冷たい知らせ
フィセラが<ゲナの決戦砦>に戻ってきてから、およそ二日後。
転移したからと言っても砦内にこれと言った変化はなく、フィセラは自室で暇をつぶしていた。
「ほとんどの子たちに顔見せは出来たから、やることないんだよな~。どうしようかな~」
フィセラの砦への帰還後に会った管理者との謁見後。
自室に戻った彼女は珍しく熟睡できた。
白銀竜との本格的な戦闘による疲労もあったが、それよりも砦にいるという安心感によりベッドにつくなり眠ってしまった。
起きた後は何をすればいいのか、と部屋で待っていたのだが誰も来ず、2時間ほど無駄な時間を過ごした後に、ヘイゲンに連絡すると。
「わしら管理者から、すべての部下にフィセラ様のご帰還を通達しております。延いてはフィセラ様のご尊顔を皆の者に拝する機会を与えてはいかがでしょうか?」
さすがに、あの人帰って来たって、と伝えるだけで済ませる訳にはいかない。
あまり乗り気ではなかったが、フィセラも覚悟を決めると連れていかれたのは食堂だった。
料理人の挨拶を受けると、豪華絢爛な食器に盛られた芸術作品のような料理が目の前に並んだ。
その後、もっと普通の料理がいい、と食堂があるステージの管理者・ベカにとても柔らかく角を立てない言い方で伝えると、次からはメニュー表が用意され改善されていた。
――食事の度に食堂へ来てたけど、仕事何やってんのかな?あの子。
部下の仕事に不備がないかを管理するのもステージ管理者の役目だ。
食堂で主を満足させられているかを見に来ていたのだ。
フィセラは食堂以外にも色々なエリアを周った。
小休憩を挟みながら(しっかりした休みを提案されたが、仕事を早く済ませようとフィセラが断った)二日間、全ステージに行ったことで分かったことがある。
気を使われたのだ。
フィセラ自身は全NPCの主になったことを自覚して、演説や宣言を行うのだろうとしゃべる内容を考えていた。だが、管理者たちは、それらを行わないままNPCにフィセラを周知させようと動いてくれたようだ。
――小心とか思われてんのかな?やだな~。確かに、ただの女の子が皆の前で演説できる訳ないけどさ~。あーあ、かっこいい主人を演じて見たかったな。
どんな話をすればいいのか、どれほど考えても浮かばなったのは事実だ。
「いや、これでよかったかも。遠い存在にはなりたくないし、命令ばっかり出すのは性に合わないし」
フィセラは自分の膝に座らせていたムーンのぼさぼさの髪の毛をなでる。
ずっとモコモコフードを被っているからか、フードをとると髪の毛がめちゃくちゃになってしまった。
意味のない小さな現象だが、確かな生を感じる。
感慨にふけりながらムーンと遊んでいても、時間は一向に進まない。
「あー、もう!主人の仕事って何すればいいの!?」
フィセラはムーンを抱き寄せて、頭の上に顎を置いて不貞腐れる。
ほとんどのNPCと会ったときにすべての者たちの目は輝いていた。フィセラと会うことが出来たからだろう。
彼らには、フィセラという存在が必要だ。
だが、フィセラの手が必要な場所は、彼女が周った施設にはなさそうだった。
「ラガート村にでも顔見せに行こうかな。やることないし」
「どこか行くの?ご主人様」
ムーンが不安そうな声で訪ねてくる。顔は見えないが、寂しそうな顔をしているかもしれない。
フィセラは気にする必要はないと、変わらない声色で答える。
「心配しないで。すぐ近くにある村を見に行くだけだから」
数日しか経っていないのだからラガート村に変化など起こってはいないだろう。だが、思い返すとフィセラはドラゴンの話を聞いてすぐに飛び出してしまっていた。
――ソフィー心配していないといいけど。そういえば村長がいろいろ言ってたはずなんだけど、忘れちゃったな。
気が動転していたせいで、村を出た直前の記憶が曖昧だ。
そうして、村とのこれからの関係を考えていると<通信>が入った。
