戒めの楔
澪とは一番付き合いが長いのに、その実あいつの事を一番分かっていないのは、俺だって言うのか?
ショックなような、納得せざるを得ないような。確かに、澪は俺の好物を知っているし、エロ本の隠し場所まで知っている。それなのに、俺は澪の好きな食べ物すら知らないのだ。何も知らないと言われれば、本当にその通りだと思う。
俺と澪の今までは、常に戦いの日々だった。彼女の剣筋を見極め、その癖を見抜き、逃げ続けた日々だった。その中で知ったのは、彼女の技術だけ。澪個人が何を思い、どう感じているかなど、知ろうともしなかった。
道場に通うになってからの澪が強烈で、それ以前の澪の事なんて、このアルバムを見るまで忘れていたくらいだ。どうして変わってしまったのかなんて、考える余地も無かった。
「教えてくれ。さっきの俺、何がいけなかったんだ?」
「教えません!」
なんでよ。こういうのは、時間が経つと余計にこじれる。早いうちに解決した方が良いだろう。だから、答え教えて!
「澪さんが、九十九クンの好きな性格になろうとした、という話を聞いたことがあるです。だから九十九クンは、澪さんがなんでそうしようとしたかを知らなければならないです」
どうして変わったのかを知らないとダメだって事?こんがらがってきたぞ。
「それをわからないから、九十九さんなんですね。アタシたちも苦労しそうです」
よくわからんが、俺も苦労しそうだよ。とりあえず、澪と話をしなければならない。風呂にでも行って来るか。
「いやいや。行かせませんよ? 澪さん、今お風呂入ってるんですよ?」
「ひどい! この状況で俺が覗きをするとでも?」
「相手は澪さんです。九十九クンが来たら、平然と裸で出てくる可能性もあるです。最悪、九十九クンが裸に剥かれて、混浴させられるかもしれないです」
何それ怖い。本当に今夜、こいつらを泊めても大丈夫なんだよね?俺、お婿に行けない体にされたらどうしよう。
「ボクがいるから大丈夫です!」
「アタシがいるから問題ありません!」
それは二人が護ってくれるって事かな?いくら何でも、澪はそこまで無茶はしないよ。
「だから九十九クンはダメなんです!」
「どうしてわかってくれないんですか!」
なんで怒ってるの?こういうのも、皆をちゃんと見ていないってことなのかな?澪一人の気持ちもわからないのに、無茶言わないで欲しいよね。
結局その夜は澪と肝心な事は話せず、明日に備えて寝ることになってしまった。
翌朝、6時45分に家のチャイムが鳴った。どうやら所長さんが手配してくれたタクシーが到着したようだ。幸い俺たちの準備は出来ていたので、そのままタクシーに乗せてもらった。高校生が二時間もの長旅にタクシーを使うなんて、金額を考えたら絶対できないよね。
現地に到着後、運転手さんは俺たちに連絡先を教えて帰って行った。夕方まで近くの町で時間を潰しているそうだ。
「それじゃあ、二手に分かれて調査するです」
効率を考えれば、分担して調査した方が良いだろう。しかし、どんな敵が潜んでいるかわからないのに、戦力を分けるのは不安である。
「九十九クンのバカ! せっかく澪さんと二人になれるように気を使ってるんです。どうしてわからないんです!」
仕事中にプライベートな事で気を回すなよ。あの所長さんが直接依頼する仕事なんだよ?安全な仕事の訳無いじゃん。こういうのは、仕事が終わってからでいいんだよ。
「もう! なんで変なところで真面目なんですか! せっかくアタシが我慢するんです。九十九さんも頑張ってください」
なんかこれ以上断るのも面倒そうだ。それに、俺がこれ以上拒否すると、澪が傷つくかもしれん。なんて面倒なんだ。
「それじゃあ、何かあったらすぐ連絡。それで良いか?」
「はいです。ボクたちは教会跡地を捜索しますから、九十九クンたちは炎神を倒した辺りをお願いするです」
「教会って、大丈夫か?」
「ボク以上にあそこに詳しい人もいないです。それに、千花を助ける手掛かりがあるかもですから」
百花がそう言うのなら、俺に文句は無い。教会跡地を調べるのに、百花以上の適任者がいないのも確かだ。それに、炎神を倒した俺がその周辺を調べるのが道理だろう。
炎神が通った後に、命は一つも残っていなかった。森の木々は炭となり、大地は焼け焦げ草花の一本もありはしない。炎神は、それほどに強力な力を持った化け物だった。これが人里であったらと思うとぞっとする。
「九十九、こっちに地面が抉れている場所が複数ある。これは、九十九たち?」
「たぶん違うな。俺たちが戦闘したのは、あそこの大穴が空いているところの周辺だけだ」
「じゃあ、所長が言ってたのはここ、だね」
せっかく気を回してもらったのに大変申し訳ないのだが、未だに昨日の話は出来ていない。だって、百花の話を聞いても何が何だかさっぱりわからない。つまるところ、何が分からないのかが分からない、という最悪の状態である。
もうこれは、直接聞く以外の選択肢は無いよね?
