第廿四服 蘭摧玉折
京を任された柳本賢治であったが、配下の柳本治安が伊丹親永を殺害してしまった。配下の郡代塩田胤光より報らされた三好元長は怒髪衝天した。さらに柳本治武が一条家領で問題を起こす。その騒ぎを余所に大和へも兵を出し、所領化を目論む。三好元長との対立は一層深まっていた。
蘭は摧かれ玉は折かる
山は裂け海は浅せなむ世なりとも
君にふた心わがあらめやも
源実朝(新勅撰和歌集・金塊和歌集)
夏が終ったとはいえ、まだ暑さが残っており、烈しい日差しが京の街に降り注いでいる。池を干上がらせそうな暑さを避け、屋内で片肌を脱いだ姿を晒した柳本弾正忠賢治が涼んでいた。
「涼しいというので此処を選んだのだが……」
謐きつつ、切り出された巨きな氷の塊をを大きな盥に載せ、向こう側から小姓に団扇であおがせていた。
「誠に涼しそうですな」
すると背後から羨ましそうな声が掛かる。徐ろに体を起こせば、そこに居たのは木沢左京亮長政と松井越前守宗信だった。
「これは御二方とも、お早いですな」
賢治は立ち上がると会釈をするが、両人の表情は固い。怪訝に思うも自らの恰好が原因であることにまるで気付かなかった。流石に元寵童だけあり、そこには艶めかしさが宿っている。
「急ぎ報せたきことがございまして……御寛ぎの最中とは知らず、申し訳ございませぬ」
「あ……これは失礼仕った」
視線を逸らす二人にようやく自分が片肌脱いでいた事を思い出した賢治は、襟を正して謝罪した。この時代、人に肌を見せるのは礼に反する。暑いとはいえ、二人はきちんとした身形だ。
「お見苦しい所をお見せした」
「いえいえ、私とてこの暑さでは川で水浴びでもしたくなりますから、お気兼ねなく」
「同感ですね。存分に氷を使える弾正殿が羨ましいですよ」
この当時、氷は京周辺に点在する氷室から運ばれており、非常に高価であった。平安時代や鎌倉時代まで豊富にあった官営の氷室は衰退し、今では民間の氷室が朝廷や幕府に献納するようになっている。柳本賢治はその内の一つ、栗栖野氷室に関所御免の許可を与えて氷を献上させていた。元は柳原御所に収めていた氷室である。
柳原御所を接収した柳本賢治はそこを政庁として、その南側にある本法寺の寺領に邸宅を設けていた。細川典厩邸も近く、松井宗信は喜んでいる。木沢長政は土御門東洞院殿の南、左京二条四坊にあった畠山金吾邸を再建してその離れを在所としており、近いとは言えないにも関わらず、日参していた。もっぱら柳本弾正邸の方にだが。
「それはそうと、勅裁の件、なんとかなりそうですぞ」
「誠かっ」
「これで一安心ですね、弾正殿」
木沢長政の言葉に松井宗信と頷き合うに留めた。二人の顔には安堵の色が浮かんでいる。
享禄二年七月十一日、柳本賢治は洛東深草にある藤森社の神木伐らんとして、勅裁を請うた。口丹波・嵐山・西岡を抑えた賢治としては、軍の機動性の向上を考え、洛東――東山に近い地に駐留拠点を求めたのである。これによって洛中を北西と南東の二箇所から防衛出来るとともに、畠山総州家の上三郡との連携も取りやすかった。また、交通の要衝であり、馬借も多く、物資輸送の拠点に向く。そうすれば、大和への出兵における兵站が軽減し、財政的な圧迫が少しばかりとはいえ薄らぐ。
この神木は神功皇后が軍旗を埋めた旗塚の側にある一位樫で後世「いちのきさん」と呼ばれ親しまれる。
「流石は馮翊殿だ。お手数をお掛け申した」
「いえ〱、それ程のことでは御座いませぬ」
馮翊とは、京兆三輔の左馮翊のことで、支那の首都東部の地域名であり官職名で元は左内史といった。三輔は京兆尹・左馮翊・右扶風からなり、漢王朝によって創設されている。唐代には京兆尹以外の官職は制度上姿を消していたが、雅称としては残っており、日本へも渡ってきて左京亮の唐名が馮翊少監とされた。
「これで、我らの計画通りに事が運びますね」
「左様〱。全て恙無く進んでおります。流石は智慧弾正殿の策ですな」
