湖の怪物(3)
「タラム。やるぞ!」
そう言いながら、シオンが剣を抜き放つ。
腰に掛けるには少し大きい長剣である。そのため今まで肩に掛けていたのだが、それを手に持って鞘から抜いたのだ。
剣の腹に太陽の光があたり、少し変わった色を反射する。
この時のフィセラは知らなかったが、それこそが魔力を帯びた武器のわずかな変化であった。
そんな長剣を右手に握りしめるシオン。
フィセラはその彼女をこっそりと見ていた。
――あれを見ても戦おうとするのね。<普通のモンスター>を見たことないから、あんまり分からないけど、結構ヤバめの方じゃないのかな?
シオンとタラムの方が異常なのでは、と考え始めた時、2人とは違う話し声が聞こえてきた。
そちらを確認すると、声の主はあのダークエルフたちだった。
――まだ残ってる?うわ、剣構えてるよ。……もしかして、あのシーサーペントそうでもない?いや、みんながほんとは超強い?
そう思ってフィセラはあるスキルを発動させる。
「<上位鑑定>」
元から、戦闘前には確認するつもりだった彼女たちのレベルを確認する。
それを疑問に思った今がベストタイミングだ。
まずは目の前の敵モンスター、シーサーペント。
――体力はまあまあ有る。逆に魔力はほとんど無いわね。レベルは、71?これは、高い……のよね。
次にフィセラが見たのは、タラムとシオンだった。
今思い出してみると、彼女らを鑑定したことは無かったのだ。
上位鑑定は、対象の正体を見破る魔法ではない。だが、ステータスを見るだけでも、どういった人物なのかの推測の一助にはなるはずだ。
ならば、ここで確かめておくべきである。
――タラムが63レベルで、シオンが45か。随分と差があるわね。タラムの方が強いっぽい感じはしてたけど……63…………、なーんか高すぎる気がするのは、気のせいね、多分。
最後にダークエルフの双子に視線を向ける。
そこまで気になる2人では無かったが、シーサーペントと戦おうとしている限りは力量に自信があるのだろう。
それに、今から共闘をすることになるかもしれない相手だ。
自分達との差を知っておかなければ、思わぬ失敗を犯してしまうかもしれない。
――……あれ?
フィセラが視線を向けてすぐにエルフ達はそれに気づいた。
真顔で睨むわけにもいかず、にこやかな顔を作る。
だが、頭の中は混乱していた。
――8?……85?2人とも?……おかしいなぁ、壊れた?
信じがたい数値が視界に入りフィセラは魔法が正しく発動しているか疑う。
目頭を抑えてマッサージのようなことをするが、それで何か変わる訳が無い。
――だって、この前森に来た四極だか三極が70いくつだったはず。彼らが王国最強でしょ?なのにこいつら…………。
80レベルを超えられるはずがない、などとは言わない。
その存在はある程度予測できていた。
そのレベルの希少性も理解していた。
だからこそ、世界最高レベルの2人の強者が偶然にもここにいるという事実は驚くべきものだった。
ゲナの決戦砦を出る前に、ヘイゲンはこの世界の「強者のレベル」について語っていた。
その会話が思い出される。
「国の代表や英雄となる者らは70レベルを超えるでしょう。ですが、それが「人間」の限界と考えるのは時期尚早です。現に、白銀竜やゴブリン王などの「この世界の生物」が80レベル後半に到達しております」
「そうだね。……人に限界は誰にも決められないよ、て誰がが言ってたなぁ〜〜」
「ふむ。その者は信頼出来るものでしょうか?」
「ギルメンの誰かだと思うよ」
「なんと!……失礼しました。で、あるならば、我らの警戒レベルを引き上げる必要があるかもしれません」
「…………冗談よ」
とにかく……お気をつけて、とそんな会話をした記憶が微かにある。
フィセラのほんの少しの動揺の隙に、ダークエルフがこちらに近づいてきていた。
こちらの視線に気づいて近くに来ていたらしい。
「あの監督員曰く戦う必要はないらしい。だが、やる気があるなら止めない、…………どうだ?」
