山の下で(2)
少しして、ミレとマルナが戻ってきた。
おーい、と手を振りながら近づいてくる2人。
そのずっと後ろには、ミレ達が話を聞いただろう村人が立っていた。
その村人はこちらへは近づかないで、その場でただ頭を下げてフィセラ達に挨拶をした。
その様子には、ミレ達は気づいていない。
――あれは村長……。ヘイゲンが彼には、私が来ることを教えたのね。
昨晩、フィセラはヘイゲンに<通信>でメッセージを送っていた。
今まで起こったことと、明日はどうするつもりかを簡単に伝えだけだ。
それでも、ヘイゲンはこの短い時間でいくつか対応をしているようだ。
――巨人たちにも話してるのかな?こっちが村長だけなら、巨人はあのアラ、アリ、アル……アルゴルあたりに伝えている感じかしら?
いまだに支配下に置いた巨人たちのリーダの名前を憶えていないことは一旦無視して、フィセラはとりあえず戻ってきたミレ達に声をかけた。
「何か分かった?」
「ああ。今は、とりあえず先へ行こう。明るいうちに森へ入りたい」
焦っているのか。
ミレが自分たちを急かすことについて、フィセラはそう思ったのだが彼女の顔は落ち着いていた。
ラガート村の外にある畑。
さらにその外を沿うようにフィセラ達を村を後にした。
振り返るほどの位置に村が来ると、ようやくミレが口を開いた。
「やはりここだ。俺たちは、すでに魔王の領域に入ってる。気を抜くなよ」
――領域?ラガート村は……、まあ、私の領域と言われればそうかな?
「あの村は巨人たちとの関係が最も長く、最も深い。アゾク大森林に面するほかの村は、いまだに巨人他たちを警戒している。だが、あそこは村の中心にまで、巨人たちの痕跡があった」
「それだけ?仲良いのがダメなの?」
「カル王国の民にとってあの森は最悪だ。うす汚ねぇゴブリンの巣窟だと思ってたら、王国の公敵と言ってもいい白銀竜が来やがった。国土の外れの村人でもそのぐらい分かってるはずだ。なのに、どうしてあの森から出てきた正体不明の巨人を受け入れられる?」
ミレは眼前に広がる大森林へ視線を送った。
背の高い木々が壁のように視界の横いっぱいに広がっている。
その光景の前で、ミレはある事に気付いた。
「まさか、魔王の方が先に村へ接触していたのか?」
これは真実だ。だが、こんなもの弱点となる情報ではない。
それでも、フィセラからすれば間違いを信じてもらっていた方が楽だ。
「そんな訳ない。村人は……、普通だったでしょ?その邪悪な魔王ってのが居るなら、あの村は無事じゃないはずよ」
「いや、人間型の魔王ならあり得る。そういう魔王は話が通じる……、フリが上手いんだ。あの村の連中なら簡単に騙せる」
――あれ、悪口?もしかして悪口言われてる?
そんなことをフィセラが考えている内に、ミレは話を続ける。
「それに、あの村長は何かを隠しているようだった。魔王を隠してる?いや、正直に名乗る訳ねぇか。巨人を招いた誰かを隠してる風だったな」
――使えねぇなぁ〜、あの村長。と言うか、どんな聞き方すればそんな事分かるのよ?
フィセラが疑いの目を(密かに)向けていると、ミレは敏感にそれを察知した。
「そのぐらい目を見れば分かるさ」
ミレはフィセラが疑っているのは自分の能力だと思ったようだ。
あながち間違いではないが、その答えはあっさりしたものだった。
「俺はてめぇの、いや、あの村の爺さんの2倍は生きてんだ。つまり……、人生経験の差だな」
そう言ってミレは、ハッと高らかに少し笑った。
対してフィセラは小さくこう呟いた。
「…………あっそ」
5人はラガート村から十分に離れた場所にいた。
そこで彼女たちは、闇を覗いていた。
すでにアゾク大森林に足を踏み入れる直前という場所まで来ていたのだ。
手を広げたほどの幹の太さをもつ樹木が横に並び、そして森の奥へも、どこまでも続いているようだった。
木の枝がずっと頭上で傘のように広がり日光を遮っている。
それでも,木々の間から差し込む光がある。フィセラの視界には光の柱が数本立っていた。
暖かな日光を避けて、森の影を通ってきた少し冷たい風が木々の奥から吹いている。
フィセラは髪が揺れるのを気にして、少し顔をそむけた。
そして、大森林を見る彼女たちの中で1人だけおかしな方向を向くミレを見つけた。
「……何かいた?」
ミレはそれが自分に対しての言葉だとすぐに分かった。
それでもそれは、今彼女の頭に浮かぶある疑念を消すには至らなかった。
「魔王はいつ、ここにきた?」
フィセラは自分に聞かれていると思った。
だから、数えた。
都市フラスクで冒険者として過ごした数日。
大森林の奥、大山の裏で巨人とゴブリンの戦いに介入し、その後に過ごした退屈な期間。
そして……。
「…………マルナ!」
ミレはもとからフィセラに聞こうとしていたのではない。
というより、ほとんど独り言だった。
だが、今この場には自分と同じ考えに至っているはずの妹がいるのだ。
ならば、その彼女に答えを聞けばいい。
「想定よりもだいぶ前かもしれませんね。森からの巨人出現の話が貴族の耳に届いたの時には、すでに村と彼らの商売が始まっていた。すると、村と巨人の関係はそれより少し前…………、なら巨人と魔王の接触は?さらに前?」
「そうだ!魔王はそれより前に、アゾク大森林に現れている。それに探索……いや森を手中に治める期間があったはずだ」
ミレとマルナが話している最中、フィセラ達は話に入ることも出来ずのけ者にされていた。
だから、フィセラは彼女たちの会話を聞きながら、答え合わせをしていた。
――まあ、大体あってるわね。
そんなことを考えながら、指を折って一緒に期間を数えていたのだ。
まだミレ達の会話は終わっていない。
フィセラも分かっている。まだ数えていない期間があることを。
「ちょうどそのあたりで森に入った奴らがいるな……。魔王が現れたばかり森に、それを知らずに入った奴らが……」
ミレがそう言った。
フィセラはうんうんと頷いた。
――そうそう、あれは…………。
フィセラが数えた月日は、すでに彼女の親指と人差し指を畳んでいた。
ならば、次は中指だ。
だが、彼女はその指を曲げることが出来なかった。
その指には、数えようとしているその期間には、ある瞬間が含まれているからだ。
魔王として、明確なほどの人類の敵として行動したある瞬間が。
指を震わせるフィセラに背後から声がかけられた。
つい、フィセラはビクッと驚いてしまう。
ゆっくりと振り返った先には、まっすぐこちらを見つめるミレがいた。
「ああ……、そうだ。セラ、お前も気づいただろう?」
一筋の汗がフィセラの額を流れた。
その汗の跡を森に冷やされた風がさらに冷たくした。
一息つく暇も与えず、ミレは続けた。
「消えた……白銀竜と先遣隊だ」