敵じゃない
討伐軍本隊がアゾク大森林に足を踏み入れる数時間前。
ゲナの決戦砦、食堂。
遠巻きにNPCからの羨望の視線を送られながら、フィセラはデザートの最後の一すくいを口にしていた。
「フィセラ様。ヘイゲン様がいらっしゃいました」
本館に配置されている女使用人が、フィセラに耳打ちする。
フィセラの眼前ではもう一人の使用人が皿を片付けているところだ。
「いいよ。連れてきて」
使用人に連れられてヘイゲンがフィセラのもとに来た。
フィセラの視界に入るなり、ヘイゲンが床に膝をつく。
ヘイゲンが立ったままでは、椅子に座っているフィセラを見下ろす形になってしまう。それを回避するために膝をついたのだ。
「お食事中に申し訳ありません。至急お耳に入れたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「ちょうど食べ終わったところよ。タイミングいいね」
ヘイゲンが食堂の入り口で15分待っていたことに気づかないフィセラである。
「それより。床、汚いよ。座れば?」
フィセラは空いている対面の席を指さす。
「……では、お言葉に甘えさせていただきます」
この時、食堂の従業員たちに戦慄が走った。
「床、汚いよ」
その言葉を聞いた者たちによって床が輝くまで掃除がされ、食堂を一時閉鎖する事態にまでなる。
それを聞いたステージ管理者であるベカが激怒する事件もあるのだが、フィセラが気づかぬ間に収束するであった。
椅子に腰を下ろしたヘイゲンを見て、それで、とフィセラが報告を催促する。
「はい。王国より討伐軍を名乗る兵士が二人、冒険者が七人。ラガート村に入りました」
フィセラは少し、報告を聞く姿勢を整える。
「住民に危害を加える様子をありません。先遣隊や白銀竜、アゾク大森林のことについていくつかの質問を行っておりました」
「私のことがバレたの?」
およそ、2週間前。フィセラは先遣隊に攻撃を仕掛け壊滅させていた。
「フィセラ様の情報が漏れることは無いかと。ただの白銀竜討伐を目的とした者たちだと思われます。質問の内容から察するに、フィセラ様のことや先遣隊の行方は、何も分かっていないようです」
フィセラは胸をなでおろす。自分が原因の戦闘が起こらないと知って安心したのだ。
だが、ヘイゲンの報告は終わっていなかった。
「では、レグルスを送り速やかに抹殺をいたします」
「え?……なんで?」
「<あの竜>を討伐する実力があるのならば、下手のものでは返り討ちにある可能性があります。レグルスならば確実でしょう」
フィセラは腕を組んで考えだす。
――言ってることは間違ってないんだけど、何か引っ掛かるな~。…………え?殺しちゃうの?
「ちょっと待って!殺す必要はないんじゃないかな?」
「……というと?」
何か意図があるのか、とヘイゲンは聞き返した。
「私達に何かしたわけではないんだし、もっと穏便に……ね」
ヘイゲンは険しい顔を作る。砦の防衛の話となれば、主人に意見することも辞さない。
「<あの竜>を討伐しに来ているのですぞ。それに、どのみち彼らが向かう先はここです。早々に対処をしなくてはいけません」
フィセラは今まで困り顔で話を聞いていたが、何かを決めたように話し始めた。
「相手を殺すのは、それが敵か悪人の場合だけ。それ以外なら、他の方法を探しなさい」
「どう見極めよというのですか?彼らが、敵や悪人でないと」
フィセラはエルドラドが人類の敵になりそうなのを止めたかっただけだ。見極めなどと言われても答えられるわけがない。
とりあえず、時間稼ぎをしなくては。
「まあ、今日のところは私が行ってくるから、大丈夫!」
フィセラは木々に囲まれながら頭を抱えていた。
――抹殺とか簡単に言い出したのは私が原因だよね。だって……駐屯地にいた先遣隊4千人を殲滅させたんだもんね~私が~。
