ブラは月夜に舞う
最近は、目が覚めると後頭部に柔らかい感触があり、ほんのりと甘い香りに包まれることが多い。そういう時は、例外無く目の前に柔らかそうな膨らみが二つ、揺れている。
いつもなら、寝ぼけ半分で手を伸ばすところだが、『コレ』は触ってはいけない。本能的にそう感じ取ってしまうほど、圧力があった。いや、物量的には先刻の方が大きかったのだが、これを触ってしまったら、取り返しがつかなくなってしまいそうな、恐ろしい圧力があった。
俺はこれに触れないように、重い頭を支えながら体を起こす。すると、背後から不服申し立ての声が聞こえる。
「なんで、触らないの」
それは背筋が凍りつくようなほど、冷たい声だった。
「お、おはよう。澪」
「せっかく、ブラも外したのに」
こいつの考えていることは、さっぱりわからない。見たところ、ここは屋上のようだが、女子がこんなところで下着を外してるんじゃないよ。
さて、どうやらここには俺と澪しかいないようだ。二人はどこに行ったのか。死にかけた俺を、こいつと二人きりにするなんて、なんて恐ろしいことを……
そう考えていると、背中に澪が頭を預けてきた。
「九十九、私、すごく心配したよ。本当に、死んじゃうんじゃないかと思った」
こいつはこいつで、いつも俺の心配をしてくれる。どうしてそこまで俺を心配してくれるのかはわからない。一番付き合いが長くて、一番側にいたはずなのに、こいつのことがわからないんだ。
「だから、私の胸を触って欲しい」
本当にわからない!澪はそう言って、頭だけではなく上半身を俺の背に預けてくる。その中心の、柔らかい部分を俺に触れと?なぜ?どうして?
「百花も十六夜も触った。次は、私の番。嫌なら、ちゅーする」
とんでもない二択があったものである。胸を触るかキスをするか?どっちも大変魅力的なお話ではあるのだが、どっちを選んでも恐ろしい結末が待っている気がする。
「早く」
俺が振り返ると、澪は目を閉じ、唇を突き出して待機している。しかし、キスはまずい。恋人でもないのに気安くそういうことはできない。
なら、ちょっとしたお触りならいいかもしれない。
俺は恐る恐る、澪の胸に手を伸ばす。
「ごくり」
「アタシ、蹴りも意外といけますよ」
どうしていつもジャストタイミングでやってくるの?監視とかしてるんじゃないよね?
俺はそっと手を下ろし、そのまま動きを止める。
「十六夜、早かったね」
「早かったね、じゃないですよ! いきなり屋上からブラ放り出して! 百花さんがいなかったら風でどこかいってましたよ」
澪の奴、俺と二人きりになるために屋上からブラを放り出して、十六夜と百花に拾いに行かせたらしい。とんでも無い奴である。
「十六夜ばっか、揉まれてずるい」
「あ、アタシは好きで揉まれたんじゃないです!」
俺を挟んで、揉んだ揉まれたの言い争いはやめてください。誰が見てるわけでもないが……
「じーーー」
百花が効果音付きで俺を見てる。やめて、居た堪れない。
でも、百花はここに残ってくれたようだ。俺が寝ている間にどこかに行ってしまうかと思っていたが、また会えて良かった。
「じゃあ、百花の話を聞こうか」
この空気をぶち壊すように告げるのだが、二人はそんなことはどうでも良いようで、いまだに言い争いをしている。
「とりあえずブラを着けてください!」
「九十九が揉んでくれるまで、着けない」
さっきから、十六夜が突き出した澪のブラが目の前でゆらゆらしてて、気になって話もできない。お願いですから、そういう物は俺の視野外で扱ってください。
もうこれは、澪の胸を揉まない限り話ができないのではなかろうか。揉むとか揉まないとか、なんだか面倒になってきた。
「二人とも、頼むから百花の話を聞こうよ」
「どうせ助けるんですから、今さら細かい事情なんて関係ないです」
「そう。それよりも今は、私の胸を触ってもらうほうが大事」
「ブラを着ける方が大事ですよ!」
どうやら俺の仲間たちは、俺が思っている以上に良い奴らだったようだ。が、もうこの件は終わりにしてくれよ。
散々ごねた後、澪はやっとブラを着けてくれた。こういう意地っ張りなところは、いつまでたっても治らない。まだまだ子どもだ。
「とりあえず、百花を助けるためには情報が必要だろ? 話はちゃんと聞こう」
「うん」
「わかりました」
俺たちは、百花に向き合って改めて腰を下ろした。これで、どうやら話を聞く準備ができたようである。
「ボクたちの里は、炎神という化け物に焼かれました」
百花は、桜の木に呪術を仕掛けることになるまでの事を、順を追って話してくれた。まぁ重要なのは、千花という、百花の妹分を助けるということだろう。
「問題は、千花さんの体内にある炎神の核をどうするか、というところでしょうか」
果たして、炎神の核というのはどういう物なのか。それが分からない限り、いきなり百花の妹分を連れ出して逃げ切ったとしても、助けられるかどうか……
「生命力を集める期限っていうのはいつまでなんだ?」
「今夜0時です」
思ったより全然時間が無かったんですけど。納期ギリギリにも程がある。
「今夜の満月で、生命力を吸収できるとわかってるです。本当に時間まで待っていればいいですが」
どうやら取引先は相当堪え性が無いらしい。それまで考慮すると、本当に時間の猶予はなさそうだ。それで、今は何時だ?
「現在は午後8時です」
「ここからアジトまで、車を使っても2時間はかかるです」
その場所も、バスや電車は近くを通っていないらしい。移動するには、タクシーなどを手配する他無いようだ。
「車なら、もう準備してもらっていますよ?」
「誰に?」
「我々です」
いつものスーツ姿とは違い、コンバットスーツのような装いをした所長さんが、屋上の入り口からやって来た。俺が倒れてすぐに、十六夜がハロージョブへ現状報告をしてくれたらしい。その連絡を受けて、所長さん自ら戦闘準備を整えてやって来たそうだ。
「先ほどの話も聞かせていただきました。炎の化け物を使役する男。おそらく特A級指名手配の『神楽坂東四郎』でしょう」
神楽坂は、国内で30を超えるワーカーの隠れ里や町を焼き尽くし、10年以上前から指名手配がかけられているらしい。神楽坂を倒すために、上級職業のワーカーで構成された討伐隊が全国に4つも組織されているらしいが、この周辺には待機していない。そのため、この地域で最も戦闘力の高い職員が派遣されたらしいのだが……
「それが所長さんなんですか?」
大変申し訳ないのだが、格好だけ見ると、サバゲーが趣味の中年男性にしか見えない。
「これでも支所長に任命されるだけの実力はあるのですよ?」
にっと笑って腕に力こぶを出そうとしているのだが、細い腕が折れ曲がっただけである。書類仕事で鍛えた腕力では、力こぶはできないのだ。
「移動に2時間もかかるのです。話は車の中でするとしましょう」
所長さんに促されるまま、俺たちは彼が用意してくれた車へと向かうのだった。
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