エピローグ・双星
ゲナの決戦砦。一般居住ステージ。
この世界の転移時、砦のすべてが大山に覆われてしまい、このステージを地上と呼ぶことは出来なくなった。
だが、アイテムによって造られた太陽と空がここで暮らす数多くのNPCの暮らしに昼と夜を与えていた。
ギルドとして大々的に動くことの無い今、彼らは何をしているのか。
1つの町を形成するステージの住人は、想像よりも忙しく働いていた。
この異世界で彼らのスキルやアイテムは使用できるのか。
あるいは、この世界の素材や知識がアンフルのそれとどれほど違うのか。
検証、調査、記録。
拠点の転移から数か月が経とうとする今日でも、暇を持つNPCは居なかった。
大山の天井から太陽が消え、真っ暗な空に星がきらめく時。
そんな時間でも、住居ステージの大通りから人やそれ以外の往来が途絶えることは無い。
そんな人の列を上手く避ける1人のダークエルフがそこにいた。
「これで取り調べが終わり<俺>は自由の身か。ただし、地獄のただなかでな」
ミレ・ダイヤメッキは緩やかな下り坂になっている通りを迷うことなく進んだ。
明確に目的地があるようだった。
すぐ、と言うより、その目的地はすでに見えていた。
ステージの中でも、ひと際巨大な建築物。
食堂である。
彼女が巨人でも身を屈めることなく入れそうな入口に向かおうとした時。
「通ります!通ります!とーりまーす!」
子供の声が聞こえた。
それもいくつもの声が重なってだ。
おっと、とミレは足を止めてその子供たちに道を開けた。
小さなものから、中ぐらいのものまで、数多くの木箱を持った子供たちがミレの前を駆けていく。
そうした運搬が仕事のNPCなのであろう。
全員の顔が全く同じだということにさえ目をつむれば、砦の中では平凡な方なNPCである。
「ここでの仕事か。俺はこれから…………」
子供たちが通りすぎたことを確認したミレがようやく食堂に入ろうとした時、地面が揺れた。
地響きと一緒に鳴るのは、ドスンドスンという足音だ。
ミレはすぐに振り返ったが、その音の主はもうそこにいなかった。
それは、上にいた。
大森林で会ったジャイアント族よりも大きな巨人がミレをまたいでいたのだ。
そして、その巨人も木箱を背負っていた。
子供たちの持っていた木箱をすべて入れ、そこに子供たちも加えても空きがありそうな大きな箱だ。
「あれが物を運ぶためだけのNPC?戦う奴らは間に合ってるってことか」
ミレはついに食堂の中に入った。
入口から少し歩くと、また立ち止まった。
止められた訳ではない。
ある人を探しているのだ。
そして見つけた。
百年の成長を共にした褐色肌のダークエルフを。
「遅かったですね、姉さん。ずっと待っていたんですよ」
「それは、すでに食い始めてるやつの言葉じゃねえな」
マルナ・ダイヤメッキは食堂の端の席に座っていた。
机には緑色ばかりの1枚の大皿と小さな皿が2枚置かれていたが、その内1枚はもう空であった。
「俺も持ってくる。今日は……あれにするか」
ミレが食事を持って席に戻った。
すぐにマルナが彼女の手にある料理を問う。
「サンドイッチだ。ハンバーガーって言われたけどな。旨そうだ」
「お肉ばかりですよ。野菜も食べてください」
あの日から3日。
4度以上も繰り返された姉妹の会話だった。
ミレが23の首を持ち帰りすでに蘇生されたマルナと再会した時。
その瞬間の会話をミレは思い出した。
「行ってもいいわよ。聞きたいことはマルナから聞けたから」
「……何故だ?」
「なぜって、何が?あなた達をここに縛る理由は無い。それに開放する条件は出すわよ。私やエルドラドの名前、カル王国の名前さえ届かないずっと遠くに行くこと、…………次は手加減しないわよ」
「無理だ……行けない。カル王国の行く末を見届けなくっちゃいけないんだ」
「どうして?英雄として責務?何を背負うのかは自由だけど、身の丈に合ったものにした方がいいわ。じゃなきゃ、……またこうなる」
「いいや、責務を果たせなかった愚か者の罰の話さ。俺たちは…………お前の部下になるよ」
ミレはハンバーガーと一緒にもらったリンゴジュースを飲む前に呟いた。
「あの時のフィセラの顔…………絶妙に嫌そうな顔をしやがって」
そう言って、ガラスのコップに口をつける。
「甘いな、森のリンゴじゃない」
そう言って、適格に素材を当てるミレ。
彼女にマルナが話しかける。
ミレがいつのなんの話をしているのかは理解していた。
「この世界で強さを誇った私たちの力はここでは無価値です。部下にしてもらっても、何をすればいいのか」
「分からん。命じられればするだけだ」
「何をするにしても、ここには私たちより適任な人たちが沢山いそうですけどね」
その言葉にミレは言い返すことが出来なかった。さらに口にしたマルナも黙ってしまう。
そうして黙々と、時折料理の感想を口にするだけの食事を続けた。
「美味しいですね。料理人の腕でしょうか、人ではありませんでしたけど」
「これは技術じゃない。素材だ」
「確かにどのお野菜もきれいな色ですけど」
「厨房をみてたが、調味料が何十とあった。人生で塩や砂糖さえ食べられない村人もいるだろうに、もはや文化の違いじゃない。これは…………世界の」
そうやって、2人は食事を続ける。
周囲の目に慣れ、周囲の者たちも彼女たちを知った。
落ち着いて食事が出来るようになった頃だが、1つだけ慣れることの出来ないことがあった。
「おい!残った食糧は全てチェンジボックス行きだ。欠片も無駄にするなよ。なんの食材が何に変わるかまだ分からんからな。注文された料理の記録もつけとけよ。食べる奴がいないなら、材料は用意しないぞ。……あ?唐辛子系の消費が少ないから減らしたい?激辛は俺が食ってんだろうが!」
頻繁に現れるエルフ。赤い髪に黒い魔女のドレスを着た<ステージ管理者>だ。
そして、時には。
「こちらが大森林の食材で、こちらが農場の食材ですか。やはり味の違いは出ますね。調味料を変えれば味を誤魔化せますか?あまり良くないですが、そうしましょう。これなら森でも取れない野菜や薬草へのリソースを増やせます。え?<キノコだけ鍋>も減らせる?それは森のエルフの好物なんですよ。なくしちゃいけません、……ベカちゃんも食べてるでしょ?」
料理人のエプロンとは違う、外での作業用のエプロンを身に着けたエルフ。
常人なら背負うほどの長剣を自然に腰に佩く長身の<ステージ管理者>である。
彼女たちの前では、英雄などと呼ばれたことを恥にさえ感じるだろう。
それほどの超越者たち。
そして、自分達を殺した者たち。
彼女たちを見かけるたびに、ミレとマルナは食事を止め目立たぬように息を止めていた。
その後、落ち着くと2人は席を立つ。
だが、この日は管理者が姿を現さない日だった。
そのため、いつもよりもほんの少しだけ多く会話をする時間があった。
「カル王国はどう動く?」
「誰かのおかげで、とは言いませんが。今頃、王都は戦々恐々でしょうね」
「すぐに軍が動くだろうな」
「分かっていたのですね。驚きです」
「…………もう止められない。これ以上は何をしても状況をよくする手は無い。悪くなる一方だ。なら、すぐに終わらせた方がいい」
「ええ」
「……戦争が始まるぞ」