星と月(2)
洞窟の明かりが多くなってくると、当然ゴブリンの数も増えてきた。
さらに、道の端には彼らの食い残しと思われる残飯が散乱している。
と言っても可食部が残ったものは1つもない。
骨の形が残るよう綺麗に食べられており、その中には骨まで食べたのか骨の欠片さえ転がっていた。
フィセラは鼻を覆いながら洞窟の奥へと進んでいく。
――ひどい臭いね。アンフルの臭覚がない時代が恋しくなるわ。
そうして臭いがさらに強い方向、ゴブリンの気配がさらに多い方向。地底へと下りて行った。
どれだけ長く歩いただろうか。
フィセラが疲労を感じるほどではない時間だが、それなりに洞窟を下りて来た時。
ようやく景色が変わった。
フィセラが辿りついたのは、もはや洞窟とは言えないほどの大きな空間であった。
おそらく広さだけで言えば、ゲナの決戦砦のステージ1つ分には匹敵するだろう。
フィセラは歩を進めると、いつの間にか足元が岩ではなく木の板に変わっていた。
ゴブリンたちがこの空間の岩肌のあらゆるところに付けたのだろう。
どこを見ても同じような光景だ。
だが、一点だけ他とは違う場所があった。
この空洞の中心、ゴブリンがギョクザと言った場所だ。
岩肌に作られたすべての道の先が、その玉座に繋がっているようだった。
今にも崩れそうな不安定な木組みの足場を通りながら、フィセラはその玉座に座るゴブリンを見た。
暗闇で良く顔が見られなかったが、その口角は上がっていることは分かった。
不敵な笑みである。
だが、こちらに害をなそうという考えではないようだ。
その証拠に周囲のゴブリンはフィセラ達に近づこうとしなかった。
まるで腫物を避けるように、フィセラ達が進むと道を開けるのだ。
そして、付かず離れず後を追ってくる。
玉座の場所はここからでも見えているが、そこに辿りつくには入り組んだ迷路のような足場を進む必要があった。
フィセラ達だけであれば、それを無視して一直線に飛び降りているところだが、今は案内がいる。
その案内係のゴブリンが足を止めた。
「何、どうしたの?あれ?行き止まりじゃん」
足場が途中で無くなっていたのだ。
作りかけというよりは、意図して寸断したような切れ間にフィセラが疑問を持った。
それと同時に足場が下りて来た。
紐でつながれた足場がフィセラ達の目の前で止まり、ゴブリンがそこへ促す。
ここにきて躊躇することは無い。
フィセラは軽やかにそこに乗り、コスモを抱いたムーンも黙ってついていく。
かなり高い位置で滑車に繋がれた足場は宙を飛ぶように岩肌から離れて、玉座のもとまでフィセラ達をいざなう。
「人間、それとスライム。良い時に来た。このアゾクがお前たちを歓迎しよう」
玉座に座るゴブリンが傲慢さを隠すことなく、両手を広げた。
「なぜ我が下に来た?」
フィセラ達は、玉座とは名ばかりのただの椅子に座るゴブリンの前に立っている。
岩肌にはゴブリンたちがぎっしりといるが、彼女たちの近くには誰もいなかった。
――護衛は要らないの?私たちを舐めてるのか、馬鹿なのか。
フィセラは、そんな無防備なゴブリン王を嘲る様に返答した。
「大森林にいるジャイアント族が教えてくれたのよ、ここのことを。これでいいかしら?……王さま」
ゴブリンたちに皮肉という言葉は無い。
それでも、自分への態度が畏怖から来るものか、軽侮からなのかは分かる。
だから、アゾクも相応に返す。
「つまり、ジャイアントどもが送って来た生贄ということか!我らを恐れ許しを請いに来たか!」
アゾクは高笑いをする。
「ギャハハハハ!だが!足りんだろう?このアゾク王、この魔王への生贄にたかが人間2匹……それとスライム?ハハハ!腹の足しにもならんわ」
――腹の足し?食べる気なのね。ゴブリンそのものね、つまらない。
フィセラはアゾクの言葉になぜか気を落としていた。
だが、彼女の背後にいるNPC二人は逆だった。
魔王。
その名にふさわしくないゴミが、偉大な主人と同じ名を名乗ったからだ。
だが、暴れ出すような真似はしない。
静かに、ゴミと主人の会話を待つ。
「こっちも好きで来てる訳じゃないわ。半分は暇つぶしだけど……。1つ聞かせて、あなた達にとって人間って何?」
フィセラがなぜ人間のことを気にするのか。
ゴブリンたちはフィセラを人間というが、正確には違う。
彼女の種族はシェイプシフターだ。確かに、現在は変更可能な種族としての人間ではある。
そうだとしても、ゴブリンが人間の敵だと言ったところで、フィセラにもエルドラドにも害はない。
だが、放っておいていい存在かどうかの指標にはなる。
ジャイアントとゴブリンを天秤に置けば、少しばかりジャイアントに傾く程度。
だが、これが人間とゴブリンならば、比べる必要もない。
ゴブリンの代表が人間のことをどう語るのか。
アゾクの答えによって、駆除の日が早まるということだ。
「なぜそれを聞く?」
アゾクはフィセラの瞳にある闇を警戒していた。
「いいからいいから、早く答えてよ。……お前らみたいな低能な亜人と長くしゃべるのは面倒だからさ」
フィセラの答えにアゾクは左に持つ杖を強く握る。
「……次だ!」
「は?」
「ジャイアントどもの次だ。奴らを滅ぼした後は人間の国を滅ぼす!その次もその次もだ!最後の一匹まで喰らってやる!」
アゾクの雄たけびに周囲のゴブリンも呼応して騒ぎ出す。
「こいつらの士気を高めるために、今のうちに人の肉の味を思い出しておこうか」
ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!