転向した賢治が立てた策戦が堺陣営を勝利に導いたと、兵たちが賢治に付けた渾名が「智慧弾正」である。賢治は面映い気もしたが、虚名だとは思わなかった。それよりも、木沢長政が些か大仰に褒めるのが気になる。
これは、長政が畠山総州家の奉行人にすぎず、柳本賢治は堺京兆家への転向者とはいえ元々は京兆家年寄衆で、木沢長政が細川武蔵守高国に拾われて同陣営にいたときも対等ではなかったことが一因であった。但し、それは口の端に乗せる口実であって、多分に担ぎたがる性格に拠る所が大きい。
畠山総州家に仕える木沢氏には二流あり、木沢長政の家は左近大夫家で、もう一つは兵庫助家という。両家とも畠山家の奉行人であり、内訌において一族を挙げて義就に付いた。木沢長政の父・左近入道浮泛は隠居前、畠山上総介義英に仕え、遊佐河内守就盛と共に在京して名を上げている。この頃、左近大夫秀政と名乗っていた浮泛は多くの公家と交友関係を築いて木沢家躍進の基礎を作った。特に下冷泉家の冷泉政為や三条西実隆など、後柏原帝時代の歌壇を代表する者との交誼が顕著である。
その伝手を活かして神木伐採の勅裁を依頼。冷泉政為の子・冷泉為孝を通じて朝廷に直接働きかけている。下冷泉家は羽林家の一つで、近衛少将または中将と参議・中納言を兼ねる武官の家柄だ。
「何を言う。私は御両人と比べれば有職故実に疎い丹波の田舎者。これからも頼りにさせてもらいたい」
「幾らでもお頼りくださいませ。京には父の知人が大勢おります故」
「馮翊殿がお味方に居てくださるのは誠に心強い。あとは如何に田舎熊を黙らせるか、ですね」
賢治がこの勅裁を堺公方を通さなかったのには理由がある。それは、三好筑前守元長の推進する堺公方体制を否定することで、追い落としを図ったのだ。賢治はどうしても、元長が庇護する細川右馬頭尹賢の首を取りたいが故の行動である。これに家中で三好元長を嫌う三好新左衛門尉政長、家中での立場を強化したい松井宗信、そして家格を上昇させたい木沢長政が協力していた。
「それで、調略の方は如何か」
「奉公衆のほうは其処〱……昵懇衆のほうは芳しくありません」
分かっていたこととはいえ、権威を剥がすのは難しい。特に公家は賢治でさえ武家の陪臣と軽く見ているため、木沢長政に対しては銭だけせしめて馬耳東風であった。
「然れど、八月に入りましたら奉公衆の幾人かはあちらを辞して参りましょう」
木沢長政はそう続けた。近江幕府と朝廷との繋がりを断ちたい所ではあるが、足許を切り崩すことも大事である。事実、八月に入ると木沢長政の言葉通り近江公方に仕えていた奉公衆から十七名が朽木を脱した。
「昵懇衆は最悪こうして――仕舞えばよいことかと」
首の辺りに手刀を添えつつ、剣呑な光を眼に宿して木沢長政が嗤う。その殺気に松井宗信は生唾を飲み込んだ。賢治は木沢長政のそれを酷薄だとは思わない。乱世に於いて殺らなければ殺られるのは当たり前のことだ。意に染まぬ相手は除くしかない。
昵懇衆は昵近公家衆ともいい、将軍家と親しい八つの公家をいう。即ち、烏丸家・日野家・広橋家・飛鳥井家・勧修寺家・上冷泉家・高倉家・正親町三条家だ。これは足利義満が太政大臣となった折に公家社会内部に家司・家礼を編成し、それが譜代化して足利義教の頃に確立したものである。家司は三位以上の公卿に付けられる職員で家政を司る公家をいい、家礼とは家来の元になった言葉で、公家同士の主従関係で門流ともいった。
昵懇衆の内、烏丸光康、飛鳥井雅綱、勧修寺尚顕、冷泉為和、高倉永家、正親町三条公兄らは朽木に残り、朝廷と足利義晴の間を取り持っていた。
この内、烏丸光康は足利義晴と特に親しく常に側に在り、飛鳥井雅綱とともに武家伝奏を務めていた。飛鳥井雅綱は和歌・蹴鞠の大家としても知られ、大内氏や朽木氏と親しく、岩神御所を朽木稙綱に融通させている。勧修寺尚顕は能登畠山氏や若狭武田氏の重臣粟屋氏と親しく、親道永派だ。上冷泉家の冷泉為和は今川氏と親しく、今川氏の近江公方支持を取り付けている。
