双星(3)
ミレが覚えていないと言いながら、事あるごとにマルナへ聞いていた依頼人達の名前。
殺意さえ込められながら羅列したその名前と、かぼそく消えて無くなりそうな命乞いは、確かにフィセラに届いた。
だが、返事が来ることは無くミレの声は広場に消えていく。
フィセラは黙って彼女を見下ろしていた。
ミレがまだ地面に膝をついたままだったからだ。
だが、少し、ほんの少しだけ、ミレを見下してもいた。
命乞いとは少し違う。もしかしたらそれよりも質の悪い願いを乞われたのならば仕方ないだろう。
――他人の命と引き換えに妹を……、なんてことは言わないわよ。有象無象の十や百、千や万、億だろうと、大切な1人とは比べることも出来ない。
下に見るとは言っても、軽蔑や侮蔑の意味ではない。
敵と見なしていた相手にほんの少しの親近感を覚えたのだ。
より身近で、理解できる弱さを目にしたのだ。
――まあ、たった一人のために何をした!選手権があれば私の方がヤバイだろうし。
顔に出ぬようしてもフィセラの雰囲気を和らぎ、瞳に優しさが宿ろうとした瞬間、そこで止まった。
――でも、いいよの一言で終わらせられる?何があっても戦うって言ってたのは忘れろって?ここまで派手に歓迎したのにこれが結末?
フィセラは感情の読み取れない冷たい目でミレを見た。
――それが受け入れられないなら……殺すの?妹の命を乞うミレに、この斧を振り下ろせる?私に出来る?
視線の交錯では埒が明かないと思ったのか、ミレが耐えきれずに声を荒げた。
「マルナの蘇生ぐらい簡単だろ。今日何度もやったんだろ。出来るんだろう?フィセラ!」
「…………ええそうね。出来るわ」
フィセラは事も無げにそう答えた。
ミレの問い。自らの問い。
2つの問いに答えは1つだったのだ。
――出来る!どっちも簡単よ。じゃなきゃ、馬鹿みたいに魔王だなんて呼ばれてない。
「……なんて頭の中で何を言っても意味は無いわね。2人との決着をすぐにつけず、アイテムの試験だとか言って遅らせた時点で答えは決まってるか」
フィセラは湿ったため息を吐いた。
肩の力を抜いて、斧はガツンと地面に下ろされる。
自らの決断した結果に対して不服そうに唇を尖らせながら、フィセラはミレに聞いた。
「で、何日かかるの?」
ミレはまだマルナの蘇生が出来るかどうかを聞いただけだ。
それをやるかどうかの答えはまだ聞いていなかった。
だが、フィセラからのこの問いは、それらの問答をもはや必要しないことを意味していた。
それを理解したミレはカル王国の地図を思い浮かべる。
23人の家の位置。彼らの行動範囲や法則。
休み暇なく走り続けたとして、誰だけの時間がかかるか。
数秒の後に、ミレは答えた。
「5日、いや……4日だ」
計算が示した数字は5日であったが、フィセラの顔色を窺いながら彼女は答えを変えた。
「そ、じゃあ4日ね」
容易く行われる非道。
だが、否定をしてもよいのか。ミレには分からなかった。
今はただ頷くことしか出来なかった。
4日で23人の権力者を暗殺。
それはミレにとって不可能では無い。
問題はいつからの4日かと言うことだけだ。
フィセラを知る者ならそれは明白であり、ミレもわかっていた。
カウントはこの瞬間からもう始まっている。
ミレはすぐにでも出発したい。
マルナの命がかかっているのだから当然だ。
だと言うのに、彼女がまだ立ち上がれずにいるのは、そのマルナを置いていくことができずにいるからだった。
「マルナの蘇生は、いつ」
「あなたが言ったんでしょ。首を揃えたらって、誰の首かは知らないけど」
ミレの態度は大森林に来たばかりの頃とは全く違っていた。覇気を失い、地についた足は鉄のように重そうだった。
「俺は絶対、必ず約束を守る!だからマルナをいま」
フィセラは気丈に、且つこの戦いに「負けた者」としての慈悲を持って応えた。
「あなたが必ず約束を守るなら、私も必ず約束を守るわ。ただの<フィセラ>として……、意地悪は無しでね」
魔王フィセラならば敵に対して冷酷無慈悲であっただろう。
だが、フィセラはもうすでにミレを敵と認識していない。そして、魔王であることもやめていた。
この瞬間、魔王であり続けることが出来なかった。それが、自らに向かってきた2人を生かす、と言う敗北の結果なのである。
「太陽は逆には昇らないわよ」
突如フィセラがそう言って城門へ顔を向ける。
ミレはそれに誘導されて開け放たれた門の外の景色を目にした。
空が燃えている。そんな色をしていたのだ。
夕焼け。じきに陽が落ちる頃合いだった。
「……4日よ」
その言葉を受けて、ミレはようやくマルナの頭部をそっと下ろし胴体の傍らにゆっくりと置いた。
「すぐ戻る」
それがフィセラに向けて言ったものか、マルナに対してだったのかは分からない。
この時すでに彼女の視線は行く先へ向けられたからだ。
ドンと地面を蹴る音が鳴り、ミレは赤い軌跡を残しながら門へ駆けていった。
その赤はマルナの頭部を抱いた時に着いた、彼女の血の色だ。
ミレに付着した血が超高速の移動によって霧散し赤い残像を残した。
赤い軌跡がゆっくりと消える頃には、彼女は<ゲナの決戦砦>の中にはもういなかった。
この瞬間、階段を下る時間も惜しいミレは大山から飛び出し、大森林の空を舞っていた。
夕焼けに消えていく褐色の小さな人影。
その景色はあまりにも美しすぎた。
これから流れる血を、カル王国に起こる悲劇を、英雄の悪行を、忘れ去れるほどに。