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とりあえず逃げようじゃねぇか

 日没から少し経った頃に宿の前まで来た。宿の入り口は混雑している。何とか押しのけて中に入った。女を迎えたのは仲間とどこかの兵士だった。鎧兜で見えない奴らもいたが、わかる範囲では一様に悲しみを現していた。ただしかし単に物悲しい雰囲気というわけでもなかった。どんな些細なきっかけでもそろって武器を構えてきて、こちらをどうにかしてしまいそうな、物騒な気配がした。

 女に仲間が近づいてきた。女の顔とその背中の男を見て、顔をしかめた。それから近くにいた兵士に何か言ってから、こっちを見た。

「何があったんだ」

「……仲間が死んだんだから、泣くくらいしたらどうなの」

「それは後だ。今はもうそれどころじゃなくなった」

 仲間の男が言うには、女の背中のやつが死んでしまったせいで、この宿のある国は窮地に陥ってしまったそうだ。本当のことかはわからない。権力者は、案外向こう見ずな奴らが多い。目の前にあるピンチが、例え火の粉だろうが部屋中を水浸しにしなければ安心できない。水浸しにしてしまったせいで、部屋の何もかもが台無しになっても構わないようなそぶりを見せることもある。だから、今回の、それどころじゃないという国の窮地も、実際にはなんてこともない話であるかもしれないと気楽に構えた。

 女がどんな風に話を聞いていたのかは知らないが、ピンチの中身を仲間の男から聞き出した。

「あいつが死んじまったンで、国の偉い人が考えてた素晴らしいあれこれが頓挫したんだよ。その後処理を残ったオレたちと、ここにいる兵士の皆さんで何とかしなくちゃならないんだ」

「後処理って、なにするのよ」

「まずは、この国が宣戦布告してそろそろ開戦ってところとの交渉だな」

「はあ!? なんでそんなこと私たちがやらないといけないのよ」

「……特別な理由があるとすれば、オレたちだから、だろうな」

「なによそれ」

「カイネは強かっただろ? で、オレたちはそいつらと同じパーティーだった」

「だから何よ。カイネが強くて、私たちが一緒にいたからってこんなこと頼まれる理由なんてないじゃない」

「宣戦布告はカイネが居たからしたんだそうだ」

「戦争になったら、カイネを駆り出す気でいたってこと?」

「ああ」

 女の体が少し熱くなったのがわかった。軽く震えてもいた。

「イヤ。そんな話、わざわざ受けなくていい」

「リーネ」

「嫌。嫌。嫌。絶対に」

 人波を押しのけて、リーネは自室へ行こうとした。

「待て、カイネはどうする」

「寝かせたらいいじゃない。私の部屋に」

「棺なら用意してある。そこに置いたらいい」

「なら、部屋に持ってきて。正直、棺なんてどっちでもいいわ」

 リーネは二階にある自室へ向かった。階段を登り切ったところで、ざわざわとしていた一階が跳ねたように思えた。どれほどの大騒ぎなのか、怒号に交じって悲鳴のようなものも聞こえた気がした。

 リーネは階段を登り切って、すぐ右へ曲がった。突き当りの右手にあるドアがリーネの部屋の物だった。リーネはドアを軽く蹴って開けた。ドアが軋んで、鳴き終わるまでにカイネをベッドに置いた。部屋の両端にある右側に、重たそうな男の体が沈んだ。左側にリーネは座った。硬めのベッドに沈むことはなかった。リーネは暗い顔をしていた。このままだとまた泣きだしそうだった。強気なのは意地っ張りだからで、それは泣き虫の裏返しかもしれない。しかしカイネを見て優しい顔をした。驚いた。カイネを改めて直視したら、今度こそ泣き止まないと思っていた。泣くこともなくむしろ落ち着いている。昼間を思うとリーネの頭を覗きたくなった。

 とっぷり暮れた部屋は月光でまだ明るいが、リーネはランプに火を入れた。橙のと青いのが部屋を二分した。

「ねえ、アンタ。名前とかあるの?」

「アレキサンダー・アレックス・コートミック・ミッシェル・ミーク・ティースコート・ヘカントケイル・モノ・ウィザード・ドードリア・アイスピック・ジャックナイフ」

「は?」

「アレキサンダー・アレックス・コートミック・ミッシェル・ミーク・ティースコート・ヘカントケイル・モノ・ウィザード・ドードリア・アイスピック・ジャックナイフ」

「冗談でしょ」

「当たり前だ」

「じゃあ、本名を教えなさい」

「無い」

「ふうん。じゃあ、アンタの親は? 誰かわかるなら言いなさい」

「俺は道具だ。親なんていねぇよ」

「アンタを作った人は誰って聞いてんのよ」

 作り手のことを親というのは理解できても、子供っぽさが嫌だ。

「トークン・カリオストロ」

「じゃあ、これからはカリオストロね。よろしく」

「ああ、そうかい」

「いいの?」

「何が」

「名前、そんなものでいいの?」

「十分だ。それに、何度か名付けられたことはある」

「……カイネはなんて呼んでたのよ、あんたのこと」

「別に、なんとも言わなかったぜ。戦いのときにああしろ、こうしろって指示されてただけだからな」

「なかったんだ、名前」

「そうだな。お前みたいなのは例外だ」

「どういうことよ」

「拾い物にわざわざ名前つける奴なんて、バカかお前かの二択ってことだ」

「窓から捨てていいかしら」

「べつに構わねぇが、……いやダメだ。やめろ、よせ」

 リーネが開けようとした窓に、一枚絵の影があった。月明かりの逆光で、顔は隠れていた。窓は蹴り破られた。部屋のあちこちに窓の破片が散らばった。リーネは小さくうめきながら額を抑えた。どうやら破片で切ってしまったらしい。意外と深い傷らしく、額を抑えていた掌からたらたら血がこぼれていた。痛みに呻くリーネに敵は歩いて寄って来た。

