饗宴(6)
「大丈夫か?」
ミレは自分の懐に手を入れながら、シオンに声をかけた。
「このぐらい問題ない。私はまだまだいけるさぁああああああ!」
額に汗を浮かべながらも余裕の表情を作ろうとしていたシオンが突然叫びだした。
それは新たな痛みによる悲鳴だった。
見ると怪我をした肩に赤い液体がかけられていた。
その上には赤い液体の最後の雫を垂らそうとする小瓶、を持ったミレがいる。
「何をするんだ!」
「魔血ポーションだ。高いんだぞ」
「魔血?ああ、回復薬か。あ、ありがとう。ものすごい痛みだったが……、よくなった」
シオンは左腕を持ち上げ、指を動かす。
震えと疲労を大きいが、それは気力でどうにかするしかない。
シオンはようやく立ち上がった。もう大丈夫だと判断したタラムはもう手を放している。
「よく耐えたな。片腕でしのいだは立派だったぞ。今は1人欠けるだけで戦況がひっくり返るからな」
「ひっくり返るほど、どちらかに傾いているようには思いませんが……」
ミレの言葉に、そう返したのはマルナだ。
妹を小突こうと、ミレはマルナをにらむ。
だが、マルナの視線は違う方向へ向いていた。
「そりゃ、立つよな」
全員の視線が立ち上がるカーニヴォルへ向かう。
自分を殴った腕と頭を振るって異常がないかを確かめている。
ダメージはあった。
だが、やはり致命傷は負わせられていない。
ミレはいまだ傾かない戦況にイラつきを覚えながら、タラムを呼んだ。
「奴が持ってるスキルを見られるか?魔力の動きだけでもいいが……、気になることがあってな」
「魔力量の変化なら……。それと、そのスキルの話についても少し気づいたことがあるわ」
4人の意識が立ち上がったカーニヴォルと話を続けるタラムの2人に注がれる。
「最初に鑑定をしたときは、腕に魔力をまとっていたの。真ん中と下の腕ね。でも今は真ん中の腕からその魔力が消えているわ」
「腕に溜めた魔力を使ってスキルを発動させたということか?確かに、それなら数は合う」
シオンが首をかしげながらタラムに問う。
「そういう話なら、普通は6本の腕にスキルが1つずつじゃないか?なぜ、すでに2本の腕には魔力がなかったんだ?」
「わかるわけないでしょ。…………でも、考えられるのは元からそういう魔力構造だったのか、あるいは」
次の言葉を発しないタラムに代わり、ミレが続ける。
「すでに戦闘をしてきたか」
4人の頭には同じ人間の顔が浮かんでいた。
フィセラ(セラ)だ。
「無いなら無いでいいさ!もう2つのスキルも使わせて、あとは削る!」
ミレはすぐにフィセラの顔をかき消して、カーニヴォルに集中する。
ほかの3人も同じようにして、それぞれ構える。
最後に構えたのはタラムだった。
今は戦うしかない。その通りよ。
でも、違和感がある。
6本の腕に、6つのスキル?
もしそうだとしたら……、あまりにも整いすぎている。
まるで、そう……造られたかのように。
…………フィセラ様?
「スキルの内容まではわからないのか?あいつはすでに<硬化>スキルを2度使っている。そういう、なんか……魔力の性質とかで判別できるか?」
ミレは最後まであきらめずあがこうとして、その答えをタラムから得ようとした。
「できないわ。でも…………」
硬化…………。
防御系統のスキルね。なら後は、バランスを考えれば支援系統、攻撃系統を2つずつかしら。
より強力な攻撃手段があるなら、ここまで戦闘を長引かせないはず。すでに発動済みのスキルがそうなの?