近江に同行していない昵懇衆は、日野晴光と広橋兼秀だ。日野晴光は幼少のため下向しておらず、広橋兼秀は大内家の武家伝奏であることから在京している。
「今更反対する訳ではありませんが、公方様の奉公衆や昵懇衆を離叛させてよいのですかね?」
「それは、その方が我らが遣りやすくなるからです。といいますのも……」
首を傾げる松井宗信に木沢長政が丁寧に説明する。奉公衆や昵懇衆が減れば、それだけ将軍直属の兵力や朝廷との取次が少なくなり、他から助力を得ねばならなくなる。そうなれば、陪臣の柳本賢治や木沢長政、松井宗信も日の目を見ることができるという狙いであった。
「そういうことでしたか。流石は智慧弾正《柳本賢治》殿、先の先を見越しておられますよ」
「いえ、これは可竹軒殿の真似事です」
「嗚呼、確かに。あの田舎熊は引接寺殿の評定衆になっておりましたね」
堺幕府は追放された足利義稙が引き連れた者たちを中心に組織されたものであり、元々員数が少なかった。そこで周聡が国人らの格上げと人員の確保を目的として讃州家の家臣や転向した国人らを奉公衆に組み入れ、堺幕府と堺京兆家の共同体制を作り上げている。
「典厩家を蔑ろにする輩には舞台から退いて貰いますよ」
松井宗信が三好元長を悪様に云うのは、本来京兆家の執事は典厩家であるという意識が強いからだ。だが、典厩家当主の弥九郎は未だ元服の歳を迎えておらず、元服したとてまだ執事の役を果たせないだろう。それに之長・元長の二代に亘り執事となっている三好家が典厩家に返上するとは思えなかった。
この三人は三者三様に三好元長と敵対している。故に六郎に阿り、幕府側と距離を置くことで信頼を得るようにしていた。それを助長しているのが三好政長である。
「あとは……」
「御前評定に臨むのみ――ですかね」
「如何様。然程、苦労は致すまい」
賢治の眼が妖しく光る。賢治はこれで、細川尹賢の首が取りやすくなると考えた。政敵である三好元長を排除することと、仇敵である細川尹賢を殺害するためには手段を選んではいられない。頷く木沢長政は自身が成り上がる為に三好元長が邪魔であり、期待の目を向ける松井宗信は三好元長を家宰の座から去らせ典厩家に取り戻すことで自身が権力の執行者となりたいのだ。
この三人の誰もが蛇身仏口の輩である。
八月十日、御前評定のため、堺京兆家重臣らが一堂に会した。場所は引接寺の本殿である。堺公方の左には六郎を筆頭に、細川讃岐守氏之の代理に細川紀伊入道周適、六郎の傅役・可竹軒周聡、家宰の三好元長、側近の三好長家・政長、一門衆筆頭の細川播磨守元常、典厩家当主・細川弥九郎と松井宗信、丹波衆の柳本賢治、摂津衆の茨木伊賀守長隆、池田筑後守信正、伊丹大和守元扶ら堺京兆家を支える面々が並んだ。
一方、畠山左衛門督義堯は木沢長政のみを寄越している。本来ならば畠山金吾家の家宰たる遊佐河内守堯家が来るべきであるが桂川原の戦いで討死しており、跡継ぎはまだ幼かった。次席の遊佐越州家当主・遊佐中務丞英盛は山城上三郡の守護代となったばかりで現地から離れられない。これらは建前である。赤沢大和守堯経を殺すのに助力した木沢長政を咎めはしなかったものの、大和の支配権が稙長派の筒井氏に渡ったことで、義堯は柳本賢治に不満を抱き、引いては六郎への不信が募ったことの現れであった。
堺公方の周囲には側近らが侍っているが、実権はない。評定は周聡が取り仕切った。
「では、今後の方針についての御前評議を始める」
「ここは某から――」
先ずは三好元長が足利義晴・細川道永と和睦することの利を説いた。足利義晴には隠居してもらい、義維を将軍に就け、代わりに道永を野州家当主として遇するというもの。これに賛同するのは周適である。すでに阿波衆に厭戦気分が蔓延しており、帰国を訴える者が後を絶たないからでもあった。
これに対し、道永の受け入れを断固拒否したのが柳本賢治であり、これには三好長家・政長兄弟、松井宗信が賛同している。
両者とも足利義晴との媾和が条件に入っているにも関わらず、微妙に立場が異なっていた。周聡は和睦そのものを疑問視しており、六角氏との縁談を進めてはどうかと提案している。
