどだろう。
姿の消えたモンスターの大軍は、彼の体の中にいるということだ。
(アゾクという名のゴブリンはいないと思います。それ赤い体のドラゴン系モンスターもです)
レベルの高いモンスターならばコスモの酸性にも抵抗することが出来る。
そして、取り込んだモンスターの中には、そのようなレベルはいなかった。
「チッ、逃げたか。めんどくさいな~~」
(申し訳ありません)
巨大な黒い塊から後悔の念が伝わる。
「上から見ていあた私が見逃してるんだよ。気にする必要はない」
納得したのか、していないのか、それは分からいがこれ以上コスモがしゃべることは無かった。
「ジャイアントたちはどうしてる?」
コスモは自分のモンスターたちを取り込むのに、彼らを巻き込まないように隔離していた。
今も、それは続いているのだ。
(動きはありません)
身動きが取れる空間が無い、というのがジャイアント達の正しい状況である。
ただ、コスモがそう伝えることは無い。
「挨拶しなきゃだよね~。なんて言えばいいのかな~」
フィセラは頭を抱えながらブツブツと何かを言っている。
「あ、そう言えば。アルゴルはそこにいるの?」
フィセラは完璧に彼を忘れていた。
確かに、彼に伝えた「派手な合図」とはコスモのことだったのだが、その後にどうするかは決めていなかったはずだ。
すでに、仲間と合流できていればいいのだが。
(いいえ、かの者は北東に840メートルのところで身を隠しています)
まだ、仲間と会うことは出来ていないようだ。
「なら、コスモ。もう2段階ぐらい小さくなっておきなさい。それで、アルゴルもこっちに向かって来れるでしょう」
――彼が来たら代わりに話してもらおうかな~。
王の威厳など持ち合わせないフィセラ。
とりあえずはアルゴルの働きを期待することにした。
ナラレは事態が動くのをただ待っていた。
彼女の心には、混乱や緊張はない。
何もできないのなら、何もしなければいい。
出来るようになった瞬間、その一瞬に身を任せるだけだ。
ジッと黒い壁に埋まっている光の粒を数えていた時、その粒が動いたように見えた。
錯覚かと思ったその時、そうではないと気づく。
彼らの頭上に自然な光が差したのだ。
深い星空をそのまま降ろしたかのような壁は無くなり、空を隠していたベールが剥がれていく。
正確には、ある場所に集まっていった。
どちらにしても、ジャイアント族を囲っていた壁は取り払われ視界が開けていく。
空は元の青空へと戻っており、太陽は前に見た時よりも少し上に昇っている。
ナラレの眼前には何もない。
だが、いまだそこに壁があるかのように一歩も動けないでいた。
他の者たちも同様のようだ。
ただ、静かな息遣いだけが森に鳴っている。
まだ「早朝」か。
夜が落ちてきてからほとんど時間は経っていないようだな。
感覚が狂う。
自分の目もおかしくなったようだぜ。
ナラレはモンスターのいなくなった森を眺める。
気配さえない。
動くのは、風に揺らされた木の葉とその影だけだ。
当然、そんな中で動くものは目立つ。
ナラレは空を飛ぶ鳥を見つけた。
ただの鳥が何が起こったか分からん場所の上を飛んだらしないな。
あれは、白銀の……。
鱗の全てが太陽の光を反射し、第三の太陽のようにそこに飛んでいた。
ナラレはすぐ近くでみたことがある。
白銀竜だ。
これは奴が?
いや、それほどの生物には見えなかった。
これはもっとすごい、いや、もっとヤバい奴……。
例えば、白銀竜の背になるような人間……。
ナラレはこの時、ただ偶然にその人間の名を時折口にしていた友を思い出した。
アルゴル……?
まさか!
ザワザワと背後の方が騒がしくなる。
まだ、何が起こったのかわかっていない状況だ。だと言うのに気を緩める同族たちについ腹が立った。
そこへ人の波を縫うようにして、近づいてくる女戦士がいた。
ナラレの部下であり、ともに死戦を生き残った信頼できる友だ。
友を前にして、幾らか苛立ちを抑える。
「何があった?」
「どちらのことを聞いてるの?さっきまで起こっていたこと?それとも向こうに現れた彼のこと?」
「どちらも答えられるなら次の長老はお前にしてやろう」
「ふふ、それはご免だわ」
「…………アルゴルか?」
女戦士は黙って頷いた。
「みんなを落ち着かせろ」
そう言ってナラレはアルゴルが来たという方へ向かって歩いて行った。