とすると、支援系統。
他者への支援をするように見えないし、まだ使っていないと考えると自分への支援……補助……、回復か。
自然回復力でカバーできる程度しか被弾していないから、温存してる可能性があるわね。
この間、瞬きほどの一瞬。まだ、カーニヴォルは動かない。
「おそらく、なんらかの<回復>スキルだと思うわ」
断言するなら信用できるが、「おそらく」と付け加えるような推測を無条件に信じることはしない。
少なくとも、ミレとマルナはそうしてきた。
「もしそうなら、一度デカいのを食らわせるべきだな。そうすりゃ、嫌でもスキルを使うだろ。マルナ、やるぞ!」
「ええ。やりましょう」
ダークエルフの双子に恐れはなかった。
この世界に生きる多くのエルフのように死を意識していなかった。
この双子の場合は、エルフとしての長い寿命ゆえではなく、人間を超える域に立つ実力ゆえではあるが。
<夜と闇の双星>。
南方諸国をまわる吟遊詩人がよく歌う唄である。
200年ほど前から歌われ続けるその唄は、ある双子の英雄の軌跡を各国に残してきた。
そしていつしか<十大強者>にその名を並べていた。
10人の英雄を鼓舞するその唄も、南方諸国を中心に広まっている唄であるが、歌われる伝説に嘘は1つもなかった。
彼女らを歓呼する声は無い。
彼女らは行いに感謝するものはいない。
あるのは、彼女らに対する恐怖だけだった。
闇に生きる悪人たちは夜を好む。
自らの悪行を覆い隠し、正義の者たちの歩みを遅らせられるからだ。
だが、ある「影」を見た時から悪人を夜を恐れ始める。
闇よりも濃い影が街角に現れた時、その瞬間には冷たい刃が首筋に触れているからだ。
双子の英雄が通った町に大きな変化はない。
ただ少し、夜の闇に聞こえる子供の笑い声が大きくなるだけだ。
だれもその双星には気づかず、悪人の不幸を知るのみ。
そして時が経ち遠く離れた町で、誰かが真実を口にする。
顔も知らぬ、名前も知らぬ者たちが唄となる。
解結士・一刀斬首と十器暗殺。
そう呼ばれる双子のダークエルフがそうだとも知らずに唄は歌われ続ける。
双子は決して<夜と闇の双星>と名乗らなかった。
英雄と呼ばれることをむず痒く感じていた。
それでも、生き方を変えることはなかった。
何百年もそうしてきたように、この先の百年もそうするだろう。
だからこその双星。
だからこその英雄。
ミレとマルナは強く、そして高潔であった。
カーニヴォルに正面から立ち向かうミレの姿はすでに見ている。
だが、マルナもそれに続くこうとしていることを無視することができなかった。
シオンはその光景に対する驚愕と不信感で、つい口を開いていた。
「マルナは支援職ではないのか?さっきはミレと同じスキルを使っているように見えたが、まさか……」
「どうでしょう?いまから、お見せしますよ」
こともなげにそう言うマルナの姿をシオンはただ見ることしかできなかった。
タラムも同様だが、何も手を出さない訳にはいかなかった。
「<プロテクト>、<ライトウエイト>。これで動きやすくなるはず。最初の一撃ならプロテクトが防いでくれるわ。それじゃ、頑張って」
これで正真正銘、ただの傍観者である。
耳をつんざく「無音」。
嵐の前の静けさなのだろう。
カーニヴォル、ミレ、マルナ。
3人の息遣いは緩慢になり、あるタイミングで、そろった。
カーニヴォルの踏み込み。
瞬間、すでに「打ち出されている拳」を避けながらミレは剣を振るう。
マルナは高く飛び上がり、天井に着地した。
2方向からの攻撃を仕掛ける二人。
6本腕を巧みに操り、防御と攻撃をこなすカーニヴォル。
もとより目に頼っていない彼からすれば、2方向からの攻撃を捌くことは容易かった。
「腕を切るのはまず無理だな。正面から防御を抜くのも、かなりきついな。だが、ノッテきた!どんどん行くぜ!」
