山の下で(7)
ミレは少女が体を濡らし今まさに巨人に触れられようとしている瞬間を目撃した。
だが、その場面に注意を向けたのは一瞬だけだった。
ミレは目の前に立つ巨人の方が危険だとかんじたのだ。
斧と剣を背負う巨人の背中だけで分かる。
立ち姿、重心、服の上からでもわかる戦うための筋肉。
正真正銘の戦士。それも強者だ。
巨人戦士・アルゴルはゆっくりと首をまわしミレを視界に入れた。
ミレもまだ動かない。
相対した二人は一言も発しなかった。
そんな緊迫した瞬間を前にして、少女・ソフィーは何が起こっているのか理解できていなかった。
理解できなければ緊張や恐怖は無い。
ごく自然な身体現象としてソフィーは瞬きを一度した。
すると、2人の姿勢がほんの少し変わっていた。
その変化はすぐに理解できるものであった。
2人は自らの武器に触れていたのだ。
アルゴルは背中の斧に手を伸ばしただけ。
ミレは腰につるした剣の柄を握っていた。
そしてまた2人は動いた。
だがこの時ソフィーは瞬きをしなかった。
だというのに、見えなかった。
目を開けていたはずなのに、アルゴルが斧を振り下ろしきる動作を、ミレがそれを避けて剣を抜き放つ動作を目で追うことが出来なかった。
常人の理解を超えた速度の戦闘がいま始まったのだ。
アルゴルは背中に背負った斧を一呼吸で地面に振り下ろした。
ミレは左に半歩動くだけで斧を避けると、同時に剣を鞘から抜いた。
「…………速いな」
ミレはそう言うと、上に跳んだ。
すると、ミレの足をかすめるように大きな剣がミレの下を這っていった。
アルゴルが地面スレスレの突きを続けざまに放ってきたのだ。
「……それに鋭い」
「おお゛!」
アルゴルの短い咆哮と一緒に斧と剣はすぐに引き戻された。そればかりか、アルゴルは独楽のように姿勢を低くして体を捩じりだした。
1回転、アルゴルが体を回すと、一拍遅れて斧と剣の横薙ぎが未だ空中に留まるミレを狙った。
縦に重ねられた2つの刃は、その2つの間に小さな隙間を残しているだけの壁である。
ミレが足を伸ばそうと地面にはまだ届かない。手を伸ばそうと何も掴めない。
だが、そんなことは問題では無い。
ミレは空中で身を捩り、重なった刃の隙間に入っていく。
まるで吸い込まれていくように隙間を通り過ぎるミレ。
数本の髪が巨大ながらも鋭い刃に切られ、胸に抱えた剣が刃に触れて火花を散らした。
斧と剣が無傷のミレだけを残してまた去っていく。
何事もなく地面に立ったミレは笑みを浮かべていた。
「ハハハハ!強いのがいるじゃねぇか!だが……、この戦い方はダメだ!」
ミレは悩んだ。
ここでこの巨人を倒せば、カル王国との和平に支障をきたす。
だからと言って、人間種の少女を誘拐している事を無視することは出来ない。
一度落ち着いて話すべきだと言うことは分かっている。
だがこうなってしまった以上、止める方法は多く無い。
このサイズを気絶させるのは無理だなぁ。
この強さなら少しぐらいの傷は問題ないだろ。
とりあえず、……1、2本、腕を落としておくか。
アルゴルの最初の攻撃は斧での振り下ろし。
そして、剣での突き。
連続して、剣と斧での同時攻撃。
先制した3度の攻撃はいとも簡単に避けられた。
そして、4度目の攻撃がアルゴルから繰り出されようという瞬間。
ミレが動く。
だが、その一瞬が来る直前、その場にいた女巨人が叫んだ。
ナラレがソフィーに向かって指示をしていたのだ。
「私の後ろにいろ!」
ナラレがソフィーを背後に隠すように行動していた。
いつの間にか、その手には槍が握られており彼女の戦闘態勢は万全であった。
ミレは、ソフィーをかばうように移動するナラレを見て完全に動きを止めていた。
そればかりか、戦闘の意思さえなくしているようだった。
アルゴルの4度目の攻撃としての上段真正面からの剣での振り下ろしは、刃が彼女に触れるスレスレで止まった。
彼女に避けるそぶりも、受けるそぶりもないことに彼もすぐに気づいたのだ。
