第13話 膨らむ思い
それから私は都に来て、ライラの身の回りの世話をする下男になりました。私が7つ。ライラが5つの時です。
ライラはすぐに私を「にいや」とよびだしました。可愛らしいその姿に、この方に一生仕えられればなぁと思ったものです。
お嬢様は今の調子を見ればお分かりでしょう。女神のように美しいのに、おてんばな遊び好きな少女。
「にいや。今度は庭で遊びたいわ」
「よろしいです。まいりましょう」
たびたび家庭教師の授業を抜けてこっそりと庭園で遊ぶ毎日。庭に自生する木イチゴの場所を教えたら目を丸くしてましたよ。
最初の頃はライラの遊び相手になるのが仕事のようなものでしたね。ライラも妹のように私の後ろにくっついて私の仕事のまねごとをしておりました。誰もがそんなライラの可愛らしい姿を見て、危ないともここで遊ばないようにとも言いませんでした。
そんな活発な彼女に、私もどんどん惹かれていきました。しかし私には身分もなく、旦那さまに恩がある身です。恋心は一生胸にしまっておくつもりでした。
仕事をしていれば気が紛れる。愛だの恋だの忘れていられると思い、仕事に没頭した時期もありました。
「にいや?」
「どうしました?」
「あーそびーましょ」
「お嬢さま。私には仕事があります」
「じゃ手伝う」
「いけません。私がウオルム様に叱られます」
「じいやがなによ。つまんない。いいもん。一人で遊ぶもん」
そういって、私が藁を運ぶ仕事の周りでこっそり遊び始めました。人の気も知らないで。すぐに近くに来るんだもんなぁ。そう思いながら藁を藁小屋に運んでおりました。
一人で遊ぶのは退屈ではないだろうか? 私が心配してライラの方を向くと、今までこちらを見てたくせに、桃色の舌を出しておりました。ふふ。可愛いでしょう。それでも私が無視して仕事をしていると、大きなゼスチャーを送って、顔を向けると桃色の舌。今でも思い出して笑ってしまいますよ。
しかしあの時、私がまだ無視してると、木の棒で遊んでいた拍子にライラの目に泥が入ってしまったのです。
「ああん! にいや。にいや~」
「どうしました、お嬢さま!」
駆け付けると顔にも泥が付着しております。大きな目からは涙を流していますがつぶられたまま。痛いので目が開けられない様子でした。
「お嬢さま。すぐに水桶を持って参ります!」
と駆けようとしましたが、すぐに呼び止められます。
「嫌よぉ。一人にしないでぇ。暗くて怖いのぉ」
「しかしっ……!」
私は慌てました。目を擦ってしまっては、あの美しい目の玉に傷がついてしまう。もう無我夢中で彼女に駈け寄り手を押さえました。
「お嬢さま。私がなんとかします!」
「うん」
私は彼女のまぶたを指で開き、彼女の瞳にキスをして泥を取り去ったのです。幼い頃、母親にそうされたことを憶えていたのです。
動物が傷を舐めて癒やすように、彼女の両眼にキスをして泥を取り除き、地面に泥を吐きました。
痛みのなくなった彼女を、今度こそ水場に連れて行き、水をすくって両眼を改めて洗ったのです。彼女はすでに泣き止んでおりました。
「すいません、お嬢さま。私はとんでもないことをいたしました」
「ううん。いいのよ」
「ちょっと待て」
「え?」
話の途中で王子殿下は私の話を遮った。
「そのぉ。なんか官能的な感じがしないか?」
「そうでしょうか?」
「なんかなぁ」
「私の妹は目やにがでる病気になったとき、父や母は瞳にキスをしてあげてましたよ?」
「親がするそれとはなぁ」
「いずれにせよ、私が12でライラが10の時です」
「年齢もなんか微妙だなぁ。ようは目玉を舐めたってことだろ? まぁ、続けてくれたまえ」
お嬢様の目が変わったこと、気づいておりました。私の一挙一動に体を震わせていたことも。しかし我らの気持ちは一緒でも、気持ちを叶えることなどできません。思いを遂げることなどとても。しかしライラが私に近づきたい気持ちは強くなっていきました。
「にいや。お人形遊びをしましょ」
「いいですよ」
10歳のお嬢様の相手を12歳の男の私がする。人形遊びなど恥ずかしいとお思いでしょうが、彼女のそばにいれることが幸せでした。ライラは女の子のお人形。私は男の子のお人形です。
「ねぇ、あなたのお名前は?」
「ボク? ボクはトムさ。キミは?」
「私? 私はライラって言うの。呼んでみて?」
彼女のお人形は彼女と同じ名前。その名を私に呼べと言ってきたのです。
「そうなんだ。いい名前だね」
「そうよ。お父様がつけて下さったの。美の女神と同じ名前なのよ」
「すごいや」
「呼んでみて」
「うん」
「ねぇ、呼んでみてよ」
呼べるはずがありません。自分の主人を呼び捨てでなど。
「らーいら」
「え? よく聞こえないわ。女神を呼ぶみたいに言えばいいのよ?」
「じゃあライラ様」
「違う違う。呼び捨てでよ」
ヒドいと思いません? どんどん逃げ道をなくすんですから。ライラの意向は分かってましたけど、さすがに不遜です。しかし、呼ばなくてはいつまでも解放されないと思い、思い切りました。
「ライラ」
「ああん。やっと呼んでくれた」
「なにして遊ぶ?」
「それよりもご褒美をあげなくちゃ」
「どんな?」
彼女はお人形を近づけて、顔をあわせたのです。それはキスに違いありません。わずか10歳のライラはすでにそんなことを思っていたのです。私は幼いながらも人形同士の擬似的なキスに興奮してしまいました。
「はぁはぁ、お嬢様」
「……なに? にいや──」
「私、まだ仕事がありましたのでこれで失礼します」
そう言って、部屋を出ました。そこにいたら人形と同じことをしてしまうと思ったのです。
気持ちは同じでした。お互いにお互いの心の中を知っていました。
そこから実に3年。お互いの気持ちを知りながら何もできない毎日。私が15歳でライラが13歳。ますます恋心が大きく膨らむ年頃になったとき、旦那さまより告げられたのです。あなたとの婚約の話を。
私達はお互いの気持ちを言い合い、初めてのキスをしたのです。
「にいや──。好きよ。好き。誰よりも」
「お嬢様。私は。私は──」
「いやよ。ライラと呼んで」
「ライラ。キミを自分の中に入れてしまいたい。そうすればずっと一緒に居れるのに」
「私もにいやのものになりたいわ」
「ああ、ライラ──」
人形遊び以来の呼び捨て。しかし私はもう迷いませんでした。彼女を呼び捨てで呼び、永遠を、来世を誓ったのです。
そして、心中の計画を練りました。ですが心中は失敗。それを知った旦那さまは婚約破棄の策を立てたのです。