 階下のうるさいのはもう聞こえてこない。寝静まったか、まさか(・・・)が起こったか、横槍を期待するのは馬鹿馬鹿しい。このままでは殺されてしまうから、とにかく攻撃を躱すようにリーネに言い続けた。

 緩慢なナイフの動きを、リーネは何とか躱しつつ下へ下へと逃げていた。宿の一階まで来た。真っ暗だった。さっきまであったはずの月光は窓から差し込んではいなかった。何かに遮られていた。リーネが暗闇に耐えかねて、魔法で指先に火を灯した。照らされた所々に白銀色が、月の代わりに光った。武器だ。それぞれの持ち主は、二階で襲ってきた奴と同じ見た目をしていた。一様に構えてこちらを向いていた。やがて二階で襲ってきたやつも、一階の有象無象に加わった。逃げきれずに、囲まれてしまった。絶体絶命の文字が実態を伴っていた。

 相手からは呼吸すら聞こえない。肩の上下もない。像のようにピシッと固まって動かなかった。不気味な奴らだ。二階では逆光で顔が見えなかった。今なら違うと思ったが、仮面をつけていた。白い無地の仮面だ。案山子でもまだ愛嬌のある顔がある。奴らがどこぞの組織にいるなら、ボスはセンスがない。却って目立つなら仮面で顔を隠す意味がない。

 やがてリーネの小さな声が聞こえてきた。浅くて速い呼吸をしながら何か言っていた。聞き耳を立てても言葉は拾えなかった。

「力を貸しなさい、カリオストロ」

 確かに焦っていたけれど、待ってましたというくらいは言えばよかったかもしれない。返事もせずに力を貸してやると、リーネは驚いていた。

 リーネが魔法を唱えると、その周りにくるくる風が渦巻いた。リーネに向かってそよ風が吹いた。石像みたいみたいだった奴らがやっと動き出した。それぞれが刃を振るった。緩慢な動きなんてもうしていなかった。確実に仕留めるためにリーネに迫っていた。そして、それらはみずみずしい肉を断つ前に粉々になって消えた。

 そよ風と言うには強すぎた。すべて巻き込んで飲み込んでいく嵐だった。ごうごうと敵を砕いていった。砕かれた破片は、崩れたワインボトルみたいなシミを残して床に傷を付けていた。敵だけを傷つけたのに何の意図があるかは知らなかったが、俺は、どうせ全部壊してしまうのだろうとタカをくくっていたからちょっと面白かった。

「すごいな」

 リーネが呟いた。カイネの前の前の持ち主は。こうやって一悶着あった後にけらけら笑っていた。リーネはそんなことは無かった。

 肉壁が消えて、宿に月明かりが入った。

「部屋に戻りましょ。早く逃げなきゃ」

 戻った部屋はもぬけの空だった。カイネの死体もまるまる消えていた。何もかもがなくなった部屋は、木製の大きな箱と化していた。

 リーネの絶叫が響いた。喉を引っ搔いた。がさがさに掠れた高音が床に打ち付けられた。ぽろぽろというより血涙のようなドロドロの涙で顔を濡らしながら、細い腕で何度も床を叩いた。小指のあたりから軽い音が聞こえたので止めた。

「取らないでよ……、返して、返して……」

 子供みたいにそれしか言わない。こうなってしまうのは仕方が無い事なのはわかるが、こちらとしてはこのままでは困る。この先、カイネに関係する何もかもでリーネが立ち止ってしまうかもしれないことを考えると、気が滅入ってしまう。昼間のように、無気力になられてはどうしようもないのだ。契約は成立している。リーネは死にたくないと願った。だから、例え本人が死にたくてもそうはさせない。俺自身の願いでもあるからなおさらだ。

 降ってわいた同じ願いを持つ者をどうしたって手放したくないのだ。

「取られたなら、取り返せばいいじゃねぇか」

 単純な話だと言って聞かせた。なのになかなかいい返事が聞けないから訳を聞いた。

「カイネを連れてったのがさっきの人たちなら、相手は王室よ。簡単じゃないわ」

 語気の強いそれを聞いて損をした。

「なんのために俺がいるんだよ。俺がいるんだから使えよ。お前、俺の持ち主だろうが」

 はっとしたわけでも何でもないようだったが、覚悟だけは決まったらしかった。

 早々に宿を出た。ここからはほとんど無一文の逃避行と言っていいだろう。そんななかでリーネは新聞を買った。記事の一面には、カイネの葬儀について細かいことが書かれていた。

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