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最悪の魔王を誰が呼んだ  作者: 岩国雅
黄金を求める冒険者たち、饗宴と死闘の果てに
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冒険のはじまり(6)

 いつのまにかゴブリンは走っていた。

 全速力でフィセラから逃げていた。

 わずかな理性が死を覚悟しても、モンスターとしての本能が生きたまま死ぬことを許さなかった。

 限界を超えて走るゴブリンの速度は凄まじいものだった。

 不幸にも相手がフィセラでなければ、逃げ切ることができただろう。


 そして、彼には不幸がもう1つあった。

 限界を超えた肉体、研ぎ澄まされた聴覚が最悪の言葉の続きを聞いてしまったのだ。


「永遠に生きるといい……この蛇の腹の中で……<<ユハタン>>!!」

 この時、フィセラの背後にギラリと光る何かが浮かび上がった。


 光源もないのに光る2つのそれが巨大な蛇の瞳だと、ゴブリンたちが知るのは、それの口が大きく開いた後だった。

 

 

 蛇の体は洞窟の直径とほぼ同じ大きさだというのに、ゴブリンを追って這う速度は音速の如くである。

 

 瞬きの内に、フィセラに迫ろうとしていた20のゴブリンが食われた。

 一呼吸の内に、洞窟の坑道に散らばっていた50のゴブリンが食われた。

 フィセラが口にした名の響きが消えない内に、尾の無い蛇・<ユハタン>は洞窟の最下へと到達したいた。


 そこには残る全てのゴブリンがいる。

 集結していたのだ。

 何度目か忘れるほどの、冒険者の来訪に備えてなのか。

 侵入者を罠にかけようと待ち構えているのか。

 いいや、違う。

 ただ、逃げているのだ。


 洞窟の最下にある大空間はただの避難所である。

 集まったゴブリンの中で武器を持っているのは1体のみ。

 それも、過去に訪れた冒険者が置いていったなまくらが1本だけ。

 

 フィセラと遭遇した偵察役のゴブリンでさえ、まとまな武器を持てない。いや、持たなかった。

 彼らにはすでに反抗心はなかった。

 生き物としての矜持、魔力を持って生まれた獣としての「他者を食らう」という目的。

 それらを全て忘れていた。


 生きながら死んでいる。

 あるいは、死にながら生きているのか。


 そんなゴブリンたちは皆一様に上を見ていた。

 侵入者をこの避難所まで来させないために、ここへの入り口は天井にただ一つだけとなっている。

 ゴブリンたちは岩壁を器用に掴みながら、下へと下っていた。

 普通の侵入者なら、ほぼ90度の壁を降りて追ってきたりはしない。


 だが、ゴブリンの頭上の穴から頭をのぞかせたのは人間ではない、普通のモノでもない。

 そこにいたのは怪物だった。


 ゴブリンの群れを発見した<ユハタン>は、口を大きく開いた。

 

 蛇の口は大きく開く。

 見た目から想像したものの何倍も開く。

 だがそれは顎の骨格を見れば納得がいくものだ。

 口先から顎の終わりまだがとても長く、下顎が完全に2つに別れている種もいる。

 

 ユハタンも同様だ。

 ほんの少しだけ違うのは、彼女の場合は上顎も2つに別れていること、そしてその顎に沿って皮膚も裂けることである。


 

 ユハタンの口に十字の裂け目が浮き上がった。

 牙はなかった。

 それも当然だろう。

 「飲む」、それだけが彼女の力なのだから。

 四方に広がった口は岩壁をも削りながらゆっくりと降りていく。

 

 岩壁を降りていた最中のゴブリンたちは、急いで下へ向かう。

 その途中で足を滑らせ、壁を掴み損ない、あるいは意を決して壁から飛んだ者たち、20ほどのゴブリンが「死んだ」。

 

 そんなことはユハタンにはどうでもよかった。

 今、岩壁のゴブリンが口に触れようと、それは四方に分かれた皮膚に過ぎない。

 それだけで「飲む」ことは出来ない。

 まだだ。

 今はまだ口を閉じる時ではない。


 削られた壁の土塊や石がゴブリンたちの頭上に降り注ぐ。

 暗闇を見通す目で、かろうじて上から降るものを避ける。

 その中に仲間の体が混じっていても、誰も受け止めることなどしない。

 

 ギャ!

 

 その時、落ちてきた岩に1匹のゴブリンが潰された。

 滑稽な叫び声と聞くに耐えない「肉」の音。

 誰もそんな死に方は望まない。

 だと言うのに、つい比べてしまう。


 少しずつ近づいてくるアレに食われるのと、今死ぬことを。


 ゴブリンの目からはユハタンの全景はとっくに見えていなかった。

 彼らの瞳に映るのは、口腔だけだった。


 ゴブリンでさえ見通せない闇。

 自分たちは飲み込もうとする闇。

 鼓動とともに脈動する闇。


 子供達は泣き叫んだ。

 自分が死ぬ、そんなことを理解できる頭は持っていない。

 ただ、本能的な恐怖からの悲鳴だ。


 大人たちは沈黙していた。

 後悔していたのだ。

 早く死ねばよかった。

 暖かく、冷徹で、平等な、死という闇。

 その闇に体を任せればよかった。

 抗うことなどしなければよかった。

 そうすれば…………。


 そうして、ようやくユハタンは最下に到達した。

 

 壁に沿って這っていた口はいつのまにか元の形に戻っており、彼女の口はもう閉じ切っている。

 そして、完璧に完全に役目を果たしたユハタンはその姿を光の粒子へと変えて、消滅していった。

 

 <尾の無い蛇・ユハタン>。

 アンフルにおいて、召喚獣であるこのモンスターの紹介文にはこう書かれている。

 無限の体長を持つこの蛇は、長い時を持って敵は消化する。

 この蛇の体内の構造は定かではないが、ユハタンを信奉するある民族はこう信じていた。

 ユハタンの腹の中には真の永遠がある、と。


 単なるゲームの魔法が現実となる異世界。

 そこに呼ばれたモンスターの設定も現実となるのならば、ユハタンの腹の中に入ったゴブリンはどうなるのか。


 おそらくゴブリンは今も生きているのだろう。

 実体の無いユハタンの腹の中で、ゆっくりと、とてもゆっくりと、終わりに向かっているのだろう。

 後悔と悲痛と恐怖の中で、あるはずの無い蛇の尾を探し続けるだろう。

 


「…………さて、そろそろ片付いたかな?」

 フィセラはユハタンを召喚してからその場を動いていなかった。

 だが、ユハタンの消滅を感じると軽やかに踵を返した。

 

 異臭が漂い、光の届かない洞窟。

 彼女の足音が洞窟に鳴っていた。

 足音だけが、静寂の中に響いていた。

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