ゴブリン
巨人の集落を少し離れ大山の落とす影を超えた先には、山がある。
地表から数百メートルの高さの小さな山だ。
その中腹には、穴があった。
その穴は山の中へ通じている洞窟となっていた。
洞窟を進もうと中に入り下へ、下へ、下へ果てのないように思い始めた時、ようやく大きな空間に出る。
地下をくり抜いたとても大きな空間だ。
その壁には何百段にもなる、木で作られた簡素な足場がありそこには小さな影が蠢いていた。
その空間の中心にも足場があった。
底も見えないほど下から木が積み上げられ、横の壁から何本も支えが伸ばされて、上からは草のロープが足場を釣り上げる。
まるでその洞窟の心臓とでも言うように何本も脈が繋がっているようであった。
玉座がそこにある。
飾りなど無いただの木組みの椅子。玉座と証明するのは、そこに王が座っているからだ。
「またジャイアントを連れ帰って来たのか?あれは旨くない……お前たちで食え、残すなよ」
玉座に座っているのは、洞窟を行き交う小さなゴブリンと変わらない姿だ。
特別に大きい訳ではなく、異形な訳でもない。
「ワカ、タ」
ぎこちない言葉で返事をしたのは、ゴブリン王の前に立っていたゴブリンだ。
巨人を捕まえた、と嬉々として報告をしに来たが、うれしそうではない王の姿にがっかりしている。
体は小さいが大人のゴブリンだ。
だというのに、まともにしゃべれない姿が王のかんに障った。
「はやくいけ!目障りだ!」
ゴブリンはそそくさと去っていった。
ゴブリン王はため息をつきながら、横に置かれている籠に手を伸ばした。
掴んだ丸い何かを口に運び、かぶりつく。
ブシュッ、と液体が飛び散った。
「最近はこればかりだ。この果物にも飽きたな」
食べていたのはただの果実だ。
ゴブリン王はもう一口だけ口にすると、適当に放り投げた。
果実が飛んでいった方向がざわざわと騒がしくなる。
ゴブリンが捨てられた果実に群がっているのだろう。
ゴブリン王は拳を強く握り、退屈そうな顔を作った。
つまらん!
せっかく先代の王を殺したというのに、旨味が何もない。
洞窟には魔獣ばかり、洞窟の外もそうだ。
ついに人に会ったと思えば、ジャイアント!
奴らの肉は硬くて噛み切れん。
ああ!クソが!
「人間を持ってこい!エルフを食わせろ!」
叫んでもどうにもならないことは分かっている。
だが、食欲が抑えられないのだ。
この大森林、その中の洞窟。
そんなところで生まれたゴブリンたちは王も含めて、人間やエルフを見たことがない。
だが、知っている。
祖先が食った肉のうまさを、血のまろやかさを、食事を彩る悲鳴を。
1000年の時を超えようとも、純粋な欲望は彼らのことを忘れさせなかった。
その飽くなき欲が光の届かぬほどの地底からあふれ出そうとしていたのだ。
ゴブリン王の叫びに呼応したゴブリンが、地下から横の橋から上のロープから、続々と集まっていた。
「ゴブリンどもよ!あの壁画を見よ!」
巨大洞窟の壁には所狭しと足場があるが、ある一か所だけは壁がむきだしになっている。
中心には大きな山が描かれており、それを挟むように2つの種族がいた。
片方にはゴブリン、反対側にはジャイアント。
描かれた者達は武器を地面に突き刺し、戦いの意思を持たぬことを表していた。
「太古、戦に敗れたゴブリンと土地を追われたジャイアントの生き残りが互いの滅亡を防ぐために、不可侵の契約を交わした」
王のもとに集まったゴブリンは静かに話を聞いている。
「だが!それは間違いだ!あの絵の意味は、武器を置いたジャイアントどもに先手を打てということだ!ジャイアントどもを食らいつくせということだ!」
ゴブリン王は立ち上がった。
「今こそ、森の王となるのだ。この我こそが、最初のゴブリン王の名を継ぐのだ!」
両手を高く上げ、すべてのゴブリンへ声が届くように息を吸った。
「この我を!アゾクを称えよぉぉぉ!」
ダンダンダンダンダンダンダンダンダンダン!!
オオオオオオオオオオオオオオ!!
巨大の洞窟の壁を埋め尽くす何百万のゴブリンが地面を叩き雄叫びを上げる。
1000年間、洞窟で数を増やし欲望を溜め渇きに耐えていたゴブリンが、大森林を地底から揺らしていた。