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幸せな瞬間

「出発は今夜の予定だったけど、すぐにでも出なければならなくなってしまってね。目覚めたばかりで申し訳ないんだが、荷物をまとめてほしいんだ」

 焦っていないのに、焦っている。落ち着いているのに、どうしてか忙しそうに見える。そのような不思議な調子での頼みだった。この頼みに驚いた様子を主人は見せなかった。短く返事して、そそくさとバッグを整理し始めた。しばらくカリオストロ達の様子を覗いていたのだから、旅路を急ぐ理由を聞かないのは当然と言えばその通りだ。しかし、聞かないのもどうなのだろうか。

「すまないね」

「いいえ。何か事情があるんでしょう。私も急ぎたいところでしたから、ちょうど良いです」

「そうかい」

「はい」

 主人はそこまで余裕のないバッグに手際よく荷物を詰めていく。さっき手渡された新聞は服のポケットにしまったらしい。そんなところに入れてしまうから雨に濡れたのではないか、荷物が綺麗に敷き詰められたバッグと違って乱雑に折りたたまれた新聞紙は、仮に心を持つとしたら、どのような思いを抱くのだろう。折りたたまれることに痛みを感じるかもしれないし、動物で言うところの習性として折りたたまれるという事に疑問を持たないかもしれない。

「お姉ちゃん、どこ行くの?」

「クロノスよ」

「えっと……いっしょ?」

「一緒」

「やった」

 アイネクライネはひとまず支度し終えた主人に抱き着いた。主人の腹に頭を押し付けている。抱き着くことが趣味なのかもしれない。いまのところ、多分そうなのだと思われる。抱き着いて、それからニコニコと笑っている。何が楽しいのだろう。抱き着いてわかることなんて、アイネクライネに抱き着かれた相手の体温くらいしかないのに。いや、むしろそれが楽しいのかもしれない。どっちにしろ、主人がこのことを聞かないのであれば、たとえ人類史が一生を掛けても白黒付くことはない。

 そういえば、アイネクライネは冷たい。血が通っていない。冷酷とか、人の心がないとかそういうことを表現したいための言葉だが、アイネクライネに限ってはそういうことではない。単純に体が冷たいのだ。ひんやりとしている。人の体温ではない。これについても、主人が聞かないなら、カリオストロとアイネクライネ以外は真相を知ることはない。

「旅は楽しい?」

「うん。とっても楽しい」

「そう。それは良かった」

「お姉ちゃんは?」

「楽しいよ」

「いっしょ!」

「うん。一緒」

 幼い人間を相手にするときに、年上は嘘をつくことがある。主人は多分、嘘を言った。本心から言っている気がしない。そう大した質問でもないのに、嘘を言った。正直に答えてやればいいのに、そんなことをしたのだろう。実は俺の思い込みに過ぎず、特別楽しそうでもない様子だったけれども、本心からの返事なのかもしれない。

「いっしょだね」

 アイネクライネは嬉しそうだ。主人は優しい顔をしてアイネクライネの背中を撫でている。カリオストロは、急いで出発したいから声を掛けたいのだけれども、それをためらっているように見える。

「あ、すみません。すぐ出ましょう」

「まあ、うん。その前にこれを」

 カリオストロは主人に仮面を渡した。目元だけ開いている味気のない白い仮面だ。

「これは?」

「外にいる間、この街を出るまでは着けていてほしい」

「……あなたは、何者なんですか」

「善人さ。とびきりの」

 カリオストロとアイネクライネは同じような仮面を着けた。着け終わった顔は別人だった。この仮面はマジックアイテムだった。

「パーティーグッズさ」

「どうして着けるんですか」

「友人を驚かせたいんだ」

 悠長に話していて良いのだろうか。

「そうですか」

 主人は顔より少し大きい輪郭の仮面を着けた。どこの誰とも言えない、単純な顔立ちになった。便利だな。しかし、主人の態度を考えるとさっきしてきたと言う盗みはこれを使っていないらしい。どうして使わなかったのか、理解に苦しむ。

