紅い猪(3)
猪の姿をした魔獣・レッドボアのレベルは62レベル。
レッドボアは特殊なスキルや魔法に力を割いていない。
それもあって純粋な脚力は、120レベルのフィセラをわずかに抜いている。
フィセラが自身の足で追っていたら捕まえることはできなかっただろう。
召喚獣・山羊座の大狼を呼び出したのは賢い判断だと言える。
そして、フィセラが知ってか知らずか、山羊座の大狼もレッドボアと同じ62レベルで召喚されていた。
こちらも同じく能力は純粋な身体能力に頼っている。
だが、レッドボアがパワーであれば、山羊座の大狼はスピードに能力の重きを置いている。
大狼がその力を発揮することで、フィセラ達は難なくレッドボアの背中に追いついた。
「さあて、どうやって倒すか。あとで村人に渡すんだから、あんまり傷つけちゃダメだよね。弓矢の攻撃じゃ時間かかりそうだし、スキル使うと威力が高くなっちゃう。それじゃ、スキル無しの力押しで、攻撃は少なく……よしやるか」
フィセラはレッドボアの後方20メートルを保ちながら、あとを追う。
山羊座の大狼の背に乗りながらフィセラは準備を整えていた。
<転職・投擲者>
投擲者とは、本来は戦士系統をメインジョブとして収めたプレイヤーが習得できるサブジョブなのだが、フィセラはそんな職業でも自身のメインジョブへと転職させることが出来る。
サブジョブでは到達するはずのないレベルへの転職。
それもあって、持っているのは平凡なサブスキルのみ。だが、能力値は投擲に特化した100レベル相当のものになっていた。
その値は確かに、投擲という戦闘方法だけで十分な力になっていた。
<投擲槍生成>。
アイテムではなく、スキルによる武器の創造。
限界突破したレベルアップにより、このスキルは初期所持数と残数補完のクールタイムによってほぼ無限生成が可能となっている。
このスキルの他にも、様々な魔法的効果のある槍をつくれるが、威力だけで考えればこれで十分なはずだ。
というより、この魔獣の死体を村に持って帰ったときに傷跡からどんな力で殺したのかと聞かれる方が面倒だと考えての選択である。
フィセラが槍でレッドボアを仕留めることを察知した大狼は、主人が戦いやすいようにゆっくりとレッドボアの背後に近づいていく。
既にレッドボアは、フィセラが背後にいることに気づいて全力で逃走中だ。
なかなか安定した場所をとれなかった。
フィセラはまだ構えずに絶好の機会を伺っている。
――もう少し前に……そう。
良い位置を探しているフィセラの考えを読み取って、大狼もレッドボアをとらえる位置を微妙に変えていく。
レッドボアから左に15メートルやや後方。
フィセラは槍を逆手に持ち替えて、頭上へと持っていく。
「動かないでね~、うお!」
その瞬間、ズザザザッと大狼が地面を滑りながら急停止を行った。
「……え?」
ぽつんと1匹と1人が残される。
緊急事態であれば思念で伝えてくるはずなのだが、下にいる大狼はピクリとも動かずに黙っている。
フィセラは不審に思い、背中から身を乗り出して顔を覗き込む。
「あの~?」
大狼の目だけが動き、フィセラを眼球に映す。
――動くなと言ったろう。
命令通りだろ?という思念が伝わってきた。
「…………」
これにはフィセラも思考を停止してしまう。
フィセラの命令を聞くプログラムではない。
フィセラの「言葉」を聞いて、召喚獣が自ら「判断」したのだ。
「い、いや確かに、動かないでって言ったよ。でもあれは揺れないでとかそのままでって意味でさ~……いや!そんなのどうでもいいの!追って!早く!」
やれやれ、という感情が伝わってきたが、それが行動に出ることはない。
大狼は再度風のような速さでは走りだし、瞬く間にレッドボアに追いついてしまう。
フィセラは召喚獣との関わり方に不安を感じるが、ひとまずは獲物を狩り終えることを優先する。
「さっきと同じところに行って、あいつの左側!近づいたらそのまま投げるよ!」
大狼は先ほどと同じように斜め後方から近づいていく。
レッドボアとの距離が10メートルを切った。
フィセラは体をねじる。なるべく力が乗るように、槍を目いっぱい後ろに持っていくと、構えた投擲槍を力いっぱいに振り切った。
するとレッドボアの向こう、反対側の地面に衝撃が起こり土埃を立たせた。
あの距離で外したのか。
フィセラ自身困惑していた。
「あれ?……あれー?」
あらぬ方向へ飛んで行った槍を探し、一瞬レッドボアから目を離してしまった。
フィセラはすぐに前方へ向き直るが、レッドボアがいない。
まさかと思って後ろを見ると、レッドボアが急減速を行いフィセラ達の後方に出ていた。
レッドボアはそのまま方向を変えて逃げていってしまう。
「チッ。器用な真似を。こっち!」
フィセラは舌打ちをしながら、左に体を傾けて大狼の体を引っ張る。
それに従って大狼も急旋回を行う。
また距離を離されてしまった。
フィセラには槍を外した後悔が生まれる。
――外した?あの距離で?……当てたと思ったんだけどな。アンフルで使ってない能力じゃ、こっちの世界でも慣れてないのかな?
