白銀竜降臨(2)
フィセラが異世界へと転移する半年前。
ギルド・エルドラド。ゲナの決戦砦・農場ステージにて。
女性ギルメンのみによる定期集会。
農場ステージは文字通り、畑や栽培場がメインとなっている場所だが、元は自然を残したステージにするという目的で作られた場所だ。
ステージの端にはその目的を忘れないための、のだかな緑の芝生があった。
芝生に敷いたシートの上に幾人かのメンバーが集まっていた。
「はい。どうぞ~」
「ありがとう。ゆるくまさん」
フィセラは液体の入った精巧な刺繍の施されたカップを受けとる。
「はーい。そうそう、これ新発見の茶葉だから飲んでほしかったの」
「何が新発見だ。味もないのに、何が違うんだか」
紅茶の入ったカップを配っている熊が「ゆるくま」。
悪態をついていたの「怒羅権」だ。
ゆるくまはキャラ種族に獣人を選んでおり、その姿は二足歩行の熊そのものだ。本人はゆるキャラみたいにしたかったと言っているが、どうしても緩くならなかったようだ。
メインジョブには支援職を修めており、この見た目の癖に戦闘ではもっぱら後方で杖を振っている。
怒羅権は様々な漢字が施された紫の甲冑を着込んだ戦士だ。整った顔立ちにきれいな黄金色の長い髪が特徴的だ。リアルと同じ顔だとよく言っているが、真偽は定かでない。
「全然違うから!環境設定とか土の条件が合わなきゃ生まれない品種なんだからね」
「職権乱用で作った畑を使ってできた草だろ?」
このエリアの制作担当は確かにゆるくまだ。
コンセプトは緑の空間と聞いていたが、気づいた時には彼女の趣味全開の畑がエリアの半分を埋めていた。
今も畑の環境をコントロールするための妖精が何匹も飛んでいるし、農作業服をきたNPCも何やら働いている。
「乱用じゃないから。あなた、いつもそれ言うわよね。いい加減にしないと怒るからね」
「勘弁してくれ。その野生じみた熊の顔ですごまれたらビビっちまう」
確かに、ゆるくまの顔面は一切デフォルメされていないリアルな熊の顔だ。
普段は温厚なゆるくまも怒ってしまうだろうか。ゲームアバターでは彼女の感情は分からない。
「…………フィセラちゃんはこんな言い方する大人になったらダメだからね。……もう遅いか」
突然、自分に飛び火した。
「遅くないよ!」
「え~?でもフィセラちゃん口悪いし」
「悪くないよ!」
予期せぬ攻撃を受けて反抗するが、伏兵がいたようだ。
「いや口悪いぞ」「確かに~」「時々怖いよね」
参加メンバーが口々に肯定していく様にフィセラも困惑だ。
「そ、そんなことないでしょ?」
フィセラは特別、不良というわけではないし、口が悪いと言われたこともなかった。
戸惑っているフィセラに、ゆるくまが肩をたたき落ち着かせる。
「気にすることじゃないわ。ただ……戦闘中の言い方とかが、ちょっと……怖いってだけだから」
「……ごめんなさい」
自分では気づけない真実というものがある。
こうしてメンバーと語らうことは多かった。特に女性メンバーだけの集いは良く開かれていた。
フィセラはこういった時間が好きだった。
ゲームとしての楽しみはもちろんあるが、それと同じくらいに、ここで出来た仲間と一緒にいるだけで幸せだったのだ。
在りし日の思い出。覚えている者はいるだろうか。
白銀竜はフィセラの問いに答えることなく飛び上がる。腹の下に強風を連れながら、フィセラの頭上を飛んでいく。
「チッ、逃げんなクソが!」
フィセラは身をひるがえして<山羊座の大狼>の背に飛び乗った。
大狼がそれを確認すると、空を飛ぶ白銀竜を追いかける。
山の上にも木は生えているが、下の森ほど密集していないため視界を遮るものはない。白銀竜が空高く逃げようとしない限り見失うことはないだろう。
――落ち着け!ドラゴンが逃げる訳ないでしょ。もしかして誘ってるのかな?
