宴のあと
カーニヴォル。彼に対するミレとマルナ、タラムとシオン。
この戦いが、ミレたちの勝利で終わった瞬間。
フィセラは、塵になりながら消えていくカーニヴォルを眺めていた。
岩壁から体を出さないよう、ものすごく横眼になりながら、静かに、眺めていた。
――あ~~、待って!マジで待って!誰か教えてくないかな?…………なんで私が召喚したカーニヴォルとミレやタラム達が戦ってるの!?…………なんで!?
フィセラは叫んでいた。心の中で、ではあるが。
カーニヴォルが地下から掘り開いてきた穴。
広場からは見えない位置。そこに彼女は身を隠していた。
「私がゆ~っくり穴を登ってきたことは認める。でもこんなことになってるとは思わないじゃん!」
動揺していても、気づかれないために小声で文句を言うことは忘れていない。
「まあ、確かに戦闘音ぽいのは聞こえた、気もするけど……。いや、やっぱり聞こえなかった!……ことにしよう」
穴掘りのための打撃音とは違う音や振動は感じていた。
それでも、何してるんだろ?程度にしか思っていなかったのだ。
そもそも、フィセラはなぜ召喚したモンスターの動向を把握していなかったのか。
召喚士と召喚獣には、<共感覚>という繋がりがある。
召喚士は召喚獣の五感を受け取り、召喚獣は召喚士からの命令を受け取ることができるのだ。
それがあれば、カーニヴォルが戦闘を始めたと知ることは出来る。
共感覚を<オン>にしていれば、容易なことだった。
フィセラは共感覚を<オフ>にしていたのだ。
と言っても、スイッチで切り替えができるほど単純なものでもないが、彼女は確かにカーニヴォルと意識を共有していなかった。
理由は1つ。
100レベルのモンスターから送られてくる<情報>が膨大すぎるのだ。
無限の増殖を行う百足・<黒い太陽>、六腕の巨人・<巨悪カーニヴォル>。
現在までに、フィセラが<正義は存在しない>によって召喚したモンスターたち。
<黒い太陽>から送られる情報が、普通ではないことは明白として、カーニヴォルも例外ではない。
彼が感じ取るものは大気を舞う砂の流れ、暗闇で動く極小の虫、遠くで落ちた小石の音。
フィセラのキャパシティを遥かに超えたものだった。
それを無理に受け取ろうとすると、肉体にも異常が出てくる。
簡単に言えば、酔うのだ。
だから、カーニヴォルとの共感覚を切り、すべてを任せていた。
ミレ達と戦闘を始める可能性など、微塵も考えずに。
――全員無事なら問題なし!……無事ではないな。でも生きてるならよし!なんか、死にそうな子もいるけど。というか……。
フィセラはだいぶ前から戦闘を見ていた。
助けに入るタイミングが分からなかったのだ。
それに、フィセラが姿を見せた瞬間にカーニヴォルがどんな反応を見せるかも分からなかった。
自分に跪きでもしたら、パニックになる自信がフィセラにはあった。
――今思うと、手加減してうまい具合に死ね、とかをカーニヴォルに命令すればよかったのでは?う~ん、ちょっとかわいそうだし、あの子たちが勝ちそうな雰囲気あったから別にいいか。それよりも今考えるべきは……。
「どうやって出ていこう」
さも今到着したかのような顔で4人の前に出て、息を切らせながらこう言う。
「みんなどうしたの!?キャー!その怪我は?だれにやられたの?すぐに治してあげるからね、もう大丈夫だからね!」
というイメージをしてみたが、フィセラは渋い顔を浮かべていた。
――無理ね。絶対わざとらしくなる。もう開き直って、黙って出ていくのはどうかしら?
いい考えだという風に、フィセラの顔色がとたんに明るくなった。
――そうよ!混乱しているうちに、新たな混乱を起こせばいいのよ!それで、うやむやにできればいいけど……。
その時、ようやく完全にカーニヴォルが消滅した。
塵は消え去り、その奥にいたシオンの姿がフィセラの目にはっきりと見えた。
「……なんて、言ってる場合じゃないわね」
フィセラの目つきが変わった。
<転職・治癒士>。
フィセラは風のごとく穴から飛び出し、シオンに近づいた。
もはや瞳に生気は無く、折れた剣に付与されていたスキルは消えてなくなっていた。
まだ立っているのが不思議なぐらいだ。
その奇跡が終わり、シオンの体が後ろに傾こうとしていた。
受け身を取る気配はない。
倒れた衝撃だけで、死ぬには十分なほどに限界であった。いや、とっくに限界を超えていた。
鉄の鎧が地面にぶつかり、剣が転がる音。
そんな音が鳴ることなく、シオンの体は優しく無重力の空間の中のようにフワリと地面へ付いた。
そして、彼女に言葉がかけられた。
「立派に戦ったわね。もう大丈夫よ」
フィセラがシオンの胸に手を置きながら、そう囁いていた。無詠唱の<大回復>と共にだ。
魔法がシオンの体を癒し、「言葉」が「シヨン」の心を癒した。
「勿体なき、お、ことばを……、私は……」
そう呟いてシオンは目を閉じた。
呼吸は穏やかで、顔色は良い。
体力を失ったところへ怪我の回復が重なったために、意識を失ってしまったのだろう。
「少しやすんでなさい」
フィセラは落ち着いた声色でそう言いながら、彼女の顔に掛かる乱れた髪の毛を整えた。
――勿体なきお言葉?…………う~~ん。