ダークエルフの1人が右手を差し出した。
この問いに答えるなら手を握れ、ということだ。
珍しく空気を読んだファセラが、がっしりと力強く手を握る。
「……セラよ」
「ミレ・ダイヤメッキだ。ミレでいいぞ」
「ダイヤメッキ?どういう意味?」
フィセラはつい思ったことを口に出してしまう。
それに対して、ミレは答えずにもう一人のダークエルフに任せた。
「こんにちは、妹のマルナです」
マルナはスッと無駄のない動きで右手を出した。
フィセラはミレとの握手とは違う、軽快な握手を交わす。
「ダイヤメッキと言う名前は、実のところ、昔お世話になったある家族の姓なんです。つまり、私達は勝手に名乗っているだけなのです。なので、すみません、意味についてはあまり…………。どうしてお聞きに?」
アンフルでのエルフの名付け方には、「自然」から姓を取るというルールがあった。
エルドラドのNPC・ベカやカラの苗字にフォレストとついているのは、植物の多くを内包する「森」と同等の地位や素質、実力を持っていることを示しているのだ。
ダイヤメッキ。
それが何らかの植物、自然現象、あるいはダイヤモンドと言う鉱物に関係するのか。
フィセラの問いは単なる興味から来た質問だった。
「……あんまり聞かない名前だったから、さ」
「そうですか…………」
マルナは姉のミレとは違い、目の奥の何かを隠しているような反応をする。
フィセラの苦手なタイプだ。
そうして、初めて会ってからようやくの挨拶を交わしているとシオンがフィセラの仮の名前をを呼んだ。
「セラ様。モンスターが潜りました」
そう言われて、シーサーペントがいたはずの方向へ視線を送ると確かにその姿は無い。
その代わりのように水面には大きな波紋が広がっていた。
「それと、潜行しながらこちらに向かって来ております。かなりの速度です。……切りますか?」
「……できるの?」
そう言った瞬間、フィセラ達の目の前の水面がボコッと盛り上がった。
まるで巨大な何かが下から顔を出そうとする前兆のような、そんな水面の変化に面々は素早く反応をする。
「それじゃ、セラとやら!テキトーに頼むぜ!」
「姉さん、作戦は……」
「ない!」
ダークエルフの会話が終わると同時に、巨大な顔が勢いよく水面から飛び出した。
今更どれだけ体勢を変えようと、巨大なシーサーペントが広げた口から逃げることは出来ない。
そんな至近距離まだ迫っていたのだ。
ミレに至っては反対方向を向いてしまっている。
2人にそれの牙が触れると思った瞬間。
フッと姿が消える。
その瞬間を見ていたフィセラだけは、2人を目で追っていた。
横や後ろではない、上に飛んだのだ。
それは魔法的な回避では無い。
単純な素早さによる回避だった。
上に飛び上がった2人が見下ろす中で、シーサーペントは素早く狙いを変更する。
目の前にいたはずの2人がどこに行ったのか、口の中に入ったのか、逃げたのか、それは分からなかった。
だが、まだ3人いる。
地面を這う速度を落とさなければ、このまま突撃出来る。
シーサーペントは次の目標をフィセラに変えた。
ミレとマルナの動きを目で終えるフィセラが、そんなシーサーペントに捕まるはずも無い。
エルフ同様にこちらも、音より速く後ろに逃げる。
常人が見れば、エルフたちとフィセラに違いはないだろう。
だが、フィセラの回避によって地面に付けられた2つの深く凹んだ足跡を見れば分かるはずだ。
エルフよ素早さと技術、そしてフィセラの素早さのみの動きの違いというものが。
シオンはずっと身構えていた。
主人であるフィセラが戦おうとするなら、彼女の盾となるべくいつでも前に立つことが出来るようにするためだ。
だが、フィセラは回避を選んだ。
ならば、彼女もそれに従うべきである。
シオンも後ろに跳躍することでシーサーペントの軌道上から逃れた。
魔術師であるタラム1人を残したまま。
まったく!
貴方は私の護衛でもあるのでしょう?
どうして、1人でモンスターの前に立たせるのかしら?
勝手に避けろと?
