湖の怪物(2)
「シーサーペント?奴らは何を騒いでるんだ?」
フィセラ達の前方を歩いていたダークエルフの双子が騒ぎに気づいた。
何をしているのか、と振り返ってすぐにそれが目に入ってきた。
「うぉぉ!シーサーペント!」
警戒の外にいた巨大モンスターを見て、つい驚いてしまう。
姉は大袈裟にのけぞりながら反応していたが、妹の方は冷静に観察をし始めていた。
「あれはいったい何でしょうか?」
シーサーペント。
海の巨大蛇。
アンフルにも同名のモンスターは存在していた。
それは確かに、海洋を根城とする巨大な怪物だった。
現実に轟く伝説をもじったそのモンスターは、巨大な弩級魔動戦艦に何周も巻きついても余りある体長、そして戦艦からの多重攻撃を物ともしない体力を持っていた。
いわゆるボス級モンスターだ。
だがフィセラは理解していた。
この異世界とアンフルとの違いを。
事実、目の前のモンスターはあのシーサペントではない。
正確にいうと、シーサーペントでもない。
レイクモレイ。
湖に生息するウツボに似たただの魚である。
それが過成長によってここまで巨大化してしまい<モンスター>に変化したのだ。
冒険者協会はこの事実を正しく把握しているが、「成長しすぎたレイクモレイ」などと名付けたりはしなかった。
フィセラが一目見て叫んだ、「シーサーペント」と言う名を付けていた。
その名に偽り無し、そう判断したのだろう。少なくともこの体躯はその名の通りのものであるのだから、と。
ダークエルフの姉はすでに落ち着きを取り戻している。
洗練された動きで腰に吊るした剣を抜き放った。
そして流れるように切先を持ち上げる。
向けた先にはシーサーペント、ではなく監督員とカップルの試験者がいた。
「あんたらは下がってな。今、死にたくないだろう?」
彼らでは相手にならない、そう思っての優しさからの忠告だ。
その言葉に素直に従って、アルノルド以外の3人が駆け足で湖の反対方向へ離れていく。
怖い顔で向けられた剣が怖かったのかもしれない。
そんな中で、アルノルドだけは一歩も動かなかった。
恐怖により立ち尽くしているように見えるが、自分の意思でそこにいるようにも見える。
「思い出した!湖の怪物!そうだ……、確か、黒星の冒険者・灰の獣槍が受けた依頼じゃねぇか!エリンの奴黙ってやがったな!?」
アルノルドはそう激昂しながら双子を見る。
「申し訳ありません!これはこちらの不手際です。言い訳もできない。とにかくここを離れましょう!今なら全員無事に、」
「それは無理だな。もう手遅れだ」
エルフの姉は剣を持ち上げて、次は反対の方向、フィセラたちがいる方向へ向けた。
アルノルドも顔をそちらに向ける。
そこでようやく、男たちが居ないことに気づく。
「彼らは?」
「丸呑みだな」
ケロッとした様子で答えが返ってきた。
「いいえ、姉さん。水の中で咀嚼をしたようですよ。歯に剣が一本引っ掛かっています」
「あ、ほんとだ」
シーザーペントの歯に、剣の鞘に結んでいた革紐が挟まったようだ。
剣が一本、下唇の上にのかっている様子である。
そんなことを視認出来るはずもないアルノルドは、緊張感の無い会話に割って入った。
「なおさら、ここを離れるべきです。あれの討伐は黒星案件で」
「じゃ…………楽勝だ」
本当にそう思っているように、エルフはその言葉を口にした。
呆れと驚きの混ざった顔のアルノルドに、エルフの妹の方が優しく声をかけた。
「さぁどうぞ、お下がりください。あのモンスターでも、彼女らの位置までは這って行けないでしょう」
妹の視線の先には、先に避難したエリンやカップルがいる。
いつのまにかそこまで離れたのか、湖から200メートルは距離がある。
そこまでの距離を避難するのなら、彼も早く動く必要がある。
だが、アルノルドはゆっくりと後ろ向きで下がるだけだった。大胆不敵なダークエルフの双子に気圧されているのだ。
「あ、あなた方が何者なのかは知らない。これは、協会からの依頼でもない。なにが起ころうと我々は」
責任を取らない。
彼女らは死のうとしている。
少なくとも彼の目には、2人のダークエルフはそう見えた。
「ああ分かってる。……倒しても問題はねぇてことだろ?」
「…………そう、いうことでもあります」
アルノルドの歩幅が大きくなり、少しづつ湖から離れていく。
そこで、まだ他の試験者が残っていることに気づいた。
「彼女たちも早く避難をしなくては!」
「向こうも問題ねぇよ。気にするな、…………もう行け。邪魔だ」
姉がそう言った瞬間、ちょうど向こうにいる3人の試験者の1人が剣を抜いた。
意気揚々とした姿からは、そこから引く気は少しも感じられなかった。
普通ならここで、自分から死ぬつもりか、とでも言って非難するべきだろう。
だが、これ以上何かを言うつもりは起きなかった。
いまだに湖から顔を出したまま動かないシーサーペントよりも、それを殺そうと準備する彼女らの方が恐ろしく見えたのだ。
「……おかしいのはおれか?」