冒険のはじまり(5)
コツンッ、カッ、コロコロ。
軽く少し硬い、そんな何かが跳ね転がる音が洞窟にこだまする。
その音を追うようにフィセラは闇の中を進んでいた。
「ほんとに!バリエーションとかを考えてよね。ゴブリンはもういいって!他のモンスターを用意してよ!飽きちゃうでしょうが……」
フィセラの事情なんて知る由もない協会への愚痴をこぼしながら、洞窟を降りていく。
何度か曲がり角を曲り、急な坂も降りた。
とっくに地上の穴から入る陽光は消えている。
カツンッ、カカッ、コロコロ。
完全な闇の中だろうと彼女の視界は良好だ。
つい先ほど見つけた何かの動物の頭蓋骨を蹴り続けるぐらいには、はっきりしていた。
彼女より先へ進んだ頭蓋骨に追いつくと、また蹴り上げる。
フィセラは見知らぬ動物の骨と共に少しずつ下っていった。
「……あ゛!」
その時、蹴っていた頭蓋骨が窪みにハマってしまったようだ。
それに気づかず蹴ってしまった。
足先が骨に触れた瞬間、それが砕けることは予感できたが、かと言って蹴りの勢いを止めることは出来ない。
ガシャン!
破片を飛び散らせながら頭蓋骨の真ん中をフィセラのつま先が通り抜けていった。
少しの放心の後、途端に脆くなってしまった骨の破片をポカポカと踏み砕く。
「あーあ……つまんな」
長いため息の後、急に雰囲気が落ち込む。
かろうじて、頭蓋骨蹴りで保っていたやる気がどんどんと抜けていくのが分かる。
「とっとと終わらせるか」
それでもやる事は変わらない。
気を取り直して、また洞窟を降りていく。
すぐに二股の分かれ道に着いた。
だが、フィセラは少しも迷うことなく右の道を選んだ。
歩き易そうだとか、気分だとか、そんな適当な利用でそちらを選んだのではない。
理由はしっかりとある。
頭蓋骨を蹴っていたことでその雑音が洞窟内に響いていたが、フィセラの耳はそれとは区別して他の音を捉えていた。
彼女のとは違う足音、そして息づかい。
つまり、右の道を選べば「こいつ」がいると知っていたのだ。
「ガアァァ!!」
痩せ細ったゴブリンがフィセラに吠える。
少し尖った石を持って構えていた。
フィセラが来ることに気づいていたのだろう。
だからと言って、すでに戦闘態勢に入っている訳ではない。
その証拠に、ゴブリンは背後をキョロキョロと振り返っている。
体が震え、怯えた姿は、まるで仲間の到着を期待しているようだ。
フィセラはゴブリンと十分に距離をとって立ち止まった。
「アゾクとは随分違うわね。アレはもっとデカかったし、筋肉がついてたと思うんだけど……あんたはガリガリね」
ゴブリン王アゾクと比べるのもどうかと思ったが、彼以外に比べる対象もいなかったのだ。
フィセラは、そんな貧相な体のゴブリンをしげしげと見つめる。
――そんなに怯えるものかしら?もっと、こう……こっちを舐めた態度のやつをイメージしてたんだけど……。
ゴブリンの動きからその背後に他のゴブリンがいるだろうということはわかっていた。
事実、ゾロゾロと大群が向かってきている音は聞こえている。
それと同時に、大群とフィセラにはかなりの距離があることも音から察知出来た。
――でも、こんな試験に使われているのは少し……ね。定期的に間引きとかされてるんでしょうね。……可哀想に。
フィセラは哀れみの目をゴブリンに向けた。
ゴブリンもそれに気づいた。
その目に含まれる感情を正しく読み取る事は出来ないが、少なくとも敵意が無いことは分かった。
「……ココカラ、タチサレ。オソロシイニンゲン」
ゴブリンが人の言葉をしゃべったことにいちいち驚いたりはしない。
「…………なんで?」
フィセラは笑みを浮かべた。
そしてゴブリンは戦慄した。
彼の人生の中で見たことのない顔だったからだ。
未だかつて向けられたことのない、おぞましい人間の顔に足がすくんだ。
「ニン、ゲ。ニンゲン、ノ」
ゴブリンは声が震え、言葉を繋ぐことさえ難しかった。
「ニンゲンノ、ホシイモノ、ココニナイ。ダカラ、タチサレ」
「アンタらゴブリンでしょ。そのニンゲン、をぶっ殺そうとか思わないの?」
フィセラのバカにした下手な真似に、ゴブリンは何も感じなかった。
挑発とも気づいていないだろう。
「ニンゲン、コロス、オモワナイ。デモ、オレタチゴブリン、ニンゲン、ノ、テキ。ソレ、シッテル」
ゴブリンは少し落ち着き取り戻してきた。
「デモ、オレタチハ、テキチガウ」
「へぇ?」
流暢な喋りではないが、知能はそれなりにあるのだろう。そのゴブリンの言葉を、フィセラはしっかり聞いていた。
「オレタチ、ニンゲンオソワナイ。オソッタコトナイ。イツモ、コロサレルダケ」
この試験の事を言っているのだろう。
フィセラの想像通り、協会は何度もこの洞窟を「使って」いるようだ。
「コノアナカラ、デナイ。オレタチハ、ニンゲンニ、ナニモシナイ。ゼッタイ、キズツケナイ」
ゴブリンの声が大きくなる。
「ダカラ!ニンゲン、ココカラ、タチサレ!」
ゴブリンは全てを言った。言い切った。
日頃の侵入者に対しての少しの怒りや心につかえる理不尽さを言葉にして吐き出した。
黙って聞いていたフィセラは、少しの沈黙の後、笑った。
「フフッ、ハ、ハハハッ。ハハハハハハ!!」
顔を手で隠して笑い声を上げた。
その声は洞窟にこだまして、ゴブリンを緊張させた。
「悪いことしてないから見逃してって?ここのゴブリンは人間の敵じゃないって?」
顔を覆った手がゆっくり下ろされる。
そこにはもう笑みはない。
真っ赤な瞳だけが、そこにあった。
「………………………………ゴミがよく喋る」
この瞬間、ゴブリンは生きることを諦めた。
「世界はそんなに甘くないのよ。可哀想なゴブリンを助けてくれるヒーローなんていないの……」
暗闇を見通せるはずのゴブリンは、目の前に立つ「闇」に気づかなかったのだ。
「……そんな薄っぺらい<正義は存在しない>んだよ」
今、<終わり>の準備が整った。
呪いの言葉をすでに口にされた。
<正義は存在しない>。
これ自体は魔法ではない。
言うなれば詠唱、口上と言っても良いだろう。
真の最悪として、本物の魔王としての悪意に満ちた言葉。
その言葉を発することで、その後に起こる事象を最悪たらしめるのである。