声には出さずに高笑いの真似をする。
――時間は戻ってはくれない。だったら、私の思うように進めるしかない。NPC達が、私が人間に敵対的だと思っているなら逆に友好的だと思わせることをしなくちゃ。砦に向かっているやつらを無事に送り返せば、悪い印象は薄れるでしょう。そのために作戦も考えたし。
フィセラは遠い目をしてつぶやく。
「まあ、その作戦も失敗しつつあるんだけどね」
アゾク大森林にて、作戦進行中。
やや不穏な風が頬をなでる。
ミリタリー風の装備に身を包んだ少女がこちらに走って来た。手には、この時代に似つかわしくない双眼鏡(アンフルでも異質だ)が握られている。
目の前まで来るとビシッと止まり敬礼を行う。
「フィセラさま!目標は三体目の魔獣と交戦中!いまだ、我々には気づいておりません。計画は順調であります!」
フィセラは、パチンッと少女の頭(目深にかぶったヘルメットのオデコの部分)にデコピンを食らわせる。
「声が大きい。気づかれちゃうでしょ」
「あ、ああ。失念しておりました!申し訳ありません!」
もはや全力の大声だが、叱る気が失せてしまっている。
フィセラは深いため息を吐いた。
「主さま。ご不便はありませんか?」
すぐ右から声をかけたのは人間の男、と思いきや下半身が馬に繋がっているケンタウロスだ。
ケンタウロス。
半人半獣の「召喚モンスター」だ。上半身は皮の鎧、下半身には何も装備はない。
人間の体を持っているだけに知能が高く会話は容易である。
現在、エルドラドにて行われている実験の産物だ。
人間の肉体を生贄にしたモンスターの召喚。(もともと召喚しようとしたのはケンタウロスであり、融合の結果ではない)
NPC曰くこの世界との繋がりを強くするのだとか、つまり難しい魔法だ。
フィセラは召喚に失敗したので、今いるケンタウロスはすべて高レベルNPC の召喚したモンスターになっている。
フィセラはケンタウロスに、問題ないと答える。
なぜこんなに近くにケンタウロスがいるかと言うと、フィセラが彼の背に乗っているからだ。正確には、地面に座ったケンタウロスの背にフィセラが椅子代わりに座っている形だ。
元から用意されていたのか、肌触りの良いシルクの布を背に掛けて、彼女はその上に座っている。
フィセラは見下ろす形でミリタリー風少女に聞く。
「それで、ラップ。今回はどんな感じ?また、倒されそう?」
「いえ、今回はかなり苦戦しています。時間がかかりそうです」
――倒すのに時間がかかるってことでしょ!
目の間にいるミリタリー風少女の名はラップ。エルドラドの修練場に配置されているNPCだ。
修練場とは、90レベル(上位・魂器人形と言われるアイテムでつくることが出来る下限レベルが90だと考えると、アイテムの無駄使いだ)の戦闘NPCを配置している施設だ。
アンフルでは定期的に、ギルドメンバーが90レベルNPCを持ち寄って、互いに戦わせる遊びをしていた。
そこで勝利したNPC、90レベルの中でも上澄みの者しかいない施設こそが修練場なのだ。
ラップの身長はムーン・ストーンと同じほどで、心なしか顔も似ている気がする。
大きいリュックやヘルメット、スコップ、パンパンに膨れたポケット多数が窮屈そうに感じるがそんなことは無い。実はあまり意味のない装飾もあるのだが、主人から与えられた物に嫌な気を持つNPCはエルドラドには一人もいない。
そして、作成者はフィセラである。
単一のジョブビルドにあまり興味がないフィセラとしては頑張った、罠魔法特化NPC。
ラップが罠魔法だけで修練場にいられるのは、決してかつての仲間の配慮だけではないことは確かだ。
「ラップの罠を使えば森から素直に帰るかと思ったけど、想像の3倍は強かったなね。言っとけよな~あのジジイめ」
