俺の過去はヒーローでした?
キッチンで二人分のカフェオレを作ってトレーに乗せる。左手一本で運ぶにはバランスが悪いのだが、どうにかこぼさないよう踏ん張って、リビングまで運ぶ。澪はソファーに腰掛けており、その隣に座る様にその視線が訴えていた。ソファーの前のミニテーブルにトレーを置くと、澪の横に腰掛けた。
「二人とも、怒ってた」
ついでに澪も怒ってたね。確かに、皆に相談もせずに勝手に決めたけど、俺の右腕を治すためには、実験に付き合うのが一番の近道だと思う。それに、千花さんも状態が全く把握できないのだ。少しでも早く、少しでも多く情報はあった方が良いだろう。
結局は、実験を受けるかどうか決められるのは、被験者である俺だけだ。それで俺がどれだけ辛い思いにあっても、それは自己責任だ。
だから、例えあの二人に嫌われてでも、俺は実験を受ける。いい加減、この痛みともお別れしたいからね。
「二人は、九十九の事を嫌ったりしない。でも、九十九に迷惑をかけてしまう、自分自身を嫌いになっているかも」
「俺は、迷惑だとは思ってないよ」
そう言うと、澪はカフェオレを一口啜り、考え事をするように視線を巡らせた。その様子を見て、俺もカフェオレを一口飲む。
「九十九は、幼稚園の時の事、覚えてないでしょ?」
ふむ。なんでこのタイミングで幼稚園の事?確かに、全然記憶に無いな。
「じゃあ、初めて会った時の事も、覚えていない?」
「小学校の印象が強すぎて、その前の事は全く記憶に無いな」
ああ、また悲しそうな顔しちゃったよ。でも、ここで嘘をついても仕方ない。この前泣き出した件とも、きっと関係のあることだ。
「私、小さい頃はずっと道場の隅で座ってた。父さんも母さんもいなくて、面倒を見てくれるのは、いつも師匠だったから。でもね、ずっと一人で、道場の隅に居るのはすごく退屈で、すごく寂しかった。だから、裏山に遊びに出たの。いつも狭い道場の隅に居た私に、裏山はすごくきれいに見えた。木があって、草花があって、鳥がいて。その中を歩くのがとても楽しかった」
しかし、楽しかったのはそこまでだった。歩いたことも無い場所を、幼児が長距離歩く事は不可能だ。それも、外でほとんど遊んだことの無い子どもである。山を登り始めてすぐ、疲れて歩けなくなってしまった。
「それで、急に雨が降ってきた。急いで帰ろうと思ったんだけど、帰り道が分からなくなった。怖くなって、でも歩けなくて。雨でびしょびしょになりながら、一人で泣いてた。その時に、泥だらけになった男の子が、来てくれた」
すごい偶然もあったものだ。あそこの山は、人が滅多に入らない。子どもならなおの事だ。今にして思えば、魔物が多く生息しているから、ハロージョブで入山を制限していたのかもしれないな。そんな山に、ピンチの時に現れたって、どこのヒーローだよ。
「その男の子が、九十九だよ」
俺だった。でも、そんな記憶は全く無い。あの山には、親も先生も入っちゃダメだって言ってたから、ビビりな俺が入るわけないのにな。
「九十九はお義母さんに怒られて、家出してきたって言ってた。私が泣き止むまで、九十九は一緒にびしょびしょになって待っててくれた」
それ、本当に俺ですか?どっかのイケメン幼稚園児と勘違いしてませんか?
「間違えない。蘇生させた九十九を、師匠と一緒に九十九の家まで送って行ったから」
先生と一緒に送ってくれたんだ。逆に俺が助けられたんじゃ……今なんて?蘇生したって、俺、死んだの?なんで?