何か思い当たる節がある言葉だが、今はひとまず置いておくことにする。
「ありがとうございます」
お礼の言葉が、フィセラの後ろから聞こえてきた。
フィセラはシオンの横から立ち上がり振り返る。
誰がいるのかフィセラには分かっていたが、フィセラは彼女の姿をしっかりと視界に入れた。
「タラム、怪我は無い?」
心の底からの心配の言葉であった。
「はい。私はずっと後ろにいましたから……。頑張ったのはその子です。ありがとうございます、回復魔法を……」
「当然でしょ?」
フィセラは何でもない、と肩をすくめた。
その様子にタラムはそれ以上の言葉を口にせず、目を伏せて少し頭を下げるのみにした。
タラムは顔を上げると、視線を動かしてフィセラを顔をそちらに向かせた。
「…………頑張ったのは彼女たちもです」
剣を杖代わりにして立つミレと、床に座り壁にもたれかかるマルナがいた。
「セラ、てめえどっから出てきやがった?今まで何してた?」
戦いの余韻が残った、まだ殺気の籠っている視線がフィセラに向けられていた。
「…………。元気そうね、ミレ」
フィセラを敵とみなしているような雰囲気ではなかった。
なので、軽口を叩いてみるフィセラ。
「ああ?これが元気に見えんのか?これが汗に見えてんのか?」
ミレの装備は擦り切れていくつも穴が出来ている。それに血だらけだ。
今も、割れた額から出血している。ミレはダラダラと垂れてくる血を自ら指さしていた。
「それ血なの?ごめんなさい、気づかなかったわ。あなた、肌黒いから」
「てめぇダークエルフ全員に喧嘩売ってんのか?いいぜ、来いよ!オレはまだまだいけるぜ!」
「…………私もまだまだいける!」
フィセラが決め顔でそう言うと、ミレは怒り心頭で言葉を返した。
「てめぇは何もしてねぇだろうが!」
そこへまたフィセラを呼ぶ声が現れる。
「セラさん?もし回復魔法がまだ使えるでしたら、私にもよろしいでしょうか?姉は元気そうなので、無視していいですから」
フィセラは嫌な顔をせずに、マルナのもとへすぐに駆け寄った。
「2人が頑張ってくれたんでしょう?ありがとね」
フィセラはそっとマルナの肩に触れて、<大回復>は発動させた。
マルナの腕を圧迫するように結んでいた布が緩みほどけていく。
回復によって骨の位置が戻り、腫れが引いていったのだ。
「ありがとう、セラさん。すごく楽になりました」
フィセラはマルナの回復を確認して彼女からの感謝の言葉をもらうと、ミレの方へ向き直った。
「ミレにもやってあげる」
「いやいい」
間髪入れずに断るミレ。
フィセラの背後から、強がる姉に対する妹のため息が聞こえてきた。
「というか、なんで回復できるんだ?セラは剣士だろう?何のスキルだ?アイテムか?だとしても、これほどの効果は……」
ミレが何か不都合なことを言い出しそうな雰囲気なので、フィセラは無理やりにでも魔法をかけることにした。
元気そうだから、<中回復>にしたのは黙っておく。
無詠唱のいいところだ。
「はいこれで治った!」
フィセラはニコリとしたが、ミレは微妙な表情だ。
「いや、痛みがかなり残ってる感じが」
「姉さん!しっかりとお礼を言ってください!」
「…………ま、助かったよ」
仕方なくという風ではあるが、まっすぐフィセラの目を見て言った言葉だ。
フィセラも素直に感謝の言葉を受け取った。
「とりあえず外に出ない?ここは空気が悪いわ」
フィセラはカーニヴォルが残した戦闘の跡から早く離れたかったのだ。
彼女の言葉に3人は同意した。
シオンはまだ眠っていたが、他でもないフィセラの提案である。
タラムにたたき起こされて、無理やりに歩かされていた。
5人は階段を上った。
一番先頭はフィセラだ。
少しも体力の消費がないのだから当然だが、軽快な動きである。
ミレはその後ろで呼吸を整えながら上ってきていた。
新鮮な空気が外から降りてくる。
光が差し込み、視界を白く覆う。
晴れやかな空へ近づくにつれて、ミレ達を囲むよどんだ雰囲気も変わっていった。
「逃げてもよかったんだ」
ミレがそう呟いた。
マルナは驚き、他の者はただ耳を傾けた。
「お前たちに無理をさせた。……悪かったな」
ミレの言葉とは対照的に、彼女の顔は明るかった。
彼女なりの感謝の言葉だったのかもしれない。
そんな彼女にフィセラが声をかけた。
外に続く最後の階段に足をかけ、まばゆい光を背負いながら4人に振り返った。
「生きて迷宮から帰ってきたんだから!誰も悪くない。そう思わない?」
いや、フィセラは悪いだろ。
すべてを知るものがいれば、そう言いたくなる状況だ。
だが、幸か不幸か。「知る者」はフィセラのみである。
それもすでに記憶の自己改竄が始まりつつある彼女の頭から消えかけていた。
そんな彼女に続いて全員が迷宮の穴から出てきた。
小屋の外で日の光と草原を吹く風を浴びながら、思い思いに体を休めている。
「う――ん!」
バンザイをして体を伸ばすフィセラ。
特別体は凝っていないし、疲れも無い。
そんな自分の状態を確認して思った。
――今日、何にもしてないな、私……。
自ら召喚した世界最強クラスのモンスターと自分の仲間を無意味に戦わせた魔王が、遠い目をして草原を彼方を眺めていた。