まぁ、出来ないこともないけれど……。
タラムはため息と同時に魔法を発動させる。
「<オーバースロー>」
鈍い紫色の光が杖から発せられる。
その光がしっかりと対象を照らせるように、タラムは杖を振った。
するとシーサーペントがありえない動きをし始める
物理的にありえない急減速だ。
体を地面に擦り付けて減速したならまだわかる。
だが、砂埃などはひとつも上がっていない。
シーサーペントだけが、速度を落としたのだ。
静止、とまでは言えないがシーサーペントの動きは十分に緩慢になった。
これならば、身体的にアドバンテージの無いタラムでも、その軌道から外れることは容易だ。
トットット、と軽やかに駆け足でフィセラの下へ近寄る。
その間もシーサーペントは遅いままだった。
タラムは途中で立ち止まり、急な方向転換があっても対処可能という距離をとったのを確認して、もう一度杖を振る。
「解除」
すると、人の歩行速度よりも遅かった巨体が、一瞬にしてゴォゥと風を鳴らすほど速度に戻った。
シーサーペントはそれ以上、獲物を追いかける事はしなかった。
これ以上地面に上がり続けるのは、自身が危険だと判断したのだ。
顔から湖に飛び込むと、体もそれに着いて行った
全く同じ軌道を通るではなく、少しずつ体全体が湖に寄っていき、ついに全身が水面の下に潜っていった。
身体を引きずった跡が湖を境にして半円になっている。
同じような跡が、フィセラたちの後方、男たちがいた所にもある。
おそらく、湖の周りを探せばいくらでも見つかるだろう。
事実、上空へ飛んだダークエルフの双子の視界には、奇妙な半円がいくつも入っていた。
エルフの羽のように軽い身体がゆっくりと降下していく。
その間に、ミレがマルナに話しかけていた。
「今のは支援魔法で自分の速度を上げたのか?それにしては……」
「ええ、あり得ないことですが、反支援魔法をモンスターに付与したのでしょう」
マルナも同じ光景を見ていた。
落ち着いているように見えるが、動揺は同じだ。
「は?ただの支援魔法でも、味方がそれを受け入れるって意識しないと掛からないだろ!反支援なら、なおさら……、ましてやこんなレベルのモンスターには……」
ミレは神妙な面持ちで、フィセラやタラムを観察している。
だが、いつまでも飛んでいられる訳もなく、2人は重力に従って下に落ちる。
2人の下は地面ではなく、水面だ。
シーサーペントから避ける時に、少し角度をつけて飛んだのだろう。
2人の反応からするに、泳げない、なんて事はないだろうが、シーサーペントがいる中に落ちてしまうのは危険だ。
だというのに、未だ2人の顔に焦りは無い。
そしてその顔は、崩れず、濡れる事さえもなかった。
2人は水面に着地したのだ。
沈むこともなく、そこに立ったのだ。
これもやはり魔法ではない、スキルでもない。
単純な技術、つまりは身体の使い方が上手いというだけで、水の上に立ったのである。
白波さえ立つことを許さない着地。
うっすらと波紋が広がる中心で、ミレは続きの言葉を口にした。
「こりゃ……もしかして、当たりか?」
ミレは先ほどまでの怪訝な顔が嘘のように、フィセラ達を見ながら口角をあげた。
マルナはその変化がなにを意味するのかをしっかり理解した上で驚いた。
「彼女らを引き入れるのですか?黒星を待つと言ってたじゃないですか?いいのですか?」
「その黒星が捕まらないんだから仕方ないだろ!灰の獣槍はあちこち遠征してるし、超大剣はドワーフ共の国に行っちまったし、サタナキアの旗下は……あれは信用できない」
マルナは考え無しの姉の発言に、珍しく語気を強める。
「信用という点では彼女たちも同じでは?彼女たちがまお……、巨悪に立ち向かえると?」
「それをこれから確かめるんだ」
ミレの目は狙いを定めた獣の如くである。
こうなってしまった彼女は妹のマルナでも止められない。
ため息を吐きながら、マルナは姉に従うことを決める。いつも通りに。
「分かりました。今日のところは、実力を測りましょう。私たちはアシストにまわって、彼女らが動けるようにします……、手加減してくださいね」
「んな事は分かってる!…………マルナ、いくぞ!」