自分の持つ能力の把握はしている。だが、すべて公平に使用しているかは別だ。
ただ持っているだけの職業はいくつもある。
料理人や投擲者のように。
フィセラはすかさず次の投擲槍を創造し右手に持つ。
ほんの数秒であっけなくレッドボアと並走することになり、フィセラはあることに気付いた。
レッドボアのさっきまでの勢いが消えており、速度もかなり遅い。
残っている力をすべて使って走っているようだ。
さらに、走るたびに体の側面から赤い液体が噴き出している。まるで体に穴が開いてしまったみたいに。
そんな傷があればフィセラは先に気づいている。
つまりこれは出来たばかりの傷。
確認のために、側面から近づいて目を凝らす。
――あー貫いちゃったのか。私が強すぎってこと?へへへ。
フィセラは不気味な笑みを浮かべる。
彼女の放った槍は、外れたのではなくレッドボアの体を左から右へと貫いていたのだ。
その証拠に、レッドボアにできた風穴から噴き出る血液が、背後に残していく足跡の少し外側に赤い線を二本作っていた。
――血が全部抜けたら体絞んじゃうかな?それじゃ食べるところ減っちゃうじゃん。
いい塩梅に血抜きが出来ているのだが、血が抜けて体重が減るということも正しい。
早く決着をつけるため、レッドボアに槍の先を定めようとするが少し構えにくい。
フィセラ達は今レッドボアの右側に移動していて、右手で槍を投げるフィセラは体を変にねじらなくてはいけなくなり安定できなかった。
「投げにくいな。向こうの方がいいか」
突如、浮遊感がフィセラを襲う。
大狼がいきなり、跳躍を行ったのだ。
それも、レッドボアを飛び越えて反対側に行くための大きい跳躍である。
現在、双方とも最初の速度と比べるとかなり遅い速度で走っている。
後ろに下がって再び並走するには無理に速度を落とす必要があった。
当然、前に出れば、レッドボアが進路を変えてしまう恐れがある。
だからこそ、上から行くのが最適と召喚獣自身で判断したのだろう。
空中から魔獣の頭を見て、あるイメージがフィセラの脳裏に浮かんだ。
「フフッ、ちょっと容赦ないかもだけど許してね」
前方に目を向けるとちょうどいいタイミングで倒木があった。
フィセラはそれを指さして命令を下す。
「アレを使って今みたいにジャンプして。あいつの上を飛び越えるぐらい高く」
フィセラは、大狼から了解の意を感じ取り手に持つ槍を強く握った。
レッドボアは痛みに耐えながら走り続けている。
フィセラ達に正面から立ち向かっても勝てないことは知っている。
ならば、逃げ続けるしか生き残る方法はない。
ただひたすらに走る。この魔獣はそれしか逃げ方を知らなかった。
レッドボアが倒木の横を通り過ぎる。
すぐ後を追うフィセラ達はレッドボアの背中から少しずれて倒木へと向かっていく。
大狼は倒木を踏み台にしてレッドボアの上に飛んだ。
ちょうど、魔獣の真上。
妙な浮遊感と集中力が、時間がゆっくりと進めた。
フィセラは大狼の背中から乗り出して、槍の先を真下に構える。
狙っているのは後頭部、人間で言えばうなじのような位置だ。
そこに、反動で自身の体が浮くほどの力を込めて、一直線に突き刺す。
槍はレッドボアの首を貫き、さらに地面に深く突き刺さった。
体のど真ん中に槍を通されたレッドボアは、地面に杭で打ち付けられ急停止。
まるで壁に激突したかのように、体はゆがみ、慣性により後ろ側の体も前に進もうとするが、阻まれた体は上に跳ねあがった。
対して、大狼は優雅に着地。標的から円をかくようにゆっくり動き、決して目を離さない。
フィセラも同様に、魔獣の最後から目を離さない。
レッドボアにはもう意識はない。心臓の鼓動が徐々に小さくなっていく。
そうしてゆっくりと時間をかけながら、死へと近づいて行った。
「死んでも槍消えないと思ったら、なんかいきなり消えたね」
フィセラは魔獣の頭に突き刺さっていた槍をずっと見ていたが、魔獣が動かなくなっても消えないため不思議に思っていたのだ。
この世界では消えないのかと考え始めたところで、槍は塵になって消えていった。
「スキルで作った武器が目標に刺さると、目標の死亡と同時に消えるはずだから……ちょっと息があったのかな?この方法は使えるかも?まあいいや」
難しい戦法は覚えられないフィセラであった。
フィセラは大狼の背中から降りて、魔獣に近づいていく。
「どうやって村まで持ってこう。なんとかなると思ってたけど……持ってけるかな?これ?」
フィセラは後ろで控えている大狼に振り返るが、返答は帰ってこない。
代わりに、大狼がそりと動き出し魔獣の首を口でつかみ引きずっていく。
命令していないことをいきなり行い始めたため、フィセラはあっけにとられたが、持っていく方法が見つかった。
――これなら、もう一匹召喚したら楽に……いや。
フィセラは召喚獣をそこまで道具のように使いたくはなかった。
「一緒にもってこうか」
森に大きな跡を残しながら巨大な魔獣の死体を引きずっていく。
二人がかりだと意外と速度は出ていた。
それでも、かなりの距離を走って来たから、森の出口にたどり着くまでは時間がかかるだろう。
外で持っているソフィー達が心配しだす前に戻る必要がある。
フィセラは、自身のジョブを戦士へと変更して、力いっぱいにレッドボアのむくろを押して進む。