双星
数年後。
…………いや、数十年後だな。
シン・ダイヤメッキ。
このおっさんの下で色々やった。
猿の血から毒を作ろうとした医者を探したり、戦場に紛れ込んだ敵国の工作員を捕まえたり、その敵国で英雄と呼ばれている大戦士と戦ったりもした。
おっさんが爺さんになっても戦争は終わらなかった。
ようやく終わりが見えたのは、爺さんがかなりの爺さんになった頃だった。
「猿の死体を山のように積み上げても、最後まで魔王の死体を見つけることは無かった。お前たちの両親の仇を討つことが出来なかった。すまないな」
ベッドに寝た爺さんの体は小さかった。
ベッドが大きかったってのもあるが、あの日あった時よりも小さいのは確かだ。
「どうして謝るのですか。シン様のおかげでこの国は平和を取り戻しました。それに、私たちの手で直接魔王を討てる機会が残されたと思えば、怒りはありません」
爺さんの隣に座り皺だらけの手を握るのはマルナだ。
俺はベッドの正面に立って、それを眺めていた。
「いいや、私はお前たちにひどいことをした。お前たちを自由にさせることが出来たのに、その手を血に染めさせてしまった。剣を握らせ戦わせた。本当に……すまなかった」
「馬鹿が……、血なんざ洗えば落ちる。下らねえこと気にするな」
「…………出ていきなさい」
「え?ま待てよ。怒ったのか?馬鹿って、そんな本気で言ったわけじぁ」
なんて謝ってみたが、爺さんの目に怒りの色は無い。
そんなものある訳が無かった。
「私が死ぬ前に行きなさい……」
「…………行けって、どこへ?」
「どこへとも、行けばよい。お前たちの人生だ。果てしなく長く素晴らしい人生だ。……好きに生きなさい」
俺たちには父さんと母さんがいた。
本当の親がいた。
だから、この爺さんを……爺さんになるまで育てくれたこの男を父だと思うことは無かった。
だが、その逆があったのかもしれない。
「私の小さなの望みを聞いてくれるのなら……、いつの日か帰ってきなさい」
「あんたはもう」
「私のためではない。お前たちが成したことを知るためにだ。この国を、この町を、どれだけの人々を守ったのかを。闇の中で手を血で汚したとしても、その行為が他者のための正義で行われたのならば、お前たちの行く道はどこまでも、はるか先の未来までも…………、光のもとにあるのだ」
「ああいつか、帰って来るさ」
そうして爺さんはゆっくりと目を閉じた。
とても、幸せそうにだ。
「眠るように逝ったな」
「……やめてください!本当に眠っただけですよ」
「…………しぶといな」
その後すぐに俺たちは町を出ることにした。
急ぐ理由は無かったが、やり残したことがあった訳でもない。
それに旅の準備は出来ていた。
精神的に、物質的にも。
「シン様は私たちに金貨を残してくださいました。それにダイヤメッキの名前の通行手形もあります。これなら国内のどこにでも行けます。出国も容易でしょう。どうしますか?」
爺さんの屋敷の前で立ち止まったミレはそう聞いてきた。
俺はその問いに答えられなかった。
「金貨はお前が持って行け。俺はテキトーに」
「やめてください姉さん。……………………一体何を言っているのか?と私が聞いて、姉さんはここでお別れだと言って、どうして?と私が聞いて…………。そんな言い合いをここでしますか?」
俺たちは姉妹だ。
ずっと一緒に生きてきた。
互いの考えなんて、自分の考えと同じほどに理解できる。
だから、嘘やごまかしは必要ない。
「お前はどこかで……お前らしく生きろ。手先が器用だから何でもできるだろ」
「自分の武器の手入れしか出来ませんよ」
「本が好きだろ?ほら!爺さんが言ってたろ?エルフが百年以上書いてる小説があるって、だからお前も」
「読むのが好きなだけです。書きませんよ」
「……」
この旅は「冒険」じゃない。
安全なんてないし、そんなものに浸かるつもりもない。
だから、ミレは連れていけない。
お前はどこかで生きていればそれでいいんだ。
どこで何をしてるか?誰と会って、どんな人生を生きてるか?
そんなことはどうでもいい。
どこかで、生きてる。
そう思えるだけでいいんだ。
だって俺は……、俺はたぶん耐えられないから……。
ただ一人の妹を、最後の家族を目の前で失ったら、俺は壊れてしまうから……。
なのに……、いいやだからこそ、お前はああ言ったんだろう。
俺のことを解ってるかのように。
「姉さんを1人にする訳ないじゃないですか。だって、本当は寂しがり屋で、二人一緒じゃなきゃダメダメなんですから」
100年。一緒に生きた誰かが自分の腕の中で死んだら、何を考える?
誰かが言ってた。
思い出が蘇るって。
あふれるほどの記憶が頭と胸に蘇るって。
そんなのは嘘だったな。
五感は今に縛られる。
腕に抱かれる妹から血の気が引いていく光景。
ついさっきまで血の中にあった体温が消えていく。
俺とは違うミレの匂いが血の匂いに覆われる。
こんな時に過去の思い出なんて出てこない。
心にあふれるのは感情だ。
100年分の感情だけが、正しくあろうとする俺のこころを圧迫する。
喜びが、怒りが、哀しみが、楽しかった。ただその感情が押し寄せる。
俺の心を壊すんだ。
「だめだダメだ!マルナ!起きろ!フィセラが来るぞ、早く立て!戦わ……逃げるんだ!ああ、もういい逃げよう。なあ、おい。マルナ!……クソクソクソくそが!俺が悪かった!フィセラの正体に気づいていれば、魔王だって分かれば。そうだ、魔王だ。あの猿と同じ魔王だ。いつも魔王だ!全部あいつらが悪いんだ!どうしろっていうんだよ!強くなったのに何もできなかった、意味が無かったのか?これまでの人生はなんだった?いいことをしようと頑張った!あの吟遊詩人が俺たちを英雄だと言った。そうあろうとした。だから、カル王国の問題も解決しようとした。解決できると思った!ただの種族間の問題だと思ったんだ。何も知らない少数種族に、自分たちが正しいと疑わない王国。よくある話だ。そんな国を何度も見てきた。コントロールできると勘違いする貴族共!こいつらもそうだ。同じような奴らはどこにだっている。この国もそうだった。…………依頼をしてきた。受けたのが間違いだったんだ。大森林の利権や巨人の価値を、自分以外の誰かが持つことに我慢できない強欲な豚が!馬鹿みたいに依頼をしてきたから!それに、奴は……あの男は……気づいてた。魔王の存在にうすうす気づいていたはずだ。少なくとも何かがいるって分かってたはずだ!それでも俺たちをここへ送った。俺たちじゃない、これが違う…………そうだ!これは、今日のことは、お前がこうなっちまったのは……」
あ~、俺がここに来るまでに言ったすべての言葉は忘れてくれ。
じゃなきゃ俺がバカみたいだ。
だってこの言葉は、あまりにも、子供じみていて無責任でわがままだ。
「全部!あいつらのせいだ!」