「帰る途中、一匹の魔獣に襲われたの。最近まで、あれは小熊だと思ってたけど、今にしてみれば、あれは魔獣の子どもだった。私たちは、急に出てきた魔獣に襲われて、九十九は囮になってくれた。道場がある方角とは別の方へ走って、魔物を引き付けてくれたの。おかげで私は道場まで走って逃げられた。師匠に事情を説明して、道場の門下生総出で九十九を探した。道場で帰りを待っていた私は、怖くてずっと泣いてた。九十九が死んだらどうしようって、すっごく怖かった。それで、やっと見つかった九十九は……」
死んでたってこと?幼稚園児の俺、尊敬するわ。見ず知らずの女の子のために命かけるとか、今の俺では絶対しないよ。
「するよ。九十九は、誰かが危険な目にあっているの、ほっとけないから」
それは過大評価だ。自分の命は、他人の命よりも重い。だから、普通の人は赤の他人のために命をかけられない。
「だから、二人は怒ってる」
「いや、良くわからない」
「実験を受けるのは、自分のためだって言ってたけど、百花のためでもある。九十九だって、九十九のために百花が死ぬって言ったら、怒るでしょ?」
それはその通りだ。自分のためなんかに、誰かが死ぬなんて許容できない。危険な目に合うってだけでも我慢できそうにないよ。
「十六夜は、もっと可哀想。九十九を助けるために覚えた魔法で、九十九に死ぬ思いをさせろって言われたんだから」
反論の余地無しだった。確かに二人には、酷な事を言ったようである。
「そのうえ、お前らには関係無いから、好きに遊んでろって言った。さすがに二人でも、怒っても仕方ないと思う」
それは何と言うか、本当に失礼な男だな俺は。乙女心云々以前に、人の気持ちが分からな過ぎる。
「私も、九十九が苦しむ姿は見たくない。道場に運ばれてきた九十九を思い出すから。血だらけで、ぐったりして、ピクリとも動かなかった。あの姿は、本当に怖かった」
だからみんな、実験には反対するって事か。俺が見守る側だったら、俺も間違えなく反対しただろうな。
「それでも、これはやらなければいけないことだと思うんだ」
「うん」
「痛い思いをして、皆にも嫌われるんだから、とんだドM野郎だけどな」
でも、百花の役に立てるかもしれないし、悪い事ばかりじゃないもんな。そう思いながら冷めたカフェオレを啜っていると、背後から誰かが抱き着いて来た。
「嫌うわけ無いです! 本当に肝心なところがわからない人です!」
こいつ、影の中に隠れてたのか?怒って部屋でふて寝してたんじゃないのかよ。
「ボクたちも九十九クンと少し話をしようと思って、澪さんのお話が終わるのを階段で待ってたです」
ボクたち?ということは……
「この変態ドM野郎!」
止めてよね。人に言われると余計傷つくよ。後、どさくさで俺に抱っこしてくるの止めてください十六夜さん。
「明日はアタシがヒールしますから。他人に九十九さんを傷つけさせませんからね」
俺の胸に顔をうずめながら格好良い事言っても、全然格好つかないよ。何だかんだ言って、こいつは本当に子どもだよな。
「コーヒー、飲む?」
「ボクもカフェオレ、飲んでみたいです」
「アタシ、ココア」
キッチンに行きたいから、二人とも離れてくれないかな?右腕も使えないし、さすがに前と後ろの両方に人を抱えたまま動けないんだけど。
そう思っても、二人は全く手の力を緩めない。むしろ強くなっている。百歩譲って百花は良いよ、位置的に。でも、十六夜は離して。位置的に。
「二人とも、いったん離れて。そして運ぶの手伝って」
「嫌です」
「やだ!」
「子どもか!」
ぶーぶー文句を言う二人をどうにか引き離し、キッチンへと向かう。抱き着かれるのはちょっと嫌だが、なんだかんだで、こうやって改めて話ができるのは嬉しく思う。
これも、澪が話をしてくれたおかげかも知れないな。でも、まだ肝心な話は聞けていないんだよな。この後、その話も聞かせてくれると良いな。
とりあえず、まずはとびっきり甘いカフェオレとココアを作ってやるか。