「さて、行こうか」

 ふと、主人は窓の外を見た。眼下には同じ服を着た人間がまばらに歩いていた。堅苦しい見た目に反してかなり浮ついた様子だ。たばこを吸って談笑しているやつもいる。さぼりだろうか。それとも休憩だろうか。そこに慌ただしく近づいていく同じ服の取柄の無さそうな奴。会話というにはあまりに短いやり取りを済ませたあとで、素朴な奴がこっちを向いたように思えた。気がしただけで終わったのは、主人が窓辺から離れてしまって確かめようが無いからだ。

 カリオストロは相変わらず隙間程度にドアを開けて外に出る。主人はそんな器用なことは出来ない。目前でぱたりと閉じた思い切り開け放って後に続いた。

「カリオストロさん」

「あ、そうだ。しばらくはドッペルと呼んでくれ」

「あの子は、どこへ?」

「やんちゃだからね。放っておいていい。そのうち帰ってくる」

 ドアがようやく隙間を埋め始めた。あの体験は多少なりともストレスだったのかもしれない。静かに閉じていくドアに感情があるようだった。

「ところでリーネ嬢」

「なんでしょう」

「運動に自信はあるかね」

「ないです」

「そうかい」

「あの、それがなにか」

「疲れたら頼ってくれたまえ」

 背後、その少し奥の方で不規則な足音が鳴った。

「振り返らず、真っすぐ走りなさい」

 わらわらと、近づいてくる人影の輪郭がはっきりしてくる。外にいた奴らと同じ服を着ている。カリオストロもきちんとお尋ね者ということか。それとも、この集団もまた主人を狙った者達なのか。このことを深々と考えるには、今は忙しい。

 主人はカリオストロの言葉に従って走る。俺が補助するからそこそこ場を持たせることが出来るが、主人の体力が少ないのはよく知れたことで、早々に振り切れないなら昨日の二の舞は確実だ。

「誰なんですか、あの人たち」

「知り合い……の部下」

「後できちんと説明してください」

「ああ」

 廊下の突き当りまでもうすぐだ。右折も左折もできない。袋小路である。

「手を」

「はい」

 カリオストロはスピードを緩めることなく壁に向かっていく。主人も始めこそ戸惑い、ためらったが覚悟を決めた。

 カリオストロは壁に蹴りを入れた。壁は、ちょうどこのホテルのドア二枚分程度をくり抜かれ、軋みつつ倒れて隣の建物との距離を埋める足場になった。そういう魔法でも使ったのだろう。その壁は、カリオストロが踏み抜くと元の壁に戻った。

 二人はふわりと浮いて、空を歩いている。一つ二つと建物を超えて、奥の方に大通りが見えてきた。

「あそこに出たら、また走る。私のペースで行くから手は離さないように」

「はい」

 下で声がする。さっきの制服が何人か建物の屋上にいる。

 大通りに降りた。カリオストロは宣言のままに動いた。主人を引っ張りながら、ぐんと加速して、どこかへ向かっている。

 道は人で溢れる時間帯らしく、話し声と足音で騒がしい。

 追っての姿は無い。整わない人の流れで撒きやすいのだろう。カリオストロは器用に人並みを抜けていく。

「それで、あなたは何者なんですか」

「あ、うん」

 あっと言う間に街を出た。先に見えるのは田舎道だ。カリオストロは街を方をちょっと振り返ってから歩きだした。

「怪盗だよ」

「泥棒じゃないんですか」

「違う。私には志がある」

「盗みは盗みです。罪でしょう?」

「それでも。それを踏み越えてでも」

「……そうですか」

「ばあ!!」

 アイネクライネがカリオストロの足下に現れた。

「……今までどこにいたの」

「ずっと一緒!」

 アイネクライネは何かにとても満足した様子だった。

寝起きの窓の向こうに正気を疑いました

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