饗宴(10)
タラムが発動させた<合意なき平等契約>の効果は、言ってしまえば「能力値の交換」だ。
どの能力値を選択するかは魔法の使用者の自由であり、今回タラムが交換させたのは「魔力」と「速度」である。
タラムが魔力をカーニヴォルに譲渡し、カーニヴォルが速度をタラムに譲渡する。
どれだけ譲渡するかも決まっており、その割合を無視することは双方とも出来ない。
だからこその平等契約なのだ。
「奴の速度の99パーセントを奪った!無防備な今がチャンスよ!」
99パーセント。それは魔法の使用中に作った魔法陣の数で決まる「能力値の交換の割合」である。
3人の時間稼ぎがカーニヴォルをほぼ静止に近い状態にまで持って行ったのだ。
だが、その時間稼ぎに力を使い過ぎていた。
「………………」
誰の返事もなく、誰かが動く気配さえなかった。
それでも、タラムは声を絞って3人に呼び掛ける。
速度を失ったカーニヴォル同様、魔力の99パーセントを譲渡したタラムにはもうそれしか出来なかった。
「まだかまだかと急かしておいて、その時になったら動けないの!?十大強者なんでしょ!早く立ちなさい!」
タラムの叱咤が空間に響くと、広場の端で2つの影が揺れた。
「もう奴は動けないわ。そんな相手を斬ることも出来ないの?死んだのならそう言いなさい!生きてるのなら!……戦って!」
影が願いを聞き届けた。
その時、黒い影の眼が開いた。
「……生きてるだけさ。はぁはぁ、……もう無理だって体が言ってんのに。……まだやれってのか?」
ミレが血に濡れる真っ赤な視界の中で、すぐ目の前にあるものが転がっているのを見つけた。
「フフッ、フフハハ!まだ死んでねえならやってやるよ!まだ戦えるなら戦うさ!まだ、俺の手が……、届くなら!」
手を伸ばした先にあったのは、彼女の剣だった。
一瞬意識を失う前まで握っていたのか、カーニヴォルに吹き飛ばされたとき偶然同じ場所まで転がったのか。
どちらなのかは分からない。
事実は1つ。
彼女はもう一度、剣を握った。
剣を握った手を支えにして、体を起こすが全身がプルプルと震え力が入らない。
「アバラが5本いったな、……内臓もか。ほかにも、骨と肉もダメだなこりゃ。だが!足がある、腕もある!心臓も鳴ってる!……最高だぜ、そうだろ?マルナァ!」
ミレが倒れていたところとはちょうど反対の壁。
マルナがそこにもたれかかっていた。
「姉さんと……一緒に、しないでください」
そういうと、彼女は自分の左腕に巻いた布をギリギリと引き絞った。
明らかに力の入れ過ぎだが、腕が元の形のままならばの話だ。
「こっちは腕が腕じゃないような形になってますし、槍も折れました。あと残ってるは、この肉切り包丁だけです」
懐から取り出したのはただのナイフだ。
細身で無骨。戦闘用の武器ではない。
「ちょうどいいじゃねぇか。あとは肉を切るだけらしいからな」
ケラケラと笑う姉にため息をつきながら、マルナはその包丁を手のひらでクルクルと回した。
「そう、なら。これでいいかな」
一呼吸。すると、2人は同時に姿勢を変えた。
両足を地につけ、武器を持たない手も地面をつかむ。
ふくらはぎ、太ももの筋肉が膨張し、血管が浮き出る。それに圧せられた骨がミシミシと音を立てるが、その程度の痛みはほかの痛みによってかき消される。
ミレは大口を開き獣のように息を吐いた。
マルナはただ静かに深呼吸し、新たな酸素を肺に取り込む。
そして、互いに叫んだ。
合図というわけではない。ただ、名を呼んだだけだ。
「「行くぞぉ!マルナアア!!・行きますよ!姉さん!」」
1歩目は重かった。怪我をかばい、痛みを我慢し、それでも足を動かした。
2歩目は遅かった。飛ばされた距離を詰めるのに一晩かかるのではと思うほどだった。
6歩目は人並みだった。砂が舞い、傷だらけの体を前に押した。
10歩目は軽やかだった。風を感じた。
11歩目は風速を超えた。
12歩目。床を踏む足は広場を揺らし、双子は音速を超えた。
黒い軌跡が一直線にカーニヴォルへ向かい、2つの線と巨人が交わる。
軌跡は壁に跳ね返り、またカーニヴォルをかすめる。
カーニヴォルを中心にしたその軌跡は原子の複雑な構造のように、彼の周りを周回し取り囲んだ。
「ちっ!斬り放題だがやはり固いな。重ねるぞ!」
天井に着地したミレが一瞬止まりそう叫んだ。
そしてまた軌跡が描かれていく。
その中でカーニヴォルに目を向けると、一目では気づけないわずかな変化が起きていた。
右中段の拳を突き出すようにして固まっているカーニヴォル。
実際は1パーセントだけ残った「速度」によって微細に動いてはいた。
そのカーニヴォルの灰色の肌にうっすらと切り傷がつけられている。
ミレとマルナが高速移動をするたびにその傷がどんどんを増えていく。
目にもとまらぬ速さで移動しながら、そらに速い斬撃を繰り出しているのだ。
ミレの言葉の後には、その浅い傷跡が少しずつ目立っていった。
最初は線のような傷が、次の瞬間には太くなっている。
それが皮膚の下にまで届き、瞬きをしたならその後は黒い血が噴き出していた。
2人はやたらと攻撃を加えていくのではなく、寸分違わない位置に刃を入れて傷を大きく深くしていっているのだ。
「おい!回復スキル持ってる腕どれって言ったっけ?!」
ミレはついさっき聞いた質問をもう一度を行う。
「これ!です!よ!」
雑な返答として、マルナはミレがつけた傷をなぞりながら、左下段の腕の肘の少し下に傷をつけた。
その傷のつけ方は器用なものであった。
腕をグルッと一周するように傷をつけたのだ。
1撃、2撃。
スキルも交えながら、7撃目が腕に繰り出された時、ボトリと腕が落ちた。
切断されたことで<合意なき平等契約>の範囲から外れたのか。腕だけが落ちる様子は、「普通」であった。
2人とも、致命傷と言っても過言ではないダメージを負ったが、その速度を見ると怪我など無いように思える。
ようやく拳が引き戻され始めたカーニヴォルとの比較がなくとも、異常な耐久力だ。
このまま決着をつけるのに、ミレとマルナに任せるだけでも十分だろう。
だが「事情を知る同僚」としては、黙っている訳にはいかなかった。
「シヨン!…………」
膝を床につき生気をほとんど感じさせない背中を目にして、タラムはただ名前を呼ぶことしか出来なかった。
役目を果たして死ぬのが本望なの?
