まだ夜は明けない(2)
フィセラが盛大に寝坊する半日ほど前。
まだ陽が沈まない内、彼女たちと別れたミレとマルナはフラスクとは遠く離れたルルクエルという地にいた。
人間離れした俊足によって村を5つ、都市を2つ、領地を3個進んだ先にある場所だ。
その街の半分はあるのではないかという大きさの、ある貴族の邸宅。
その一室でミレとマルナは、ある貴族と深夜の密会を行っていた。
「今晩は使用人に暇を出していましてね。私が紅茶を作らなくてはいけないのですよ」
部屋の奥でミレとマルナに背中を向ける男がそう語った。
彼女たちからは見えないが、数種類の茶葉が入った透明なガラスのポットにお湯を注いでいる。
ゆっくりと注がれるお湯に茶葉が踊り、お湯はたちまち紅くなった。
紅い色が全体に馴染むのを待つと、男はポッドの横にあった小瓶の上に手を持っていった。
真っ赤なものや、黄色、紫、数本の透明なものもある。
いくつもある小瓶の上で手を右往左往させて迷いながら、1つの小瓶を開けてポッドの中に入れた。
すると、紅い色が少し落ち着き、良い香りが男の鼻に昇って来た。
「実は最近、紅茶の魅力に気づきましてね。使用人に淹れ方を教わっているのです。……さあ、お持たせしました」
男は高級そうなトレーにポッドを乗せて、3つのカップと共にミレ達の前に戻って来た。
「公爵様に振舞っていただけるとは…………、ありがとうございます。ラキオン様」
男は静かに頷きながら、2人の前にカップを置き紅茶を注いだ。
そうして、ようやく彼女たち正面のソファに腰を下ろす。
「メローで構いませんよ。我々は協力関係なのですから」
カル王国公爵、ラキオン・クエル・メローが最後に自分のカップへ紅茶を注いだ。
メローはミレとマルナに巨人たちの出現についての調査を依頼していた。
こんな夜に会っているのも、その調査で知り得た情報の共有のためだ。
当然、話す内容はその巨人たちに事である。それ以外の事柄は、彼に伝える必要はない。
「ジャイアント族は活発に動いているが、それはアゾク大森林のごく浅層でだ。外に出るとしても、近くの村と物々交換をする程度。……これっぽっちも怪しい動きはねぇな」
ミレは腰が沈み込むような柔らかさのソファに座りながら、報告を行っている。
背もたれに体重をかけ、両手を乗せている。
相手の貴族の位を考えれば、その態度は傲慢極まりない。
それでもメローはその態度を許した。彼女の立場ではなく、彼女が持つ圧倒的な実力を考えてのことだが。
「そうですか。では……冒険者協会で得られた情報はありましたか?」
その言葉に、ミレが目を細めメローを睨む。
怪しい雰囲気を醸しだしながら黙りこむ姉に代わり、マルナが応えた。
「私たちは協会を探っていたわけではありません。森へ近づくのに冒険者の身分があれば良いと考えての行動でした」
「そうなのですか。おっしゃってくだされば、いくらでもこちらからご支援が出来ましたのに」
互いに腹の内を下がるような2人の話し方に、ミレは我慢しきれず口を挟む。
「チッ、めんどくさいな。……どこかの誰かさんの要らない世話のせいで、こっちは面倒を被ってただがなあ?」
「それそれは、災難があったようですね。ですが、そのどこかの誰かさんは、一刻も早い調査の完了を願っていただけかもしれませんよ」
沈黙が部屋を満たし、メローとマルナは紅茶を口に運ぶ。
ミレはカップに触れもしない。
「それで……、進展は?」
「村で聞いた。奴らは山の裏から来た」
「………………?簡潔にどうもありがとう。できれば、もう少し、こう」
メローは視線をマルナに移す。
マルナは姉の態度にため息をつきながら、その詳細を語る。
「アゾク大森林の巨大な山を見たことはありますか?森のさらに奥にある山です。確か、白銀竜とも関係が……」
メローは大きく頷いた。
「実際にこの目で見たことはありませんが、あそこに大山があることは知っています」
