第6話 好きな人のお名前は
リック王子殿下は、すぐさま後ろ手でドアを締めた。後ろには護衛がいたかもしれないが、すぐにカギを閉めてしまったのだ。
王子殿下の腰には白銀の細剣。彼の剣術はかなりの腕前と聞く。
この間合いはヤバい。婚約者ライラの唇は、賎しき下男に奪われていた。彼はその気持ちのまま私に一撃を加えてくるだろう。ライラに当てるわけにはいかない。私はすぐにライラを突き飛ばして、床に倒した。
「ルミナス!」
「ライラお嬢様、お逃げを。私が時間を稼ぎます」
しかしライラは素早く立ち上がり、私の前に立った。このままではライラの胸を突かれ二人して串刺しになってしまう!
「殿下。お嬢様はなにも悪くありません。私が悪心を抱いて勝手にやったのです。お嬢様は私のような者でもこうして守って下さるとのお気持ちをお持ちなのです」
「ルミナス。勝手におしゃべりするんじゃないわよ。鞭打ちするわよ!」
「お嬢様。しかし!」
しかし、リック王子殿下は両腕を上げて、どうでもいいといったゼスチャーをとった。私たちはなにが起こったのか分からなかった。
「それで? キスしてたんだろ二人とも。じゃライラのあれは演技だったというわけか」
さすがは聡明な未来の国王。見抜かれていた。
驚いている私たちをそのままに適当なイスに腰を下ろして、ゼスチャーで話すように促された。
我々は観念して話すしかなかった。
これでは処刑されるかもしれない。ランドン家は閉門されてしまうかも。
やはり軽はずみだった。
一番見られてはならない恋敵に見られてしまった。
リック王子殿下は、話を最後まで聞くと大きくため息をついた。
「はぁ──。羨ましいよ。キミたちが」
「え?」
なんの話だろう。羨ましい。なにがだろう。こんなに苦労しているというのに。
「庶民でも好きな人と結ばれるという。だが我々は政略結婚ばかりだ。ライラだって、政略結婚で好きな人。つまりルミナスとは結ばれなかっただろう。しかしランドン卿はそうして策を講じた。なるほど。私が婚約破棄をして二人は失意のうちに出奔か。見事だ」
「は、はい。私たちは愛し合っているのです。どうかご容赦を」
リック王子殿下は、不敵に笑う。所詮は高貴な身分。聞いては貰えないのだろう。
「協力するよ」
「え?」
「私にも好きな人がいる。しかし国王が決めた結婚相手はライラなのだ。これはどうにもならない。しかし私が王太子指名された暁には、一つだけのわがままを許して貰えるのが伝統となっている。そこで私は、婚約破棄をする許しを貰うことにしよう」
たしかに二人の婚約は王家で決められたこと。これは簡単には覆されないのであろう。しかし伝統の王太子即位の儀で婚約破棄であれば誰も許してくれるだろう。
「ありがとうございます、殿下!」
「なあに。そしたら私は次の婚約者を指名するよ」
「ああ、そうですよね。殿下の好きな人。つまり幸せなお方はどなたです?」
「それは──」
ライラも気になるようで、嫌らしい笑みを浮かべてリック王子殿下へと顔を近づけた。
「誰? 誰?」
「それは──。ジンジャー・メリド・クエス・ロバック伯爵令嬢だ……ょ」
「え?」
二人で顔を見合わせた。それは男装の麗人、通り名をジン。長髪だけど凛々しい男性の顔立ち。ロバック将軍の後継者で、リック王子殿下の剣術指南なのだ。まさか王子殿下は恋心を抱いてジン様より剣の稽古を受けていたなんて。
ライラはもう楽しくて仕方がないようで、ニヤニヤ笑いながらさらに質問を重ねた。
「ウソー? え? どんなとこ?」
「……顔……とか、思想……とか……。カッコいいだろ。貫く精神というか、強靱な心、鋼の精神。身長172、体重61、胸は小さいけど、くびれた腰、鍛えられた体……」
赤い顔をしてモジモジと顔を伏せながら話す王子殿下だが、そこまで調べているとちょっと気持ち悪い。私もライラも若干引いた。
「プ。え? いっつもこっち見てたのってジンを見てたのぉ?」
「いやぁ、愛しの婚約者さまの近くにたまたまジンジャーがいるから、まー……はは。カモフラージュ」
真っ赤な顔の王子殿下。ライラはイスに腰を下ろして足をパタパタさせながら大はしゃぎだった。
ライラはいろんな質問をしていたがいつまでもこの部屋に長居するわけにいかない。
「さぁ、早く教室に戻りましょう」
「キミたちはたまに教室を抜け出してこんなことをしていたんだな。まったく騙された。今日は余りにもルミナスが不憫と思い探してみれば。人のキスする姿を見るのは案外恥ずかしいものだな」
「いえ、学校内でキスするのは本日が初めてで……」
「どうだか。さぁルミナス。背中を押さえて痛い振りをしろ。私が肩を支えてやるから。そういう芝居をするんだろ?」
そうか。忘れてた。キスで吹っ飛んでいたんだ。私たちは鞭打ちのためにここに来たのだから。私は急いで片手にライラの荷物を持ち、苦痛の表情を作った。