通信はフィセラのようなプレイヤーならだれでも使える基本魔法だが、NPCはそれを持たない。特定のアイテムを持たせるか、意図して通信魔法を会得するように設定するしかない。
そんな特異なキャラビルドをしているNPCは数えられるほどしかおらず、フィセラの想像通りの人物が話し始める。
「フィセラ様。ヘイゲンでございます」
良く言えば全能。悪く言えば器用貧乏。
そう言われるほど、ヘイゲンは広く(浅く)魔法を習得している。攻撃力は攻撃特化の魔女ベカに劣るが、それが弱さを証明することにはならないことを、いつか示してくれるだろう。
「どうしたの?緊急事態?」
緊急かどうかを聞いたのも無理はない。ヘイゲンが通信を使ってフィセラに連絡してきたのが初めてだったからだ。
前日、フィセラが暇つぶしに通信魔法を試していたところ偶然同じ魔法を持つヘイゲンに繋がった。
便利な魔法なため、もし報告があればこれを使っていい、と言ったが、そんな無礼なことはできないと返されてしまっていた。
それでも面倒だからみんなに通信アイテムを持たせるかを計画していたところだ。
「はい。フィセラ様がお気になされていた白銀竜討伐軍に動きがありました」
――あ!そうだ!軍隊だ。村長が言ってた話だよね、忘れてた。
唯一砦の外に出たことあるフィセラは、いくつかの「外の情報」を部下たちに共有させていた。そのうちの1つが、軍隊が森の向こうにいるらしい、というものだ。
フィセラの許可が下りてようやく周辺の状況・環境を把握するため、多くのNPC(アイテムやスキルによる召喚獣も含む)が外で活動している。
彼らの報告によると、すでに討伐軍は少しずつだが森に入ってきているようだ。
緊急の報告が何なのかを想像できないまま、ヘイゲンが続ける。
「討伐軍の一団は昨夜に続けて前進し、小隊規模の隊列と魔獣が接触し戦闘を開始。4分後に敗走を確認しています」
「その報告が私に必要?」
フィセラは少し機嫌が悪かった。
彼女が勝手に、暇を打ち消すような刺激をヘイゲンの報告に期待しただけだが、思っていたよりも興味の湧かない言葉の羅列に落胆していた。
「軍人ではない者が戦闘に巻き込まれました」
フィセラの動きが止まる。
「……報告は分かり易く簡潔に」
「はっ。監視を行っていた者の報告から推測すると、フィセラ様がお話になられていた村の人間が戦場にいたようです。森での戦闘に似つかわしくない雰囲気の者が混じっていると報告がありました」
「生きてるの?」
ヘイゲンの言葉にかぶせるように質問を行う。
何があったのかは気になるがそれよりも、関係のない村人の無事を知ることが先だ。
「ワシが報告を受けたのは、戦闘が終わった後になります」
淡々と語った。
私の部下はただ状況を見るだけで動かなかったということだ。
心を手に入れたのではないのか?人を見捨てられるような奴らなのか?
怒りの片鱗がフィセラの顔に出かけた時、あることを思い出す。
――そういえば、極悪寄りの子(NPC)も結構いるんだよな~。人助けはしなさそうだな、あの子たちは。
何名かのNPCの顔を思い浮かべて、渋い顔をする。
フィセラは主人として部下を抑圧するつもりはないが、すべてのNPCの設定された性格を容認することも難しいことは理解していた。
団結の足掛かりとして、意識調査でもするべきだろうか。
まだ通信中だったことを思い出す。ヘイゲンは黙ったままだった。
通信はフィセラの感情も伝えることが出来るのだろうか。それよりも、頭の良いヘイゲンが、主人がどう思うかを悟ったうえで報告を行ったと考える方が自然だ。
ヘイゲンが待っているのなら、先にしゃべりだすべきはフィセラの方となる。
「わかった。私も行く。城門に来て」
短く言い放ち通信を切った。
フィセラは小さく息を吐き、一気に立ち上がる。
ムーンは通信がかかって来た時、既にフィセラの膝の上からどいて隣に座っていた。フィセラが立ち上がったことで、つられるようにムーンもベッドから降りた。礼儀としてなのか、子の習性かは分からない。