「この距離でいい。あんまり近づかないで様子を」
直後、上空を飛んでいた竜が不自然な回転をおこなう。高速で飛んでいたのにその場で静止してフィセラ達の方へ顔を向けたのである。
そのまま、静止状態からありえない加速で降下する。
地面に激突かと思われた瞬間、翼を大きく広げ足の爪が地面をかすりながら滑空した。
地面すれすれを飛びながら引き連れる風圧でフィセラ達のすぐ傍の斜面をえぐっていく。
フィセラはあっけにとられて命令する余裕がなかったが、<山羊座の大狼>がどうにか避けてくれていた。
「あっちもやる気ってことね。いったん下がって鑑定した方がいいか」
白銀竜はかなりの距離を滑っていったようでここからは姿が見えないが、衝撃で上がった砂ぼこりが位置を教えてくれている。
フィセラは、斜面を少し降りて身を隠す。山下の方が身を隠さる影が多かった。
岩場の影に隠れていったん呼吸を整える。そして、あたりを見て気づく。
――もうこんなに暗い。これなら私のことは見つけづらいはず、でもわたしからはあの銀色の体は見やすい。
斜面の上の方から物音が聞こえ、フィセラは岩陰から顔をのぞかせる。
白銀竜が背伸びをするように頭を上に伸ばしてフィセラを探している。
やはり彼女には気づいていないようだ。
少し遠いが視界に移る生物は白銀竜だけ。鑑定魔法が使えるチャンスである。
<上級位鑑定>
フィセラは目を細め注意深く観察する。その間にも竜は捜索を続けているが決して目を離さない。
――名前は白銀竜?渋いね。88レベル!?だけど……体力が……低い?魔力も。
もちろん白銀竜の体力・魔力は膨大だが、フィセラの記憶にあるアンフルの竜種と比較しての評価だった。
アンフルにおいて、すべてのモンスターは120レベルまでしか存在しない。そのように統一されていた。
数字だけは、だが。
その中身はまるで違った。
強敵とされる種族の120レベルは、120レベルのプレイヤーが10人いようとも勝てないほど種族値が加算されていた。
ダンジョンボス・エリアボス・超高難度クエストの目標となる竜種ならば、60レベルを超えた時点で6人編成の1個パーティーが討伐に必要な最低条件となる。
80レベルを超えたドラゴンがたった一人のプレイヤーの前に現れたのなら、それは紛れもなく悪夢だ。
――おかしい。あれは88レベルのステータスじゃない。……あれじゃレベルそのまんまだ。
そのまんまとは、まるで88レベルのプレイヤーのようなステータスという意味だ。
フィセラは鑑定魔法を解除し再度岩陰に身を隠す。
フィセラは迷っていた。
まともに戦える相手だと思っていなかった。勝てるとは思っていなかった。
一時、感情が爆発して正面から向かい合ったが倒せるイメージは湧いていなかった。
フィセラは戦うべきかどうかを迷っていた。
不安を読み取ったのか体を小さくして陰に隠れていた<山羊座の大狼>がフィセラの顔を覗いてくる。
その時あるイメージが脳裏に浮かんだ。
勝利のイメージである。
――アンフルの魔法が使える?ドラゴンのレベルが高い?……惑わされるな。
――ここはアンフルじゃない!名前も知らない異世界だ!……囚われるな。
フィセラは岩場の陰から出るように歩き出した。
彼女はドラゴンが自分を探していることなんてどうでもいいという風に堂々と姿を現す。
「お前は最強のドラゴンじゃない。悪夢でもない。私の敵じゃない!」
その声が聞こえたのか分からないが竜の口が大きくゆがみ、不敵な笑みを作り出す。
白銀竜はちょうどフィセラの上にいる。
竜がちっぽけな人間を見下ろす。
突如、白銀竜が進行上の木々を無視して滑るように斜面を下ってきた。
竜が到達するまで数秒、十分だ。
「いけ」
フィセラの一言に従い、後ろの陰から大狼が竜に向かって走り出す。
