湖の怪物(5)
「お前さっきまで剣を持ってなかっただろ?どっから……?、その剣は……」
ミレはフィセラの手に握られている剣を見て言葉を切った。
「取ったのか?あの瞬間、アイツから?」
ミレは尋問をするかのような雰囲気で詰めてきた。
「いや?ずっと持ってたけど」
フィセラは何故か、意味もなく誤魔化そうとする。
だが、ミレはその剣に見覚えがあった。騙すことは出来ない。
「嘘つけ!さっきシーサーペントの牙に挟まってるのを見たぞ」
「へぇ〜、よかったじゃん」
急に興味なさげな反応をするフィセラ。
この情緒の不安定さそこが相手を揺さぶる手段。あるいは、ただ下手な嘘をつくのに急に飽きただけなのかは、定かではない。
もはや自分を馬鹿にしているのでは、とミレがワナワナと怒りを覚えて始めた時。
「セラ様――!ご無事ですか?!」
シオンが大声を出しながら駆け寄ってきていた。
「そんな声出さなくても聞こえるよ…………、あ!」
その時、フィセラとシオンの間に影が浮かび上がる。
シーサーペントの影だ。
頭の向きを考えると、次はシオンをターゲットにしたらしい。
フィセラの斬りつけは浅い傷ではない。
それに顔にできた傷は泳ぐたびに水によって体に押し付けられて痛む。
それでも、この巨体ほどの体からすればその程度の傷はとても小さな軽症だ。
しかも、水の中であれば体力の回復は早く、傷もふさがり出血も止まる。
常時水の中で生息しながらそんなバフもあるというのは不公平なのか。
それとも、この湖こそがシーサーペントのテリトリーであり、彼のホームでもあると考えればその能力を出現させるのは必然か。
フィセラにはそんなことを考える暇はなかった。
ほんの数秒で再攻撃を仕掛けて来たシーサーペントが、自分ではなくシオンに向かっていると気づけばなおさらである。
「また来た!そっちに行ったよ!」
「はい!…………、申し訳ありません!下がります!」
おかしな言い方をしながらシオンが元来た方向へ戻る。
後ろにいるのはタラム。シオンは彼女の近くに戻ったのだ。
フィセラはその様子に感心していた。
――冷静ね。もともと2人で冒険してきたなら当たり前か。……問題は無さそうね。
戦闘中に駆け寄って来た時は緊張感が無いのかと思ったが、それは戦場慣れから来るものかもしれない。
フィセラがそんな事を考えてると、水面がざわめき出した。
シーサーペントが水面に近寄ってきたにしては、水の乱れが広範囲である。
つまり、またしても撹乱を仕掛けて来たのだ。
「タラム!私から離れるなよ」
シオンがタラムの前に立ってそう叫んだ。
剣先は波打つ範囲のおよそ中心に向ける。これなら、何処から頭が飛んでこようと対処できるはずだ。
シオンの額をツーと一滴の汗が流れる。
緊張しているのだ。
それも仕方ない。
彼女たちNPCには、圧倒的に戦闘経験が無いのだ。
もちろん、設定された知識はある。所持しているスキルや魔法の効果は理解しているし、それらをどのタイミングで使うべきかの戦略も立てられる。
それでも消えない不安。
自らで剣を構え、敵を討つ。
この経験の不足が形となって、ゆっくりと体を支配し始める。
体は硬くなり、剣先の向く方向が正しいのか判断出来ない。まるで、体が浮いているような感覚が襲ってくる。
そんな緊張を解いたのは、仲間の声だった。
「離れるべきで無いのは貴方の方です」
「…………え?」
その声はあまりにも落ち着き払っており、どこか冷たさを感じさせた。
そんな声が逆に、スンッとシオンの心を落ち着かせたのだ。
「私はあのモンスターから逃げるだけならどうとでも出来ます。失礼ではありますが、あのお方の目さえ無ければ討伐は容易でしょう。ですが貴方の場合……、下手をすれば死にますよ」
シオンはゴクリと息を飲んだ。
それほどに、タラムを名乗る練士ルビーナ・ラムーが告げる真実の言葉は強力だった。
だがやはり、その言葉はただの言葉に過ぎない。
シオンが屈することはあり得ない。
「だから引けと?貴様の背中に隠れろと?……舐めるなよ。我こそが城門の守り人、エルドラドの守護者だ。この私が誰かに護られることなど絶対に無い!」
シオンが剣を正中に構える。
足は(水上歩行の効果によって)水面をしっかり掴み、その構えに乱れは無い。
闘気を放つ姿は、目の前のシーサーペントを斬り伏せることが出来るのでは錯覚するほど大きく見えた。
その背中を見ながら、タラムは優しく語りかける。
「この子はどうして怒っているのかしら?私が言ったのは、2人で協力しましょうということだったのだけれど……」
「…………」
シオンはまるで聞こえていないかのように、真っ直ぐ前を見て構えを解かない。
「私から離れないで欲しい理由は、私の支援魔法の付与が近距離でないと出来ないからよ。……手伝ってあげるから、どうにかしてみなさい」
「どうにかとは?」
シオンが反応する。
喧嘩をする意味も、意地を張る意味も無いことにようやく気付いたのだ。
タラムがシオンの背中に隠れて、後ろから耳打ちをする。秘密の話のようだ。
「現在、私たちはアイテムで強制的にレベルダウンをおこしているわ。フィセラ様の御前でそれを解除することは出来ない。そこで聞くわね。貴方はこの状態で、アレの攻撃を防ぐスキルは持ってる?」
シオンは一瞬考えそぶりを見せる。
その瞬間だけ剣を握る手が緩み、剣先が微かに振れた。だが、すぐに力は入れ直され剣筋ピタリと止まった。
「<ガードソード>がある。これは剣士系統のジョブなら誰でも持つ万能スキルだが、それだけに使い勝手は良い。その効果は」
「説明はいらない」
タラムはシオンの話を遮った。
「前衛は全て貴方に任せるわ。私はスキル効果上昇と防御力上昇の魔法を付与する。それで良いわね?」
「……充分だ」
「<プロテクト>、<防御力上昇>、それと<スキルカバー>」
タラムは宣言通りにシオンへ支援魔法を行使する。
タラムの杖が3色に光ると、同じ光がシオンの体を覆った。
「こんなものかしら」
その時、タラムやシオンから見て右方向で大きな水飛沫が噴き上がった。
ドン!
