澪の怒り
私の目の前で、九十九が苦しんでいる。どうして?
私が一緒に居たのに、どうして九十九が苦しんでいる?
私は、あの人を護れなかったの?どうして?
「くっくっく。これで一仕事終わりだ。さてお嬢さん、私たちは撤収します」
「どうして?」
「ここでの調査は終わりました。和泉九十九も退場させた。ここでの仕事は、全部終わったんです。だから、撤収しますよ」
こいつは何を言ってるんだ?九十九をあんなに苦しませておいて、仕事が終わったから帰る?
「お前ら、生きて帰れるわけが無いでしょう?」
「何を言ってるんだ? お嬢さんが私たちを倒すとでも?」
「倒す? お前こそ何を言ってるの。生かして返さないって事は、殺すってことでしょ?」
残りの敵は、姿が見えないけど周囲を囲んでいる。まだ誰も逃げてはいない。だったら、ここで全員殺す。
「おい、撤収するぞ。急げ!」
「逃がさない! 桜観斬月流剣術奥義が五……大斬月!」
「な!」
男の首の高さを狙って、大斬月を放つ。加減はしない。全方位に向かって放った斬撃は、複数の手応えを伝えてくれる。でも、おかしい。目の前の男だけは、斬れていない。
「この技は、あの時の男と同じ……無事な者は全力で散開。合流はポイントCだ。急げ!」
周囲でドタドタと人の倒れる音が聞こえる。数は4人。まだ半数は生きている。その内の一人、目の前の男はピンピンしている。斬撃が効かないのか?
「桜観斬月流剣術……月牙」
男の喉を狙って突きを放つが、やはり手応えが無い。スキルか魔法か。そんなことはどうでも良い。私は、一秒でも早くこいつらを殺せれば、それで良い。
「それじゃあ、お嬢さん。これにて失礼」
男の体から、先ほどと同じ黒い霧が噴き出す。九十九の時と同じ魔法?違う。男の気配が希薄になっていくのが分かる。このままでは、逃げられる。
「桜観斬月流剣術・奥義が三……桜花乱撃!」
逃がさない!絶対に逃がさない!殺す!絶対に殺す!
「やめるです! 九十九クンも巻き込まれるです」
九十九が巻き込まれる?ダメだ。それだけは絶対に。
「澪さん、落ち着いてください! 九十九さんは生きてますよ」
そう聞いて、手の力が抜けた。良かった、九十九は無事なんだ。そう思ったら、急に全身がだるくなってきた。少しだけ、休んでも良いかな。
頭を支配していた恐怖が、全身を駆け巡っていた様々な痛みが俺を支配していたのは、どれくらいの時間だっただろうか。永遠のように続く苦しみは、気が付くと消えていた。
「大丈夫ですか?」
全身が冷や汗でびっしょりになっている俺を、汚れることも気にせずに十六夜が抱き抱えていた。
「澪は?」
「大丈夫。今は疲れて眠っています」
疲れてって事は、やっぱり逃げなかったのか。1対8で無事だったんなら良かったよ。
「九十九さんも、今治療しますね。ホーリーヒール」
十六夜の魔法が、温かい感覚と共に全身を包み込む。その瞬間、異変が全身を駆け巡る。
「ぐああぁぁ!」
脳が、内臓が、手足が、十六夜の魔法を拒絶する。拒絶反応に合わせて、体が勝手に暴れまわっている。地面を掻き毟り、叩きつけ、空を幾重も蹴りつけた。
「え? え?」
苦しい。怖い。痛い。どうして俺は生きてる?いっそ死んでしまった方が、楽になれるのに!
「こ、殺してくれ」
「何バカな事言ってるんですか!」
どうして十六夜は俺を殺してくれない?俺はこんなに辛いのに、どうして死ぬことを許してくれないんだ。
「死なせてくれ! 殺してくれ! 怖いんだ! 痛いんだ! だからもう、殺してくれよ」
「嫌です! 絶対に殺しません。絶対に死なせませんよ」
十六夜が、俺の体をきつく抱きしめる。止めてくれ、痛いんだよ。苦しいんだ。
「バカ! バカ! なんでアタシが……冗談でも、そんな事、言わないでよ」
ポタポタと、首筋に温かい物が流れ落ちる。この感覚は、以前にも体験したことがあった。それはいつの事だっただろうか。あの時も、甘い香りと柔らかい感触、そして少しの罪悪感を感じていた。
苦しい。どうして十六夜は泣いている?