「何故、方々は無駄な戦をされたがる」
元長が斬り込んだ発言をする。戦をしないこと、これこそが堺公方を正統な公方とできる最短の道筋といえた。
「だが、武蔵入道を一門として帰参させるというのは……」
周聡は前に道永の復帰を認めたものの、六郎の拒絶もあって否定的になっていた。現在は和睦そのものにも反対している。丹波・摂津・山城・和泉・阿波・讃岐の六カ国を有す大大名となった細川堺京兆家として単独で事を為せると六郎が考えているからだ。慥かに最短が最善とは限らない。
「その通り! 御屋形様は武蔵入道が首級をご所望ぞ」
「筑前殿は血迷われたのか」
三好政長が口を挟み、柳本賢治が煽る。松井宗信・木沢長政は足利義晴との単独媾和で、道永追討を掲げている。さらに柳原賢治は細川尹賢を冷ややかに見ていた。
「失脚したとはいえ、武蔵入道殿の追討はならぬと近江公方も仰せと聞く。それでは和睦が成らぬというもの」
「拙僧もそう思いまする」
周適が元長に賛意を示す。声には出さないものの、長家も微かに首肯いていた。
「それは時を掛けて説得すれば、どうにかなるかと」
「新左衛門、どうにかなると徒に時を掛ければ武蔵入道を推す豆州殿や霜台殿等が出てくる。金吾入道殿とて、またぞろ出してくるに違いない。伊勢左中将も武蔵入道殿が復権すれば必ず出てくる。失脚している今だからこそ和睦できると何故分からぬ。違うか、遠州殿」
元長は政長を官途名で呼び捨てにした。これは、元長が一族の当主であり、政長が分家当主の弟で年下の従弟であるということもあろう。長家には年齢が近いことと分家の当主である故か敬称をつけていた。
「武蔵入道は受け入れ難いが、筑前殿の言う通り、威勢を恢復されてはそうなり申す故、時を費やすは得策ではないな」
その長家が一番気に掛けているのは六角氏と北畠氏の動向である。六角弾正大弼定頼は管領代となり、道永失脚の今、義晴最大の後見となっていた。また、北畠左近衛中将晴具は元々南朝の重鎮であり、大和の後南朝勢力とも緩やかに繋がっている。できれば中立化したい所であるが、道永の姻戚であり、その後援を最も積極的にしていた。
北畠氏を気にしているのは柳本賢治もである。柳本賢治は北大和を支配していたが、南大和の後南朝勢力とは守護代に古市氏を立てた為に協調出来ていない。また、道永が晴具を頼って下向していた。
「弥六兄までそのような……その時は戦うまでのことよ」
政長は元長に反撥した。その言に柳本賢治が大きく頷く。長家が反応しなかったのは少し引いて全体を見ていたからだ。政長と違い、元長との対立を望んでは居ないが、弟を説得するほど元長を支持している訳でもない。
「それが無駄なのだ」
「戦えば負けるとでも?」
政長がさらに反撥した。その時――
「何をいうかっ、筑前! 武蔵入道は余の父の仇ぞ? 是が非でも討たねばならぬ。そなたにとっても父の仇でもあろうがっっ! 不孝者奴っ!」
六郎が立ち上がり、興奮して声を張る。元長は傷付きながら、それでも――と呟いた。
「武蔵入道殿を討つことになんの意味が御座いましょう。確かに父の仇に御座る。ですが、父の仇に固執すれば、引接寺殿の将軍継承が遠のくのですぞ? 武蔵入道殿と争うには時が掛かり過ぎまする」
「左様、ここはいち早く引接寺殿を将軍に就けることこそが肝要ですぞ」
正論で押し通そうとする元長に周適が追従するが、六郎は断固として頷かない。そのためか、評定に出ているものたちに六郎の意思を尊重する空気が広がった。
「引接寺殿は次代で好いではないか。今は一刻も早く柳原殿と和睦し、軍師殿の言う通り六角と結んでしまえば武蔵入道を孤立させられる」
政長は得意満面で言う。しかし、それは言うは易く行うは難しであった。道永の背後には伊勢の北畠氏、若狭の武田氏、越前の朝倉氏が控えている。これらにどう対処するのかという問題があった。六角氏は今の所、細川道永との協調路線を崩していない。
