誰が死んでも
フィセラがヘイゲンに指定した転移先は門前広場。
ミレとマルナがレグルスと一戦した門、そのすぐ先である。
「ここまでは全て想定通り。さて、詰め、としようか」
フィセラは独り小さく呟いた。
――でも、ここは決闘用には向かないのよね。圧倒的にエルドラド有利になるよう設計してるから、フェアな条件でやるなら、下の方が良いんだけど……。
フィセラは背後に目を向けて、揺れる旗を眺める。
旗に描かれた紋様や刺繍はすべて異なっており、それを端から順に追っていった。
一定の範囲内に存在するプレイヤー、NPCへ強化・支援効果を付与する掲揚旗型のアイテム。
それが28本。平均レベルは85レベル。
内包される主要スキルには、<常時自然回復量最大増加>、<初撃反射>、<カタストロフィモード>、<弐手無>、<僕だけが生き続ける>等、フィセラであってもすべてを記憶するのは不可能なほど多種多様なスキルがある。
これだけの種類があっても重複による効果軽減も起こしていない。
これらの効果がこのステージ全体に影響を及ぼしているのだ。
60レベル台の低位NPCを100レベル相当にまでする絶大な強化効果。
90レベル台を120レベルの一般プレイヤーと互角に戦わせるほどの支援効果。
120レベルのNPCに至っては、ましてやそれが純粋な戦士系の職に就いていたとすれば、もはやそれをプレイヤー1人で倒しきることは不可能となる。
まさしくチートだ。
だが、これを実現できるのがギルド拠点というものである。
100レベルのアイテムさえも含めることが出来るのは、無尽蔵の課金と資源を保有するエルドラド故ではあるが。
そしてフィセラはそのギルドリーダー。
今では唯一の主人である。
ならば、彼女の持ち物をどうしようが、すべては彼女の勝手だった。
「安心して。出来るだけ公平に、公正に、なるようしてあるから……」
そう言いながら傍らに置いていた斧を持ち上げて歩き出す。
彼女の歩みに合わせて、ミレとマルナは1歩下がる。
その時、マルナはふと下がる先を確認した。
そして、見てしまった。
開かれた門を。その先に見える青空を。
「……いいわよ」
フィセラが優しくそう言い放ち、さらに続けた。
「だれも追わない。誰にも……追わせない。今ならね」
マルナは見開いた目をフィセラに向けて、冷たく言い返した。
「ただ、帰り道が分かりやすくてよかったと、そう思っていただけです」
尚もフィセラはミレ達に近づいてくる。
だがこの時、マルナは下がるのをやめた。
「……今日、私たちは死ぬのかもしれません。どれだけ言葉で飾ろうと、体を無理やりに動かしても、心のどこかにある迷いは消えないでしょう。だからこそ、不思議なのです。今日の戦い程度、あなたの人生になんの傷も残さない。なのに、なぜあなたはいまだ迷いを持っているのです?」
フィセラはついに足を止めた。
斧を地面に叩きつける。その斧を片手で楽々と持っていたとは思えないほどの轟音と振動が広場を揺らした。
フィセラはその振動が止むと大きく息を吸い込み、吐き出した。
「はぁ~。なんで私はこの世界で悪役にならなくちゃいけないの?魔王なんて称号、捨てろって言われれば捨てるわよ」
ミレはフィセラのその発言を鼻で笑い一蹴した。
「フッ……。魔王と呼ばれたからお前なのか?それとも、お前だから魔王と呼ばれたのか?」
「……そう、私は魔王。それでもって、この世界には他にも魔王がいる。ここは魔王が呼ばれる世界、そして私は…………。これは偶然じゃないのよね」
――ま、異世界転移自体に偶然とか必然があるかはわからないけど。
「この世界の誰かが私の名前を叫んだのよ。でも、私はその声に応えた覚えは無い。つまり、他の何かが声を聞いた。そして、私を呼んだ」
この瞬間に彼女の瞳がギラリと輝いた。
それはこの世界で生きようとする決意の日のように。
魂を動かす原初の火のように。
確かな光が彼女の赤い瞳に宿った瞬間であった。
「ねぇ知ってる?」
その瞳がミレ達に向けられる。
だが、それ目は彼女達を真に捉えていなかった。
その瞳は彼女達の後ろにある門の外。
この世界に向けられていた。
「私を、この<魔王フィセラ>を……、誰が呼んだ?」
ミレとマルナは口を挟むことが出来なかった。
この問いの答えを知らなかったから。
そして、その答えがとても重要なことだと思ったから。
フィセラにとって。
自分たちにとって。
世界にとっても。
一言目を間違えればどうなるか。
フィセラは緊張に震えるマルナになど気づかず、態度をケロリと変えてきた。
「なんて言われても知らないよねぇ?でも、分かったことがある。私はそれを知らなくちゃいけないってこと!それと、あなた達は私を倒したい……今すぐにでも!」
フィセラは自らの言葉を噛み締めるように、ウンウンと大きく頷いた。
「人生上手くいかないわね」
フフと笑うフィセラ。
そして、気づく。
目の前の2人は既に臨戦態勢に入っている。
「俺は魔王を何度か見た。手が振れるほど近づいたこともある。だから、分かる。お前はやばい!」
3人は目だけを動かして、相手の動きを、仲間の意思疎通を図る。
フィセラはミレとマルナの武器を、動き出しを。
ミレはフィセラの斧を、マルナに指示を。
マルナは周囲の環境を、ミレからの指示に対してどの武器を使うかを。
そうして、3人の視線が複雑に絡み合い、それが1点で交差した時、戦いが始まった。
ミレが「やれ!」と叫びながら緩い弧を描いて突進する。マルナはミレとは反対の方向へ駆けながら、懐から淡く輝く宝石を取り出した。
それは見覚えのある宝石だった。
――あれは確か、フェアリーストーン?
数日前、迷宮に潜るタイミングで彼女がタラムやシオンに使わせていたものだ。
だが今マルナの手の中にあるそれは、あの時のものとは遥かに純度が違うものである。
加えて宝石が放つ輝きは白ではなく、赤であった。
マルナが道具を使わずに放り投げた宝石は、矢よりもはやく飛び、フィセラのすぐ頭上に届いた。
投げる瞬間宝石に衝撃を与えていたのだろう。
全体に亀裂が入った宝石は今にも粉々になってしまいそうだ。
だが、赤い宝石は空中で粉々になどならなかった。
それは、爆発した。
火がフィセラの頭上で円形に広がり、直下の彼女を爆炎が包み込んだ。
全身が炎に熱せられる中で、フィセラは平然としている。
暑がる様子もなく、火を防ぐこともなく、瞬きさえもしていなかった。
――右手にミレ。あの速度だともう目の前にいるはず。マルナはまだ何かを持っていたわね。でも、しょぼいアイテムや投擲は私には効かない……、無視でいい!
火が彼女の瞳を撫でる時でさえ瞼を下ろさないフィセラ。
だからこそ捉えることが出来た。
真っ赤な火のベールが消えないうちに、それを切り裂くよう近づく刃を。
フィセラは浅く持った大斧<ガラスの心、鋼鉄の心臓>で、ミレの剣を迎え撃つ。
衝撃で火は飛び散り、2人の美女がそれぞれを視界に収めた。
「火の中によく飛び込んでこれるわね。熱くないの?」
「こっちのセリフだ!」