いいえ、違うはず。
あなたは砦の守護者なのでしょう?
戦い続けるのよ!
守り続けるのよ!
エルドラドに創られたのなら!たとえ剣が折れようとも……、あなたが折れることは絶対に無い!
これはタラムの心の叫びだ。
彼女の声なき言葉だ。
エルドラドのすべての者が胸に抱く思いである。
であるならば、その思いを届ける必要はない。
その者が、自らの思いに応えればいいだけなのだ。
閉じられたまぶたから覗く瞳に黄金の光が揺れる。
体が魔力を立ち昇らせ、彼女に気力を戻す。
「…………ゥゥウオオオオオ!!」
カーニヴォルより遅いのでは、と言われかねない速度で、だが確実に「シヨン」は立ち上がろうとしていた。
「<栄誉と栄光と>!」
シオンが口にしたスキルは、単なる攻撃力強化のスキルだ。
そのスキルが、折れた剣の先を形作るように発光し始めた。
彼女は暗闇の中で輝く剣を構えたのだ。
「<ダブルスラ――――シュ>!」
スキルによって重ねられた2つの斬撃が、無防備なカーニヴォルの胸に叩きこまれる。
「いいぞ!シオン!」
シオンの攻撃の動線に入らないように避けたミレが飛び切りの笑顔を浮かべている。
それに続いてマルナも、シオンに声をかけた。
「私たちのことは気にせず攻撃を。こっちでうまく避けますから」
「ああ、どんどんやれ!……さあ!とっととこいつをぶっ殺すぞ!」
かすむ視界と2人の速度によって、シオンには声の主の姿はほとんど見えていなかった。
それでもしっかりと言葉は聞き取れた。
それならば、この腕が止まるまで。否。敵が倒れるまで、剣を振り続けると決めた。
「目…………、指…………、腕…………、足…………」
ミレがそう口からこぼしながら剣を振っていく。
1撃で完全に斬ることは難しい。
だが、重ねれば「削る」ことは可能だ。
その成果が、カーニヴォルの足元にあった。
水たまりのように面積を広げ続ける黒い血の床。
そして、そこに落ちていく腕や指。中には、眼球や耳、そぎ取られていく肉片も交じっている。
「やはり首回りは特別に硬いです。もう<硬化>を使えないはずなのに」
マルナが悔しそうにそう口にした。
カーニヴォルのスキルが初期化してから、まだ効果スキルを使っていない。
当然使用回数は残っている。
ただしそれは、スキルと魔力の宿る腕があればの話だが。
「残る腕はあと1本か……、黒い霧を発生させる腕だな?じゃ、いいか。とりあえず、首を取りたいんだが……あ!?」
首を取らずとも出血と欠損の状態から見て、この勝負はついた。
そう思ったミレが足を止めた瞬間。
自分の頬へ触れるよう、最後に残った敵の腕が近づいてくるのが見えた。
それは確かに目に見える動きだった。
「まだ動けんのかよ」
軽やかに避けながら、ミレはタラムに視線を向けた。
「こいつ動き始めてるぞ!大丈夫なのか!?」
タラムは少しも慌てる様子を見せず、淡々と答えた。
「<返還>が始まってる。早くとどめを」
「こいつ!簡単に言いやがって……、だったら少しは手伝って…………お、これは」
ミレは自分の体が軽くなり、ほんの少しだが体力が回復したことも感じた。
「奴に速度が戻るということは、私に魔力が戻るということよ。でも、これが最後の支援魔法になる。……これで決めて」
「おう!」
ミレはただそれだけ返事をして、音を置き去りにした。
カーニヴォルは視界を失っていた。
音も失っていた。
完全な闇の中にあっても、気配を感じることは出来た。
それが2人のダークエルフのような者たちが放つ鋭い殺気なら尚更である。
この時、カーニヴォルは殺気を感じた。
だが、対処するほどの感知機能はもう無い。
体に触れた瞬間、最後の腕を動かすしかなかった。
だから待った。
「……<断頭>」
そして、数秒の後。
カーニヴォルが最初に感じたのは、体の感触がすべて無くなったことと地面が額にぶつかってきたことだった。
もしくは、額が地面に落ちたのか。
それを考えることもなく、ここでカーニヴォルの意識は途絶えたのだった。