アゾクは杖を床に何度も叩きつけた。
すると、まるで岩肌が崩れたと錯覚するほどの密度でゴブリンの波が襲い掛かって来た。
「う~ん馬鹿だな~。コスモ……手加減してあげなさい」
(は!)
コスモはムーンの腕から離れて地面に落ちると、スキルを行使する。
<形態変化レベル1>
アゾクはフィセラ達から目を離さなかった。
背後の少女が持っていたスライムが突然膨張し、体から流れ出す水を支えにフィセラの頭上まで昇っていたったのだ。
空中に浮かぶ球体の水源から水が流れているようだ。
見ることが出来たのはそこまでだった。
アゾクの命令に従ったゴブリンたちがフィセラ達を覆い、アゾクの視界さえ隠してしまったからだ。
<ウォーターカッター>
そして目にしたのは、一瞬で小間切れになる何百何千という同族の姿だった。
まるで中心から光線が放たれたように、仲間の体は寸断されている。
その光線は肉の壁を通り過ぎて、岩肌に傷をつけるほどの威力だ。
<形態変化レベル2>
ゴブリンの四肢や臓物、血のカーテンから現れたのはすまし顔のフィセラと何十倍も大きくなったスライム。
まだボールの姿を維持しているが、我慢の限界のようにボコボコと中身が噴出しそうに暴れていた。
<形態変化レベル3>
<ウォーターボール>
さらに巨大化していくスライムから放たれる水の塊が、こちらに再度向かってくるゴブリンたちに当たる。
衝撃は大きく、彼らは簡単に吹き飛ばされていく。
そして、その周囲にいたゴブリンも悲鳴を上げだした。
攻撃を受けていないはずだ。
そちらに目をやると、白い煙を上げながらのたうち回っていた。
酸だ。スライムの通常の能力である。不思議がることは無い。
アゾクはほんの一瞬で作られたこの光景に反応が出来なかった。
<形態変化レベル4>
形態変化。
レベル1で自身の体を5倍までサイズを増加できるスキルだ。
レベル2は元の25倍。次は125倍。そして、625倍。
まだ2段階の変化を残しているコスモはレベル4でスキルを止めた。
これ以上は「地底」では使えない。
コスモは数少ないスキルを使ってフィセラとムーンを覆うように守っていた。
玉座に体を付けないように、四方八方に手足のような触手を伸ばして空中に留まっている。
スライムと呼べる姿を超えた粘体の怪物が空洞の中心にいた。
その体の中に無数に存在する光の粒が神秘的な光景を作っているが、それに感動しているのは、フィセラ一人だ。
フィセラはアゾクに近づいていく。
コスモは、フィセラ達を覆っていた膜を彼女一人が通れるように隙間を開けてあげた。
「お前らはことはよ~く分かった。私たちはもう帰るわ。このまま無事に見送ってくれれば、こちらも攻撃をしないでここを離れる。どう?」
アゾクは変わらず玉座に座ったままである。コスモが見逃していたのだ。
「名は?」
「私の名前?……フィセラよ」
ジャイアントの次は人間じゃない。
お前だ!
フィセラ!
アゾクは決して言葉を発しなかった。だが目に宿った炎は誤魔化せなかった。
フィセラはそれを嘲笑う。
「ジャイアントと仲良くしなさい。その戦いが終われば、その時がお前たちの最後なんだから」