「ジャイアント族は長い……長い間、その山の裏で暮らしていました。ですが、最近になって…………あるモンスターとの衝突によって、森の出口付近まで避難してきたのです」
「モンスターとは?」
マルナはメローの反応を逃さぬように、しっかりと目を合わせてから口を開いた。
「ゴブリンです。山の裏にはゴブリンもいたのです」
メローは目の色を変えた。
新たな情報を聞いて、頭の中である考えを作っているのだ。
「それほどの長い間共存を?まさか巨人がゴブリンと「関り」を持っていたということですか?」
ずっと黙っていたミレが身を乗り出した。
「互いに「関わらない」という約束をしていたんだ!……仲良く一緒に暮らしてたなんてことがあると思うか!?」
「ええ。そうですよね…………当然だ」
ミレの言葉を聞いて、メローが一瞬浮かべた考えは消えていった。
「それらのことは誰から?巨人たちが村人に話したのですか?」
その質問にミレとマルナは目を合わせる。
ミレが頷き、マルナも了解した。
「アゾク大森林に最も近いラガート村で、そこへ訪れていたあるジャイアント族の一人に話を聞きました」
「接触を?」
「ダメか?」
ミレが鋭い視線をメローに送るが、メローは穏やかにそれを流した。
「いいえ。正確な情報を得るのに必要なことです。それで……」
メローは少し興奮気味に言葉をつづけた。
まるで、一番知りたい情報がそこにあるかのように。
「その彼はなにか」
「女だ………、俺らが会ったのは女だ」
ミレが間髪入れずに訂正を促す。
「……失礼。では、その彼女はこのカル王国について何か話していましたか?」
マルナがいいえと首を横に振る。
そこで話を終わらせれば良かったが、ミレがメローに噛み付いた。
「何かって?そんな曖昧に言わなくてもいいぜ、しっかりと聞けよ。大昔、王国が巨人の一族にした行いを今も覚えていたか?ってよ」
カル王国建国の時。
帝国から命じられたモンスター退治。
魔王を名乗るゴブリンとの戦争。
その末に大将軍へ与えられた王国。
その続きへ書き記されるはずの隠された歴史をミレが口にした。
だが、メローは驚くことも無く、なんの反応も示さなかった。
ミレやマルナが本気で調査を行えば、その程度の秘密は「秘密」にはならない。
メローはそのことを理解していたし、彼女たちもメローが自分たちのことを分かっているということを分かっていた。
緊張の面持ちを持たずに優雅にカップを傾けるメローへ、ミレが言葉を続ける。
「偽の歴史書などいくらでも作れる。人の記憶などいずれ薄れて消える。それでも、過去はそこにあり続ける。……歴史は変えられないぞ」
「あなたの言うとおりです。ですが、その歴史が「守り残し伝えていくべき歴史」かどうかは、考えなくてはいけません」
「ふざけるなよ?歴史ってのはこの世界で起こった真実なんだ。テメェの都合で変えられるもんなら、それはただの物語だ」
「国家が民に与えるのはいつだって物語ですよ。それも、夢のようなね。そして同時に、それが責務でもある」
「国のあり方を分かったつもりか?……短命種が!」
「姉さん!」
マルナが慌てて姉を落ち着かせる。
話し合いの白熱ならまだしも、喧嘩になってしまうなら黙って見ているわけにはいかなかった。
その2人を見ていたメローは、その顔に笑顔を浮かべた。
決して彼女たちを笑うものではなく、相手の警戒を解くための笑みだ。
「今日の紅茶にはリラックス効果があります。冷めない内にどうぞ」
ミレの前に置かれた、まだ少しも減っていないカップを示す。
その勧めにミレは一瞬怒りを再熱させようとした。
挑発にもとれるメローの誘いだが、相手にその気があるのかどうかは顔を見れば分かる。
「……いらねぇよ」
「そうですか…………、残念です」
メローは心底悲しそうな顔を浮かべながら、自分のカップに新しい紅茶を注いだ。
「それでは、調査の続きを依頼しましょう。大森林近隣の村で巨人と接触を果たしたのなら、次は大森林の中へ入ってもらいます」