<山羊座の大狼>はフィセラと白銀竜の間をまっすぐ走る。
白銀竜はぴくっと一瞬反応を示すが敵は一直線に並んでいる。好都合だ。そのまま向きを変えずいっそう力強く大地をつかみ前と進む。
狼が目の前に迫ってきたところで、大口を開け牙を大気にさらして、完璧なタイミングだと思った時その牙で狼の体を嚙み砕く。
そう思われたが、大狼はぎりぎりで身をかわして、竜の体に沿うように懐に入り、跳躍。
竜の首にかみつき、ガキィィーンと音を鳴らした。
跳躍の慣性で首に立てた牙をナイフのように滑らしたが切れない。
そこに主の命令を察知して、竜の体を踏み台にしてもう一度跳躍。竜の横に着地した。
白銀竜は攻撃をしてきた狼に気を取られてそちらに顔を向けるが、すぐに向き直す。
「人間は?」
ついさっきまでそこにいた人間がいなくなっているが、音でどこにいるか分かる。狼の反対の方へと走っていくのが、鋭い聴覚によって判明する。目で見なくとも、その光景が浮かぶようだ。
人間とは皆こうだ。竜を目の前にすると逃げるように走り出す。
少しの猶予を与えてやろう。
「臆病者は逃げていろ!先にこいつを食ってやる!」
まだに自分のすぐ近くでたたずむ狼に狙いを定めて、尻尾による薙ぎ払いを食らわせる。
だが、絶妙な距離を保っている狼は数歩後退するだけで攻撃を避けた。
かなり高速の攻撃である。証拠に尻尾の先にあった木々は尾先の鋭さによって切断されている。
「面白い。いつまで避けていられる!?」
白銀竜には自分の攻撃が空ぶることに怒りはない。逆におもちゃを手に入れたかのように気分は高揚していた。
フィセラはちょうど白銀竜の背中が見える位置に隠れている。
白銀竜と山羊座の大狼の戦闘を距離をとって観察していた。
――さっきの音は鱗と牙の音じゃない、やっぱり硬いな。あのままじゃ、あの子はダメージを入れられない。
大狼が白銀竜の首へ噛みついた時に発した音は、生物同士の衝突で出来るものではない。
攻撃された側が無傷なのを見ると、白銀竜の鱗の方が硬度は高いらしい。
戦い方を考えなくてはいけないようだ。
すると、白銀竜がその場で足踏みをして体勢を整えた。
――尻尾。薙ぎ払い。下がって。
淡々と召喚獣へ思念を飛ばして大狼を動かす。
外から見る分には、竜の動きは手に取るようにわかる。
だが、このままでは避け続けるだけだ。
「はぁ~。これは意味ないことね。はやく「進化」させよ。そのあと私も一緒に出て行かなくちゃ……かな」
フィセラはアイテムポーチからなじみのある弓矢を取り出して構える。
現在のジョブは召喚士のままだが、使うだけなら制限はない。一部のスキルは能力値不足で使えず、ほとんどの攻撃は威力が下がっているが、今それは重要でなかった。
ぎりぎりと弓を引き絞り狙いを定める。
「まあ別に弓矢じゃなくてもいいんだけど、召喚士のままあそこに近づくのはちょっと怖い、よ、ね!」
フィセラの放った矢は戦場へとまっすぐ飛び、目標へと突き刺さった。
白銀竜は飛んできた矢の方向からフィセラの位置に素早く気付いた。
だが、そちらに攻撃を食らわせることはしなかった。
予想外の事態に、つい不意を突かれて思ったことを口に出してしまう。
「なんだ?なぜ撃った?お前の仲間ではなかったのか?」
白銀竜はフィセラに問いかける。
なぜこの狼に攻撃したのか、と。
<山羊座の大狼>はフィセラの矢に首元を刺され、体力を0まで減らして地に倒れている。
その瞬間、ある魔法の条件が満たされた。
<犠牲召喚・マルコシアス>
正義に属する平和の象徴である<山羊座の大狼>を犠牲にして行われる召喚魔法。
倒れた大狼の体が黒く変色すると同時に膨張していく。元の大きさの3倍ほどまで大きくなると背中から黒い羽根が皮を突き破りながら現れ、尻尾はうねうねと動いたかと思うとその先に蛇の頭があった。