だが、この時はまだアルゴルの闘気は無くなっていなかった。
それが消えたのは、ミレの背後から彼女の仲間と思われる者たちが出てきたときである。
正確には、現れた者たちが決してこのダークエルフの仲間ではないと知った時。
なぜならば、アルゴルはある一人をよく知っていたからだ。
ただ知っているのみ。理解など到底できない存在がそこにいたからだ。
銀の装備に小麦色の髪の毛の女の後ろから顔をのぞかせていたフィセラを見たからだ。
ミレの頭上に剣を置いたまま、体を硬直させてしまったアルゴル。
幸運にもその硬直は顔にまで至っており、フィセラの発見したことへの驚愕は顔には出ていなかった。
「あ~、なんだ、まぁ。俺が勘違いしたようだな」
ミレはそう言いながら剣を鞘にしまう。
タンッと剣が鞘にしまわれる音が、アルゴルの意識をミレへと戻した。
アルゴルはすぐに平静を取り戻し、自らの剣を引いて地面に突き刺した。
「…………、そうか」
ミレが止まった瞬間に何があったのかを思い出せば、アルゴルにも彼女が何を勘違いしていたのかの想像は容易だった。
だが今、その事を追求するよりも知らなくてはいけないことがある。
アルゴルはなるべくフィセラに視線を合わせないよう、自然な反応となるようミレの背後に顔を向けた。
フィセラ達はいったい何者なのかを聞かなくてはいけなかった。
そして、与えられた役目を果たさなくてはいけなかった。
それが、エルドラドのヘイゲンから下された命令であるからだ。
アルゴルが言葉を選んでいる間に、ミレが先に口を開いた。
「お前、あの戦い方は誰に習った?」
ミレに話しかけられ、アルゴルの思考が中断される。
少し煩わしさを感じながらも、自然体となるには少し時間が必要だった。
ミレとの会話でその時間を得られるのなら、彼女の相手をしない理由は無い。
「戦い方?俺に力と技を授けてくれたのは父と、亡き友、そして戦場だ。…………言っていたな、ダメだ、と。何がダメなんだ?」
「……人間の小ささに慣れ過ぎてるんだよ。これは戦闘の感が良いだけじゃ説明できないぞ。…………カル王国と戦おうとしてるのか?」
ミレのその言葉にアルゴルは少し驚き、そして湿ったため息が漏れた。
「ゴブリンだ」
「……は?」
アルゴルは黙ったままある方向を指で示した。
そこにあるのは巨大な山だった。
「あの山の向こう側に大量のゴブリンがいるんだ。いや、……いた。俺たちはそのゴブリン達と長い間戦っていたんだ。だから……」
アルゴルは身を屈めてミレの顔を間近で確認した。
「小人の相手は慣れているんだ」
そう言ってまた姿勢を戻す。
ミレもまた彼の顔を見上げた。
その視線を受けながら、アルゴルを姿勢を正してミレに告げる。
「だが、これほどに速い戦士はゴブリンにも、俺たちの中にもいなかった。…………強いな。これが世界か」
彼は大山の方向とは反対の方へ顔を向ける。
それは大森林の外、想像も出来ないほど広大な世界を見ようとしていたのだ。
「あの子供は?ラガート村か?」
アルゴルはミレにそう聞かれると、そうだ、と短く答えた。
すでに状況を理解している相手に説明をすることもないと考えたのだ。
加えて、フィセラの目の前で詳しく話す気が起きなかった。どうしてか、フィセラは顔を見せないように隠れたままでもある。
この場で無駄な会話を続ける必要はもうなさそうだ。
アルゴルはナラレやソフィーにもう大丈夫だと伝え、食事をして来いと指示した。
そして2人が離れていくことを見届けると、またミレ達に向き直った。
「俺もすべきことをしなくてはな。お前たちと同じように……。案内しよう、ついてこい」
そうして、ミレを通り越してフィセラの横も過ぎていく。
彼が何をしようとしているのか理解できないミレたちはさすがに言う通りにするのを渋っていた。
だからこそ、アルゴルはもう一言付け加えた。
「今日はお前たちを待っていたんだ。魔王の元へ連れて行こう」