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最悪の魔王を誰が呼んだ  作者: 岩国雅
黄金を求める冒険者たち、饗宴と死闘の果てに
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双星・回想(2)

「……ふ、2人ともこっちに来るんだ。ほら」

「ふわぁ~。なんか天井から落ちてきた」

「ああ分かってるよ。怪我は……、無いか」

「なあにあれ?」

 母さんに抱きしめられたマルナが寝床の上に転がる獣を指さした。

「あれは、サル?」


 俺もマルナもこの時はサルを知らなかった。

 この森にいない動物だったから。

 だが、母さんは知っていた。と言っても、本で知ったかどこかで聞いたか。

 その程度だ。


 猿の身長はこの時の俺よりも頭3つ分は大きく、手足だけで言えば倍はあった。

 形は人と同じだが、黒い毛が全身を覆っており、異様に目が大きかった。


 猿の本当の姿を知らなくても分かる。

 こいつはモンスターだ。


「お前たちは逃げるんだ。森を真っ直ぐ走れば外の町が見える。そこまで行けば……」

 そこまで行けば安全だ。

 父さんはそんな適当な言葉を言えなかった。この猿どもの本当の恐ろしさを知っていたから。

「あなたは?」

「分かるだろ……、2人を頼むぞ」


 父さんと母さんの会話をよく聞けば、ことの重大さぐらい理解できただろう。

 だが俺たちはこの時、そんな話が耳に入る状態じゃ無かった。


 俺とマルナの瞳に映る赤い縦の線。

 それは薄っすらと開けられた窓から覗く、向かいの家から上がる火。

 この頃の身長では向かいの家の屋根しか見えなかったが、それで十分だった。

 燃え盛る屋根からゆっくりと、とてもゆっくりと「手」が現れた。

 黒い輪郭しか見えなかったが、間違いなくあれは5番の指がついた手だった。

 何かを掴むでもなくただ広げられた手が屋根の上を超えてさらに上がっていった。

 不気味なほど真っ直ぐにだ。

 それが1メートル、2メートル、3メートルと上に伸びていく。

 腕の関節がないのか、炎の影となったそれには突起も曲がりもなくただただ真っ直ぐに上を目指していた。


 それが突如、腕を折り曲げて手のひらが屋根をしっかりと捉えた。

 その動きの先は明白だ。


 何かが登ってくる。

 生物のものとは思えない手の持ち主が、来る。


 マルナが窓を指差した。

 隙間から覗く向こうに浮かぶ赤い2つの球体。

 それは闇の中で火を映す、邪悪な猿の瞳だった。


「逃げろぉ!」

 それが最後に聞いた父さんの声だった。

 父さんは俺たちを廊下の奥にある裏口へ押した後、黒い毛に覆われた何かに押しつぶされた。

 それがさっきの猿の腕だと気づくには時間がかかったよ。

「走って!速く!」

 父さんの代わりに、声を荒げる母さんに追われるように俺たちは裏口から外へ出た。


「父さんは!?私たちどこに行くの!?」

「いいから!走りなさい!」

「マルナ行くぞ!」

「ミレ。くねった3本木の場所分かる?……その向こうにある洞窟は?そしたら……昔ハチの巣を取りに行った大きな木は?そこまで行ったら太陽が昇るわ。太陽を追いなさい」

「わかった!……母さんは?」

「私も一緒に……!」


 その時、離れた場所から誰かが走ってきた。

 向かう先は俺たちの方ではない。俺たちと同じように森へ逃げようとしていたのだ。

 距離が近くなって分かった。村の知り合いのおっさんだ。

 だが、彼は足を引きずっていてその歩みは遅かった。


 そして、彼の背中に触れようとするいくつもの猿の手もそこにあった。

 

 あの腕の長い猿とは違う。

 小柄な猿たちだ。

 そいつらは俺たちにもすぐに気づいた。

 そして、真反対の方向や家の屋根にも小柄な猿が姿を現し始めた。

 大群ではない。だが、追手としては十分だ。


「ハァッ……ハァッ……ハァッ……、逃げなさい」

「え?」

「走りなさい!」

 

 怖い。母さんが初めて怒鳴った姿を俺はそう感じた。

 そしてそれが、最後の姿だった。


 母さんは走る俺たちに目もくれず、足を引きずるおっさんの所へ駆けて行った。

 助けに行った訳じゃない。

 もう既に猿共に捕まって頭をかち割られてる。

 母さんが目指したのはおっさんの肩に掛けられていた弓矢だ。今は地面に転がるそれを母さんを素早く取り、構える。


「矢は4本だけ……、足りる!」

 

 母さんは自分に迫る猿の数は数えなかった。

 あの人は俺たちの背中しか見ていなかった。


 森に逃げ込む俺たちを追い掛ける猿に目掛けて、一射。

 淀みない動作で2射目。

 2体の猿がほぼ同時に倒れ込む。頭には矢が突き刺さっていた。

 残りの矢は2本。

 母さんは最後の猿に3射目を放つために構える。

 自分に向かってくる猿はもはや意識の外だ。

 3射目。

 母さんは俺たちを逃すために死ぬつもりだ。

 それに、たった1本残った矢で何ができる?


 その時、随分と離れた場所から俺たちを追いかけようとする1体の猿がいた。

 

 最後の1射、迷う事なくそれに矢先を向けた瞬間。

 猿共の投げた石礫が額に直撃した。

 加えて、母さんに直接触れる猿もいた。

 太腿に爪を立てるだけで肉は裂かれ、母さんは立っていられなかった。

 額から流れる血が視界を覆う。

 暗闇の中で猿の姿を追う事はもう出来ない。

 

 それでも、母さんは構えを解かなかった。

 猿を見失っても、分かるものがあったからだ。

 2人の娘の息遣い。

 足跡を。なびく髪の毛を。何度も補修した服の擦れる音を。高鳴る鼓動を。

 ならば後は、その娘達の背中に近づく獣を撃ち抜くだけだ。

「いつまでも……生きて」

 その声は猿共の乱れた吐息にかき消された。

 だが、風を切って飛ぶ矢は正確に最後の猿を射抜いていた。


 ……こういう時、親ってのは最後の言葉を残すものなんだろうな。

 だが、母さんが俺たちに言った最後の言葉は、走りなさい、だった。


 こんなに嬉しいことは無い。

 こんなに誇らしいことは無い。


 母さんが最後を悟った時、俺たちの瞳を見た時、頭の中にはこの先の人生でかけるはずだった何十何百年分の言葉があっただろう。

 だが母さんはそんなことで俺たちの逃げる時間を奪うことをしなかった。

 ただの一言だろうと、時間が惜しかったんだ。


 母さん。それに父さん。

 俺とマルナは受け取ったよ。

 幾万の言葉に匹敵するほどの、確かな想いを。

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