少しずつ速度を増していく攻撃は、いつしか3方向からの攻撃と錯覚させ、ミレとマルナの影は4つに増えていき、瞬間に切り込まれる傷は5つになろうとしていた。
「今!<城壁突き>!」
マルナが槍を突き出しの形に構えた。
限界まで体を絞り、筋肉が連動する。
槍の直線上にあるのはカーニヴォルの頭部だ。
一瞬とも言えない、だがほんの少し溜めの隙をカーニヴォルが攻める。
ミレからの攻撃を無視して、1歩マルナに踏み込む。
マルナは構えを崩さずに後方へ跳ぶ。
すかさず、追うように2歩目を出すカーニヴォルだが、何かが足にひっかった。
完全に意識の外にあった足元。
体勢を前に崩し、つい膝と手をついてしまった。
「ほら姉さん。忘れたころの3度目はよく効くでしょう?」
鉄線だ。
カーニヴォルの右足に鉄線が絡まっていた。
「はいはい。……お前は俺より頑固だよ。行くぞ!」
「<城壁突き><四連>!」
「<断頭>!」
どちらのスキルも正確にカーニヴォルの顔面と首を狙っていた。
ならば、カーニヴォルは頭を守ればいいだけだった。
だが、体勢を崩したカーニヴォルと、それを狙っていた二人では動き出しのタイミングに差があった。
6本の腕が頭を完全に隠す前に、隙間を縫うように連続の突きと一閃が届いた。
「2連しか入らなかった!?でも……深く入った!」
「首を断てなかったが、これは治せねえだろ!」
顔面を覆う包帯ごと貫通した2つの突きは、しっかりと顔に穴をあけた。
そして攻撃の大部分を腕に防がれたミレの一閃だったが、首の4割ほどまで刃を入れていた。
ミレとマルナが、攻撃後に身を引くとほぼ同時。
ドプンッと顔面の穴と首から黒い血があふれる。
普通の血とは明らかに違う粘り気のある血が垂れ、床へ付こうとした。
その直前、タラムが叫んだ。
「腕の魔力が動いた!スキルを使うわ!」
その声に反応して、4人が身構えた。
ほんの少しの変化も見逃さないように、カーニヴォルに注視する。
変化は分かりやすかった。
床に付こうとしていた血が止まり、時間を巻き戻したかのように元あった場所に戻っていったのだ。
「やはり回復スキル。なら今の内に!」
マルナがとどめの追撃を加えようとした動きを、ミレが止めた。
「止まれ!急く必要はない。傷の回復だけならいいが、体力や疲労まで回復してたら ……こっちが食われるぞ」
「残る1つのスキルも回復なら、あと2度も追い込まなきゃいけないんですよ!」
「2度?……スキルが1つで?……ああ、かもな?」
そんな言い争いをしていても、カーニヴォルはまだ転ばされた後の膝をついたままだった。
その様子に違和感を覚えたタラムは、より注意深く観察をしていた。
なぜ立たないの?
内傷ダメージがある?見た目ではわからないわね。
魔力は……、腕に纏っている魔力が1つだけ。
いや、待って……魔力に動きが…………これは……。
「またスキルを使うわ!気を付けて!」
魔力の動きに気づいた瞬間、皆にそう告げた。
だが、それを後悔した。
気を付けて。それはある意味で「待て」ということだ。
そうではなく、今すぐにとどめをさせというべきだった。
タラムはその後の変化を見て、そう思った。
「魔力が、減らない?どうして……増えていくの?6本にすべてに魔力が戻っていく。いけない!これは!」
なぜ考え付かなかったのか。
よくあることだ。
6本の腕に6つのスキル。
すべてを使わせれば、その敵は弱体化したり、弱点を露出したりする。
だが、こういったモンスターもいる。
第2形態への移行だ。
カーニヴォルの顔面を覆っていた包帯がホロホロとひとりでにほどけていき、ポトリと数本の汚れた包帯が床に落ちる。
6本すべての腕に魔力が戻り、体には傷1つなくなっていく。
「やべぇなこりゃ」
ミレがそうこぼした。
その瞬間に、六腕の灰色の巨人が立ち上がった。
今までなかった素顔と、迷宮すべてを震わせるような咆哮と共に。
「オ゛オ゛オ゛オオオ――――――!」