地獄の大悪魔が闇夜に姿を現したのだ。
「ここからということか?いいぞ!」
白銀竜の余裕は崩れない。
だが、遊びは終わりだということは認識していた。
この黒い狼相手には、<戦う>必要がある。
マルコシアスが巨大化してもまだ白銀竜より小さいが、闇の大狼の牙は少し背伸びをすれば竜の首元に届きそうだ。
フィセラは木の陰に隠れながら命令を下す。
「そのまま戦っていなさい」
――マルコシアスは82レベル。山羊座の大狼を生贄にした召喚だから能力値が上昇してるはず。そう簡単に負けることはない。はあぁ~、私も準備しないとな。
フィセラはため息をつきながら、準備を進める。
竜種は体力が高いと様々な耐性を常時発動している状態になる。特殊攻撃が効くことはまず無いだろう。
少なくとも、アンフルにおいて戦闘開始時は竜の鱗はとても固く魔法攻撃さえ防いでしまうほどだ。
そのため、最初は傷をつけられなくても、物理攻撃で無理やり体力を減らす戦法が定石なのだ。
この白銀竜がそれに当てはまるかは分からないが、その戦法しか知らないフィセラには選択肢がなかった。
通常、召喚士が前衛の代わりとなる魔獣を召喚したら、その後は術士は後方から攻撃・回復・支援を行う。それが召喚士の戦い方であり、一人であるならそれしかできない。
だが、フィセラだけは別だ。
召喚獣に対する召喚魔法・強化魔法などの、効果が持続する魔法を発動したままでどのようなジョブにも転職することが出来るのだ。
<転職・戦士>
<換装>
戦士へと変更と同時に、ジョブに合わせた装備を身に着ける。
――アーマーを着けたいところだけど、とどめを刺すことも考えると……これが一番か。
フィセラがアンフル最後の瞬間まで愛用していた装備であり、全装備中最もバランスに優れた装備へと着替えた。
一言で表せば、漆黒。
胸に下げられている深紅の赤いクリスタル型の装飾がアクセントになっている。露出は少なく、目に見える肌は首から上と片方の手袋から見える指先だけである。
だが、ぴっちりと体に沿うデザインは女性特有のラインを醸し出しており、大人の魅力を持っている。
フィセラはアイテムポーチからは大剣を取り出して、十字に空を切り、具合を確かめる。
「準備完了!」
フィセラは影から出ていき、戦場へ向かおうとして歩みを止める。
今まで身を隠しながら見ていた、魔獣2匹の戦闘を正面からとらえたのである。
強大な白銀の竜とフィセラと似た漆黒の大悪魔の激しい戦闘が繰り広げられていた。
若干、大悪魔・マルコシアスが押され気味だが、紛れもない怪獣同士の戦いだ。
フィセラは右手に視線を落とす。そこには見事な大剣があり、切れ味に関係なく相手を粉砕しそうな重量を感じさせる。
続けて左手に視線を落とすと、そこには何もなかった。
ポーチをもう一度開く。
ゆっくりと左手を持ち上げてアイテムポーチから、フィセラの体を覆い隠せそうな大きな盾を取り出した。
「けがはしない方がいいもんね」
決して怖い訳ではない。そう自分に言い訳をしてから、また前に歩き出す。
フィセラの職業は「放浪者」。
特定のジョブを持たずに、様々なジョブへと転職することができる。
その代償にフィセラは全力が出せない。
全力とは、120レベルの戦闘だ。
フィセラも120レベル。最上位プレイヤーではあるが、決して最強ではない。
何にでもなれる代わりに転職できる職業のステータスが、大幅に下がってしまうのだ。
フィセラの単純な戦闘力を計ると、およそ100レベル。
アンフルでは、フィセラは120レベルのプレイヤーには全体に勝てない。
110レベルのプレイヤーは怖いから戦わない。
だが、100レベルなら勝てる。
フィセラは断言するだろう。
100レベルなら絶対だ。