ドン!
立て続けに3本の水柱が上がる。
その2本目、3本目は明らかにシオン達の方へ向かって来ていた。
「…………来る」
タラムが4本目の水柱が立つだろう位置を推測する。
推測通りなら、それはすぐ近く。
タラムはそう考えて、右からの接近に警戒を強める。
その時、シオンが叫んだ。
「違う!!」
ほぼ同時。
シオンの正面、十歩前方にそれが突然現れた。
水面を揺らさず、音さえ立てずに、シーサーペントが突進して来たのだ。
高速。
不意打ち。
それだけならば対処は出来る。
だが今、シオンを悩ませる要素がもう1つあった。
それはシーサーペントの巨大さだった。
「ちょっと待て、こうして目も前にすると……、これは……無理!」
シオンはつい弱音を口にしてしまった。
シーサーペントが限界がまで口を開いた大きさは、シオンの身長(ダークエルフ達を含めたこの場にいる者たちの中でも1番高いだろう)を優に超えていた。
つまり、どれだけ手を伸ばしても剣が触れる高さではなかったのだ。
牙ははるか頭上。
剣を振り回して牽制しても、刃が肉に触れる距離はすでにシーサーペントの口の中にいるだろう。
この突進速度では、瞬き1つすればもう間に合わない。
シオンは隙を見つけようと、突進するシーサーペントを目を見開いて観察した。
どうする?
爪や尻尾の攻撃なら防げるが、まさかそのまま飲み込もうとするとは……。
いや!こんなこと考えている暇は無い!
他の攻撃スキルを……。
ダメだ。タラムの支援は防御スキルを想定して付与されている。
コイツとのレベル差では、支援なしのスキルは弾かれる。
なら選択肢は無い!
やるしかないのだ。
「<ガードソード>!!」
シオンの詠唱に従い、すぐにスキル効果は現れた。
このスキルは剣を盾に変えるものだが、剣そのものの形を変えるわけでは無い。
剣の刃に魔力の膜で作られた防護シールドを形成するというスキルなのだ。
普通なら青白いシールドが生成されるはずだが、今はタラムの<スキルカバー>によって青みを増した(性能が上がった証明である)シールドがシオンの手に握られている。
相手が何だろうとやるべきことを変わらない。
そう考えたシオンの頭は冷静だった。
コイツの驚くべき能力は、その頭の良さだ。
だとしても、ここまで静かに近づくのは簡単じゃ無いはず……。
水音もさせずに近づくには、頭が水に触れないように泳ぐ必要がある。
その巨大さに、私はつい上を見上げたが……。
下顎も水面上にあるはず!
手の届く距離に!
シオンの考えの通り、シーサーペントの下顎は水面ギリギリを滑っていた。
牙こそ大きいが、それでも剣を正中に構えていては触れられない低さだ。
シオンはクルッと手首を回して、剣を下に向ける。
「正面から止めるのは無理だ……。力を流すしか無いが、どちらに?右?左?……、いや!横方向じゃこちらも巻き込まれる!ならば!」
剣を水面に突き立てるように構え、手元を持ち上げる。
剣先を下に向けたが<ガードソード>の効果は健在だ。
その形はまるでシールドを斜めにした滑り台である。
だが、それは下に滑るためでは無い。
それは上に滑らせるためのものだ。
シーサーペントから見ればジャンプ台となる形だが、あまりにも小さく心許ない。
それでも、シオンに不安は無い。
「……いける!」
体勢は整い、心も決まった。
そしてそれはシーサーペントも同じはず。
ならば後はぶつかるだけだ。
ドーン!!!!
シオンのシールドにシーサーペントは真正面からぶつかる。
シオンは飛ばされないように強く踏ん張った。
足場は不安定だが、<水上歩行>が支えてくれている。
それによってシオンの後方にほ大きな波紋が反動として広がっていった。
力は足りてる。
シオンがそう思った。
だが、シオンの背から見ていたタラムの考えは違った。
「やはり足りなかったわね。これじゃあこの子は保たない」