「それはお主が考えるほど容易いことではない」
周適が割って入った。細川紀州家は讃州家の執事を勤めた家であるが、周適が隠居するに及んで之長に譲っている。以来、紀州家は三好家とともに讃州家を支えてきた。周聡が六郎の軍師となったのは、周適が周聡に家督を譲り、六郎の補佐をさせたからだ。周適としても六郎に将軍家と細川家を統一させたくはあった。
「余は是が非でも武蔵入道の首級を獲るっ。皆の者、これで決まりじゃ!」
六郎が立ち上がって叫ぶ。これで、大勢は決した。年寄衆も奉公衆も六郎の決意に平服する。最早、元長が何を言っても無駄であった。
それでも細川尹賢と阿波衆は冷ややかに情勢を観ている。此処で唯々諾々と周適は肯く訳にはいかなかった。細川氏之の意を伝えねばならぬと抗議しようとする。が、先に口を開いたのは、元長であった。
「御屋形様それでは今まで戦ってきた将兵が納得いたしませぬ。今一度お考え直しくだされ」
「諄いぞ、筑前っ。ならば、そちの家宰の任を解く。後のことは遠州に引き継げ」
「なっ……」
「いや、それは……お受けしかねます」
周適は絶句した。三好元長は、堺京兆家の要、重臣中の重臣であり、主君といえども憚りがある。余りにも軽率な振舞だった。流石に長家とて辞して言葉を濁す。
「弥六兄、おめでとうございまする!」
無邪気に慶ぶのは政長唯一人であるかに見えた。その時、今まで一言も発さなかった木沢長政が発言した。
「祝着至極――
「六郎殿! 為りませぬ!」
周適が追蹤の言葉を遮った。そのまま木沢長政を睨みつける。その形相に長政が口を噤んだ。だが、六郎はにべもなく周適を突き放す。
「光勝院殿も国に帰られよ」
最早言うべき言葉を失った。これまで六郎を支えて来たのは細川氏之である。三好元長は讃州家の筆頭年寄だからこそ、六郎の家宰であった。それを蔑ろにしては直ぐに立ち行かなくなる。阿波の武力を背景にしても、これだけ内部で揉めているのだから、三好元長が居なくなれば、今は共闘している連中とて対立を始める。何故、そのことに六郎は気づかないのか。周適は血の滲むほど唇を噛んだ。
元長と周適が黙ったことで満足したのか、六郎は大きく頷くと無言で立ち去り、周聡が散会を告げた。残された周適と元長らは苦虫を噛み潰したような顔のまま、坐り込む。
「済まぬ、筑前殿」
「いえ、光勝院殿の所為では御座らん」
半刻ほどそうしていたであろうか、周適がボソリと呟いた。その表情は暗い。氏之から元長を全力で支持するように頼まれていたからだ。無理を押して海を渡ったというのに、為す術もない有様である。
「で、筑前殿は如何なさいますか」
脇に控えていた尹賢が、元長に進退を尋ねる。尹賢にすれば身を寄せた三好元長の失脚は一大事であった。寄る木を失えば、柳本賢治に殺されかねない。それだけは避けたいというのが心情であった。
「阿波に帰るしか御座らん。典厩殿には摂津の諸将らとの繋ぎをお願いしたい。頼まれてくださらぬか」
「……畏まりました。承りましょう」
家宰を辞した元長は、海船政所で撤兵の手配を行い、阿波への帰国を願い出て許され、十月には領地に赴き、細川讃州家の家宰に戻った。
細川尹賢は薬師寺三郎左衛門尉国盛を頼って大物城へ赴いた。ここを拠点に伺見衆を使って東摂の諸将と繋ぎをとりつつ、柳本賢治の周辺を探らせる。
「やはり、弾正が鍵か」
「殿の予感が当たりましたな」
天竺越後守国勝が尹賢の呟きに応じた。尹賢は国勝に命じて伺見衆から一人の山伏を選んで潜り込むように命じる。
十一月廿一日、柳本賢治が伊丹城を攻め、伊丹元扶が討死する。落城前に城を脱した伊丹兵庫助国扶は行方を眩ませ、伊丹城は柳本賢治が占拠した。
遅くなりましたが、ようやく脱稿いたしました。
私はルビ振りが苦手で、今回は特に時間が掛かりました。
一応中学卒業レベルまではルビを振らないとしているのですが、どこまでが中学卒業レベルなのかわからなくなってしまって。
ひとまず、終えたのでホッとしてます。