ミレとマルナは返事をしなかったが、話はしっかりと聞いていた。
その目は話を続けろと言っているようにも見える。
メローはそれを2人の了解と受け取った。
「森の中に巨人がどれだけいるか。集落をつくっているのならその状況、建物の様子、普段の行動。そして、もしあるのなら…………彼らや彼女らが持つ武器の数を調べて欲しいのです」
武器、という言葉に2人がかすかに反応をしたが、メローは気にしなかった。
それは遠くから観察するだけでは知り得ない情報だ。
今までとは違う危険性を孕んだ調査でもある。
「分かった。だが時間をくれ、俺たちの方で潜入するルートを探す」
ミレが素直に頷く。だが同時に、条件を出した。
今までも同じようなことがあったし、危険度を考えれば至極真っ当な条件だったが、メローは首を横に振った。
「私もそうしたのですが、あまり時間はありませんよ」
2人が不思議そうな顔をすると、メローは先ほどまでとは変わった深刻そうな表情で彼女たちに向き直った。
「サロマン様が2日後に大会議を招集なされた。ついに陛下の耳にも、巨人出現の報告が入ったのだろう。私の方でいくらかそれを遅らせていたが、もう遅い。これは王族、将軍も参列する大会議です。巨人どもをどうするのか、と言う話が出たらその場で国の意思が決まってしまう」
2日か、とミレが言葉をこぼす。
マルナもその時間でどれだけのことが出来るのかを計算している。
その様子を見て、メローが話を続けた。
「お二人に思惑があるのなら、急いだほうがいい。我らとあなた方では、進みたい方向が違うようですから…………」
両者は決して敵対関係では無い。
だが、仲間でもない。
そんな厚い壁が彼女らの間にはあるようだ。
ミレが立ち上がり部屋を出ようとする。
マルナをメローに頭を下げて姉を追う。
メローもソファから腰を上げて、2人の背中へ声をかけた。
「会議が終わればすぐにここへ戻りましょう。何かわかったなら、いつでも来てください。…………フラスクまでの馬を用意していますが」
「要らん、走った方が速い」
「おお…………、流石です」
玄関を出て庭を抜けてようやく、邸宅の外に出た。
マルナが振り返ると、ちょうど玄関の扉が閉じるところだった。
その隙間からはいまだメローがこちらをまっすぐに見ている。
マルナは姉の名を呼び、振り返らせた。
メローは微動だにせず、ミレも視線を逸らさない。
「奴は……、ジャイアント族を完全に滅ぼすつもりだ」
そうして、扉が閉まってから、ミレは口を開いた。
「ジャイアント族にゴブリンとの関りが少しでもあれば、この2つを同じとみなしてただろうな。真っ当な口実を欲しがってるだけ、ちっとはマシか」
「ですが、公爵のおっしゃっていたようにもう時間がありません」
「分かってる。セラ達が「使える」かを今日で試す。アレと戦えるかをな」
ミレが言葉を濁しながら、頭を掻きむしった。
「はあぁぁ…………、あの公爵さまにも教えてあげるか?本当はゴブリンの千倍ヤバイのがジャイアント族のバックにいるってよ」
「それが知れれば、彼らはカル王国の恥部ではなく、世界の公然の敵となってしまいます」
「ジャイアント族を救えるのは俺らだけか」
マルナは返事をしなかった。
カル王国に居るのは救おうとしない者達だと口にする必要はなかったのだ。
月だけが照らす街道を2人が駆ける。
夜の闇に溶けこみ、夜風よりも速い。
このダークエルフには、月の光さえ追いつくことは出来なかった。
ミレがふとマルナに声をかけた。
「帰り道の途中に「他の依頼者」はいたか?」
「ヌース家と商家のアバンダリがいますが、寄るのですか?」
ミレは背後に視線を送りながら、小さく呟いた。
「公爵にもこれぐらいのことは、教えてやらきゃかわいそうだろ?」
メロー公爵の領地から、彼女らを追い続ける「影」が乱れる。
だが、彼女の言葉を聞いて影が逆に安定し始めた。
「知りたいなら教えてやる。だが悪いな、こっちにもあまり余裕が無くてな、ゆっくりしてやれねえぞ」