人形・怪盗・仲良し
主人を助けた男はカリオストロを自称した。俺と同じ名前だ。
「目覚めたようだね。調子はどうだい?」
「筋肉痛がひどいだけです」
「そうかい。私はカリオストロ。君の名前は、なんと言うのかな」
「リーネと申します。どうやら助けていただいたようで。感謝します」
カリオストロは顎ひげを撫でた。中指で輪郭をなぞるのを二回やった。柔和な表情はそのままにしている。カリオストロの深い呼吸音が良く聞こえる。
この宿にやって来て一晩を明かした。物音は実に少ない。大きくて質の高そうな宿だから、泊まる人間も多いのかと思ったが、金払いが良くないとダメらしい。カリオストロは本気で宿代を踏み倒す気でいるようだ。
「ここ……」
「ああ、カリオストロさ。私のお気に入りでね」
「懐かしい」
主人はベッドの角を撫でた。ゆっくりと時々その筋を掠れさせながらシーツにしわを刻んだ。その後、手を伸ばし切っていた脚の上に置いて、俯いた。
「あの」
「うん?」
「新聞、どこですか」
「ああ、勇者の」
「そう、それです」
カリオストロは雨で湿って、辺のところどころが千切れたのを主人に渡した。真ん中から景気良く裂けていないから、ボロボロではあるがあまり気にならない具合だ。
「いや、残念な事件だと思うよ。救国の英雄が志半ばで、しかも仲間に裏切られて亡くなるなんて」
「……ええ、本当に」
「これから、この国は大変なことになるだろうね」
「戦争、本当に避けられるんでしょうか」
「国は腐って、民は苦しむ。戦争は全部を焼いて次を生まない。一度始まってしまえば、どちらかが苦しむ未来を選択するまで終わらない」
「誰かいなんでしょうか」
「いる。ここに一人。そう、私だ」
何とも言えないというのを、主人は顔で語った。世界一カッコイイ男を自称するカリオストロは、ただの道化なのか。確かめ方が無い。口では何とでも言えてしまうし、この男は今までそうやって暮らしてきたかもしれないのは、想像しやすいことだ。
「えっと」
「私はカリオストロ。世界一カッコイイ男だ。よろしく、リーネ嬢」
「え、ええ。はい。よろしくお願いします」
「ところで、君はどこへ行くつもりだったのかな。もしかしたら、また連中みたいなのが襲ってくるかもわからない。行き先が私たちの所の途中にあるのなら、一緒に来ないか?」
主人の手を軽く握ったまま、笑顔のカリオストロは主人に目線を合わせて動かない。主人も逸らさない。それからすっかり表情の抜け落ちた顔をしている。
「今朝の新聞でね、君と同じ名前を見つけたんだ。お尋ね者の欄に、賞金首ってね。性別は同じ、でも手配書や口コミの姿と君は全く違うね。そんなものだろうけれど」
主人は声を潜めて笑った。カリオストロと主人の表情はほぼ逆転した。
「別人ですよ。私はただの町娘です。そんな大英雄を殺せるような力はありません」
「そうだね。その通りだ」
「私、クロノスへ向かうつもりなんです。友人の家に招待されてて。あなたはどちらへ?」
「おお、一緒じゃないか。奇遇だね。私も用があるんだ」
「あら、じゃあご一緒しても?」
「もちろんだとも」
同行する方針になった。それなりに腕の立つ人間がいるなら、主人の身の安全も守りやすい。
「いつ、出発するんですか?」
「今夜だね。君は何か用事があるのかい?」
「ありません。……今夜に出発なら、寝ておきますね」
「うん。そうするといい。私はちょっと出かけてくるから、留守を頼むよ」
「わかりました」
カリオストロは重たい見た目のドアを少し開けて、その隙間に体をねじ込み外に出て行った。クセの強いやつだ。ドアとの衣擦れの音がしなかったので、あの開け方には慣れているのだろう。わざわざ面倒くさそうな動作で出入りするのに深い事情があるとは思えないが、気にしてやっても良いかもしれない。
「カリオストロ」
「人違いだ。あんなのじゃねえ」
「……残念」
主人はベッドに深く倒れこんだ。ぼーっと天井を見ている。視界にあるだけで、本当は何も見ていないのかもしれない。左手の甲をその額に置いている。指の隙間から何を見ているのだろう。笑っているのか、いないのか、微笑んでいるとも言い難い、何とも言えない顔で天井を向いている。
「何してんだ?」
「覗き」
「は?」
「道具のくせに興味あるの?」
「ある」
美人が相手なら歓迎だと言ってやると乾いた笑いをした。訳を聞くと、魔法を使ってカリオストロを追跡しているとのことだ。がっかりした。自分にその機能が備わっていないことが、改めて心底恨めしくなった。
「白昼堂々と盗みって出来るのね」
「出来るだろ、わざわざ夜中にやるやつの方が珍しくないか?」
「普通は夜にすると思うけど」
「物によるだろ。なあ、あいつは何を盗んだんだ?」
「宝石と……鍵かしら」
「気になるな」
「それよりも、隣の子が気になるわ」
カリオストロは盗んだものを少女に渡したそうだ。
現在、二人は憲兵に追われていて、時には憲兵を撃退しながら、この街をあちこち走り回っているらしい。
「二人とも足が速いのね」
「羨ましいのか」
「今更だけどね」
「あいつらとしばらく一緒なら、その内に嫌でもそうなるさ」
主人は何かについてため息をついた。カリオストロに関することか、自分自身のことか、もう一度同じことをするなら訳を聞くことにした。聞いて損をするような思いで吐いたのなら、こっちもため息で返してやろう。
「暇ね」
「まだ、あいつらは戻ってきてないぜ」
「そろそろドアが開くわ」
「……早くねえか?」
「魔法を使えば、なんてことないでしょ」
寝たふりでもしようかと主人は言った。好きにしろと答えてやるまで、ずっとそう言った。放っておけばそのまま眠ってしまうのが、直観的にわかった。声をかけてやるくらいしかできないが、やるだけやってやろうと決心した。
「カリオストロ」
「なんだ」
「寂しいわ」
踏み込んでも得をしないから、聞き流した。
「戻ったよ」
「ただいまー」
「おかえりなさい……えっと」
主人は少女を見た。しらじらしいが、仕方のない事だ。カリオストロの返事をじっと待った。
「アイネクライネっていいます。リーネお姉ちゃん」
「お姉ちゃん?」
「紹介が遅れてしまったけれど、まあ、私の娘だ。お姉ちゃんと呼ぶのは出来れば受け入れてほしい」
「構いませんよ」
がばりとアイネクライネは主人に抱き着いた。俊敏だ。優秀な獣が牙を剥いた時のような、背筋の凍る動きだった。その手にナイフが握られていれば、主人はあっという間に死んだだろう。その獣じみた少女は主人の腹に顔をうずめている。主人に甘えているようにも見える。
「あったかい」
「そう」
主人はアイネクライネとカリオストロを交互に見て、何も言えないでいる。口元は結ばれたままだ。カリオストロは何かを企んでいる様子がない。ただ、二人を見て安心したような顔をしている。このようなやり取りに思うところでもあるのだろうか。
少女の体は冷たい。主人はそのことについてどう思っているのだろうか。カリオストロは、この冷たい体について何を知っているのだろうか。