「なあ、澪。昨日の事なんだけど……」
「九十九、敵。囲まれてる」
澪が刀を抜いて戦闘態勢をとる。このタイミングで襲撃とか、空気を読んで欲しいものである。
周囲は炭になった木々しか無いというのに、どこに隠れているのか。こちらからでは全く視認できない。スキルか魔法で姿を隠しているのか?
「数は?」
「少なくても、8人はいる」
2対8って、数の上で相当不利だ。力量が分からない以上逃げたいところだが、囲まれている以上、ある程度戦うしかなさそうだ。
「一応百花に連絡を入れとくけど、逃げられそうなら逃げよう」
「わかった」
メッセで百花に連絡を入れると、俺も戦闘態勢をとる。
「そこで隠れている方々、何か御用でしょうか」
拳を構えたまま、どこへとも無く声をかける。周囲に変化は見えないのだが、澪がいると言えばいるんだろう。
「お前たちこそ、そこで何をしている」
ゆらりと空気が揺れたかと思うと、黒いローブをすっぽりと被った人間が一人、突如として現れた。声から察するに、それほど若くは無い男だろう。
「俺たちですか? 見ての通り、デートですけど?」
「こんなところで逢引だと? 男の甲斐性を疑うね」
こちらの軽口に乗って来るとは、随分と余裕がありそうだ。余裕を見せるだけの戦力があるということなのだろうか?
「おじさん以外は、姿を隠したままなんですか?」
「必要無いだろう? 話なら、私だけで事足りている」
「そうですか。なら、俺たちはこれからお楽しみなんで、失礼しますね」
澪の肩に腕を回して歩き出そうとした瞬間、周囲に熱を感じた。魔法か、スキルを使おうとしているのだろうか?
「澪、しっかり捕まってろよ」
「うん」
俺は、姿が見えているおじさんに向かって歩き始める。
「逃がさないよ、和泉九十九君」
「瞬動」
おじさんが俺の名を呼んだ瞬間に、こちらは瞬動を発動する。おじさんに向かって突撃するように発動した瞬動だったが、手応えが無い。躱されたのか?
瞬動の高速移動が終わり、俺たちの姿が現れた時に、後方から先ほどの熱源が飛んでくる。
炎系の魔法か?
俺はさらに瞬動を発動して、魔法を回避する。複数の魔導士が潜伏しているのは確定的だ。
「このまま逃げるぞ」
「させないよ。せっかく君の方から私たちのところに来てくれたんだ。だから、君にはここで退場してもらいたいんだよ」
いつの間にか背後に回り込まれていた。おじさんに突撃した時には姿が無くなっていたが、その隙に背後を取ったのか?
おじさんの職業すらわからないが、強敵であることは間違いない。それを相手取り、さらに複数の魔導士となんて戦えるか。
「澪、絶対俺から離れるな。逃げ切る」
「いいや。君はこれで終わりだ」
腹部に衝撃が走る。腹に攻撃をもらったのか?気が付くと、澪と引き離され、俺だけ後方に吹き飛ばされていた。
「やれ!」
「「「「戒めの楔よ。彼の者に闇の封印を!」」」」
複数の声が聞こえた瞬間、周囲が一瞬で闇に染まる。その闇は霧の粒子となって、俺の体になだれ込んできた。
「ぐああぁぁ!」
全身になだれ込んできたのは、ただの霧じゃない。恐怖が、痛みが、俺の全身を駆け巡る。
怖い、怖い、怖い。理由のわからない恐怖が、俺の思考を飲み込んでいく。
痛い、痛い、痛い。頭の先から足の指先まで、痺れが、鈍い痛みが、刺すような痛みが、俺の体を壊すように駆け巡る。
「澪、逃げて、くれ」
そう告げるのが、精一杯だった。
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