痛い。俺が泣かせたのか?
辛い。十六夜を泣き止ませないと。
「十六夜。泣かないでよ」
「だって、九十九さんがバカな事言うから」
「ごめんな。もうちょっとだけ、ぎゅっとしてくれ」
「しばらく離してあげませんから」
十六夜の香りが、柔らかさが、俺を支配していた恐怖を、全身をめぐる痛みを和らげていく。
「ありがとう。もう大丈夫だ、離してくれ」
「離しませんよ、バカ!」
まだ泣いてんのかよ。ごめんな。頭を撫でてやりたいのに、体がピクリとも動かないんだ。
「少しは、落ち着きましたか?」
そう言って、十六夜はやっと体を離して顔を見せてくれた。目元に溢れる涙は、ようやく治まってきたようだ。柔らかく微笑んだ彼女の顔を見たら、恐怖は完全に消えていた。
全身の痛みは和らいだが、なぜか右腕だけが未だに強い痛みに苛まれている。まるで、全身の痛みが右腕に集められてしまったような感覚だ。
「なんだか、右腕に呪いでもかけられたみたいだよ」
「呪い、ですか?」
あの闇は、笹田が呪術を用いる時の黒い霧とよく似ていた。ワーカーが用いる魔法とは種類が違う可能性が高い。そのせいで、十六夜の回復魔法を拒絶したのかもしれない。
「せめて、あの魔法を使った連中がいればな」
「いますよ? 瀕死の重傷で4人も転がってたので、拘束して死なないように処置してあります。帰ったら、所長さんたちが取り調べることになってます」
それはつまり、澪が1対8の戦闘で、4人に瀕死の重傷を与えたということか。本当に澪は頑張ってくれたようだ。何もできなかった俺とは大違いだ。情けない。
「たまにはいいでしょう? 九十九さんは、いつもアタシたちを助けてくれているんですから」
俺の方が、いつも皆に助けられている。でも、仲間にそう思われているのは素直に嬉しいと思った。お互いに助け合い、良い結果が残せるのなら、最高のパーティーだ。
「昔のアタシなら、そんな風には思えなかったです。パーティーは、一人で戦う力を得るための踏み台だと割り切っていましたからね。今は、大切な人が出来て、その人を護りたいって思えますから」
「大切な人、か。いつか十六夜もそんな男が出来て、俺に紹介しにくるのかな」
それはきっと喜ばしい事なんだろうけど、少し寂しい気がする。娘が嫁に行くって、こういう気持ちなのかな。
「……九十九さん。元気になったらぶん殴りますからね?」
「なんで?」
「そんなだから、澪さんを泣かせることになるんです!」
そんなってどんなだよ?こういうのって、相手も具体的に、どこが気に障ったのかはっきり言ってくれないとダメだと思う。察する文化は勘違いの文化なんだよ。
「はっきり言っても、九十九クンにはわからないと思うです」
そう言いながら、百花が姿を見せた。後ろには、ロープでグルグル巻きにされ、猿轡を噛まされた4人の男が横たわっていた。
「こっちはある程度の情報が集まったです。詳しい話は、所長さんも交えて聞いてもらった方が良いです。それに、九十九クンは思ったより重症のようです」
「そうだな。こっちはもう限界だよ」
永続的に続く痛み。これは精神的にもかなり辛い。軽口を叩くくらいなら問題無いが、難しい話は、今は無理だ。
「拘束した連中の護送車が到着した後、ボクたちも撤収するです」
「了解」
予想以上にボロボロになってしまったが、予想以上に早く、予想以上の成果が出せたことに安堵し、俺たちは迎えを待つことにした。