まるで、どこまでもついていくという風にフィセラの隣に立っている。こんな感じで部屋の中ではぴったりとくっ付いてくるが、部屋の外に自分から出ることはしない。
配置された場所を、いるべき場所と感じているのだろう。
言われれば付いていく、何もなければ主人を見送る。そんなムーンに声をかける。
「ちょっと行ってくるよ」
ヘイゲンとの話(フィセラの言葉だけだが)を聞いていたはずなので、何をしに行くのかは分かっているだろう。詳細を教える必要はない。
フィセラは右手を上げてアイテムポーチを開いて、何もない空間に現れた光る異次元の穴に手をかざす。
<換装>。この基本魔法はポーチを開いた状態でないと発動しないことは確認済みだ。
自室ということもあり上着を一枚外していたのでそれを戻した。ゲームならば気にはならないが、現実だと四六時中フル装備だと、少し疲れる。
瞬時に、黒いコートを身に着けたフィセラは続けて魔法を行使する。
<拠点内転移>。
フィセラの視界が一瞬揺らぐと、彼女の自室から城門内の空間へと転移することが出来た。
視界の切り替えに一拍遅れて、彼女の体も完全に転移を果たして、動けると確信する。
ダンッ、と揃った音が鳴った。
フィセラが現れる瞬間を見計らって戦士たちが姿勢を正したようだ。
もちろん、主人の眼が無ければ怠けているなんてことをしているNPCは一人もいないが、主人がいるかいないかで気合の入りようは全く違うらしい。
フィセラは全開となっている城門を見上げる。
守備を考えれば不用意ではあるが、今は行うべきことが多くある。いちいち開け閉めを行っては時間の無駄なのだ。
唯一の出入口は往来が激しいはずだが、偶然にも今は人の流れが途切れていた。
城門内には、フィセラと元から配置されている戦士たちだけがいた。
外から吹く風が漆黒のコートをなびかせ、フィセラは黒い尾を引くように居並ぶ戦士たちの間を通り過ぎていく。
城門を出ると、ヘイゲンが待っていた。
森を見ていたところで偶然後ろを振り向き主人に気づいた、という風だがこの男なら転移してきたときに気づいていてもおかしくない。
ヘイゲンはフィセラを確認すると、ゆっくりと腰を曲げて一礼する。
「お待ちしておりました。フィセラ様」
「話している暇が惜しい。どこ?」
フィセラの態度にヘイゲンはどこか悲しそうな顔を浮かべるが、彼女はすでにヘイゲンの横を通り過ぎて森の向こうに目をやっていた。
「ワシがお連れします」
ヘイゲンは静かにたたずんでいるだけだ。何か魔法を準備しているように見えないが、件の場所は彼しか知らないのだから言うことを従うほかない。
フィセラが隣に立つと、ヘイゲンは手に持っていた杖を地面にトンと突き刺す。
<集団飛行>。
足元から風が舞い上がり二人の体をゆっくりと浮かし始めた。
フィセラは体の自由が効かず顔をしかめる。まるで巨人に掴まれているような感覚だ。
飛行魔法の主導権がヘイゲンにあるため、今の彼女はただの同行者でありフィセラの意思で飛ぶことはできない。
少しずつ高度を上げていき、地面から20メートルほど浮かんだところで前に滑っていく。
地面からの距離ではなく高度を維持しているようで、もともと高さのある山から出発したこともあり、進めば進むほど地面が離れていく。
斜め前を飛ぶ(というよりフィセラが斜め後ろに連れられている)ヘイゲンが、後ろを向いた。
「加減はどうですかな?フィセラ様」
と聞かれても文句を言えるはずもなく、大丈夫、とだけ答えた。
――空を飛ぶ、か。なんで思いつかなかったんだろう?こんなの絶対楽しいじゃん。
やりたかったこと。できるようになったこと。
この世界を楽しもうと思ってから、いくつか考えていたが空の飛行は頭になかった。
実際、フィセラは飛行魔法を取得していないのだが、方法はいくらでもある。
――アイテム使えば私だけでも飛べるよね。今度やってみよ。……いや、その前にあいつを使う手も……。
やることが無いため、一人考えていると眼下の風景が少し変わる。気になったフィセラははるか100メートルほど下方に目をやった。