白銀竜を討伐に来た部隊だということを忘れているフィセラである。
「<反応鈍化><重力増加>、それに<蔓の暴走>まで使ってるのによく戦えるね」
それを聞いていたラップが涙目になってしまう。
「自分が不甲斐ないばかりに、申し訳ありません!ですが、自分はもっと出来るのであります!<核爆地雷>や<森の悲鳴>それに<インフィニティホール>とか、あとあと。とにかく、いっぱい設置してくるであります!」
口にした魔法はどれも大海級の魔法だ。討伐軍には過剰だろう。
踵を返して走り出したラップのリュックの紐を、フィセラはすんでのところで掴んだ。
後ろに引っ張られたラップが盛大に転んだが、リュックのおかげで無事だ。
「そんな魔法使ったら即死しちゃうでしょ。それは使用禁止。それに、そろそろ作戦を変えるから、ラップは砦に帰りなさい」
フィセラは、立ち上がれずにバタバタしているラップを自分の代わりにケンタウロスの背中に乗せた。
砦までお願い、というとケンタウロスが立ち上がる。
ラップがフィセラの上から話す。
「フィセラ様をお一人しないようヘイゲン様に言われているですが」
まるで、怒られるのが怖いと嫌がる子供のようだ。
「他にもいっぱいケンタウロスがいるんだから、一人じゃないでしょ」
「確かに!それではお気をつけて」
そう残して、ケンタウロスと共に去っていく。それと入れ替わりに他のケンタウロスがフィセラのもとへ来た。
フィセラの近くに誰かがいるようにしているようだ。
ケンタウロスが近くに来ると、フィセラはすぐに声をかける。
「次の魔獣の準備はできてる?」
「はい。現在戦闘中の魔獣よりも、少し体力の多い魔獣を捕獲しております」
準備がいい。
フィセラが考えていた作戦はこうだ。
討伐隊が森に入った途端、ラップの罠を使って驚かす。これは失敗。
魔獣をけしかけて隊を追い払う。これも失敗。
罠を使いながら、少し強い魔物をぶつける。互角に戦ってしまうため、失敗。
次の作戦に移る必要がありそうだ。
「その魔獣はどっかに返してきていいよ。今からは、私が直接行くから」
フィセラは肩を回して体を慣らす。
「向こうにいるケンタウロスにも伝えといて、それと、砦までのルートに魔獣が来ないように警護もよろしく」
現在ケンタウロスは目の前にいる1体。フィセラの周りを囲いながら魔獣を探す4体。討伐隊の監視を行う2体。先ほど砦に帰ったものも入れれば、計8体が森にいることになる。
「承知しました」
そう言って走り出す。
お一人では……、と言わないのが召喚モンスターだ。
フィセラはポーチを開く。
<換装>。
フィセラの装備が変わり、手には剣を握っている。
戦士風の格好だ。黒を基調とした布製の服の上に、手甲や足、肩当て、胸当てが付けられているだけの軽装備だ。
つけている装備が銀色なため、下地の黒とモノクロになっておりバランスが良い。
防御性能を考えればフルプレートが最高なのだが、あれを付けるには筋力や修練度が一定値必要なのだ。
フィセラは耳に手を当てて、基本魔法を使用しながら相手を呼ぶ。
<通信>。
「ヘイゲン?」
「はい。フィセラ様」
「今からそっち行くから、もういる?」
「すでに指定ポイントにて待機しております。いつ来られても問題ありません」
「お~け~」
そう言って耳から手を放す。
手を耳にかざさなくても魔法は発動するのだが、なんだがこうしたい気分になるようだ。
「私に任せてって言って来たのに、これじゃ情けないよ」
とほほ、と口に出してわざとらしく落ちこむ。
フィセラはとぼとぼと歩き出した。
――そういえば、ラップに罠の解除させる忘れたままだ。
よりいっそう気分が沈み始めるが。
「ま!大丈夫か!」
フィセラはようやく前を向いて歩きだす。
まるで散歩をしているような軽やかさで、いまだ戦闘中の討伐隊に向かって進んでいった。